恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

流行の保護者

2007年06月18日 | 日記とか
学校の方針やらやり方なんかに関して物申す、ということで、
本日は保護者たっての希望で面談をすることになったのですが、
これがとんだ曲者で、校長を交えて約2時間以上に渡ってクレームの嵐。
こちら側としての見解を発表しようもんなら「自己弁護」と非難され、
結局何の弁解も許されないまま約2時間、
まるでサンドバッグのように打たれ続けられました。
私のやり方どうのこうのより、別の件が問題なっているのですが、
私も全くの部外者というわけじゃないので同席はしていましたが、
この言いようのない無力感・脱力感をどうしてくれましょう。

最近の保護者は手ごわいというのは知ってましたが、まさかこれほどとは。
おかげで仕事はすべて後回しになるわストレスは溜まるわでいいことなんてありません。
困ったもんです。

恐懼謹言。
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梅雨入りしたってのに

2007年06月16日 | 所感とか
入梅した翌日だってのに今年の天気はどうなっているのでしょうか。
気温は30度に達せんばかりの夏日で、太陽もそれ相応の強さで肌へ攻撃するのです。
空もこれでもかってほど突き抜けるような青空。
地球の異常気象ってのはこういうことかとまざまざと見せ付けられた気分です。
梅雨入り、ってのも今からでも遅くないから撤回したらどうなんだろう、気象庁。

一度出したものは引っ込められないって、体面を気にする日本人じゃないんだから。
そんな明日も晴れるみたいですが。どうなってんだ、一体。

恐懼謹言。
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エンリケ求めて

2007年06月15日 | 日記とか
好きなアーティストは?と聞かれると、
私は決まってEnrique Iglesiasと答えるのですが、
ほとんどの人がこのアーティストの名を知りません。
エンリケといえば「航海王子」ぐらいしか出てきませんわな。普通。
今日もCDショップでこの人の名前を告げて探してもらおうにも、
だいたい一回は「え?」と聞き返される。それぐらいマイナーみたいです。
そんなアーティストとの出会いは高校生のときだったと思いますが、
Ricky Martinからラテン系の音楽にはまり始めて、
結局はこのエンリケに落ち着いたのですが、知名度は著しく低いのです。
年代によってはその父親のフリオ・イグレシアスのことは知ってるんですがね。

で、そんなエンリケですが、約2年半ぶりにやっとアルバムを発売しました。
いやー、このまま消えちゃうんじゃないかと消息が途絶えていましたが、
これで安心というものです。
ただ、発売当日に探しにいっても一向にこのCDが見つからないんです。
店員に探してもらおうとしようもんなら前述の対応。
楽しみにしていた私にはなんとも悲しい仕打ちで、
数店舗を探し回ったにもかかわらず、結局見つからず、
最終的にはamazonでオンラインショッピングを選択せざるを得ませんでした。
なんでもそろうはずの都市・東京でも手に入らないエンリケのニューアルバム。

マイナーでも何でも自分が好きならそれでいいので、
あんまり気にはしていませんが、それにしても恵まれないなぁ、エンリケ。
で、やっと届きました。そのCDが。待たせやがって。

恐懼謹言。
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欲望に対して素直に

2007年06月14日 | 日記とか
木曜日の午前中は授業がなく、午後出勤が許されている日ではあるのですが、
中学校への営業活動がまだ課せられたノルマのところを回り終えていないので、
この時間を使って回ってしまってノルマを終わらせてしまおうと思っていたのですが、
朝起きてみたら、油断に油断を重ねた結果の午前10時というおぞろしい時間。
いくら近所だからといっても、この時間で満足に営業活動など出来ません。

そして意を決した私は、そのままあと30分の延長睡眠に入ったのでありました。
疲れてるんですね。きっと。こういう日に無理するのはよくない。
・・・という自己弁護をしながら。
中学校への営業はまた来週のこの時間にすればいいさ。
前向きに考えることにしないと潰れてしまいそうになるので、
最近は何事もポジティブシンキングです。さ、頑張ろう。

恐懼謹言。
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思いの丈を

2007年06月13日 | 所感とか
この職についているとどうしても生徒の不平不満を聞くことが多いわけです。
それも文句を言ったところでどうしようもないような、
とにかく不満だとか思ったことを人に話したくて仕方ないわけで、
聞いてもらえたらひとまず満足、みたいなことが多いんです。
なので本気でとりあって、本気で解決策を考えてあげようと思ったはいいものの、
翌日に会って話してみたらすっかり忘れてた、見たいなことが多いので、
最近はとにかく不平や不満は吐き出させて聞くだけ聞いておくことにして、
解決策を考えてあげるというのはよっぽど鬼気迫った時ぐらいしかしません。

女性の脳ってのは解決策を求めて悩みを話すのではなく、
ただ単に聞いてほしくて悩みを話す、というようなことを読んだことがあります。
もちろんこれが正しいのかどうかは別として、
女性に限らず男性にもこれは当てはまることなのかなぁと思ったりもします。
自分が思っていることや考えていることを言葉にする。
それが不平不満であっても、吐き出せたことになんかすっきりした気分になる。
それを聞いてもらえたことにすっきりとする。
私も同じだなぁと思いましたよ。
話を聞いてくれる人に感謝。

何の解決策が導き出されなくてもそれが伝えられたってことにひとつ満足。
私が毎日こうやって文章を綴っているのもひょっとしたらそういうことなのかも。

恐懼謹言。
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まず、目の前にあるものを

2007年06月12日 | 恐懼とか
ふと思う。
太平洋戦争開戦の直前、国を支えていた軍人は何を思ったのだろう、と。
勝機のきわめて少ない対米戦にどれだけの人が希望を持っていたのかと。
おそらく建前では大和魂だとかなんだとか威勢のいいことは言っていたんでしょうが、
内心はみんな不安でしょうがなかったんじゃないのかなぁとか。
そんなことばっかり考えてます。
やりたくなくてもやらなきゃならなかったんだろうな。
ダメだと思っても目標に向かって一生懸命尽くしたんだろうなぁと。

というのも、歴史を考えてあーだこーだ言ってるわけじゃなくて、
単にいま自分が置かれている身の状態と、
恐れ多くもそれを重ね合わせてみたりしているだけであって、
急に本気で歴史学に目覚めたわけでも何でもありません。

つまり、男は時に成功する公算が極めて少ない場合であっても、
己が仕えるものに対して一生懸命尽くさねばならないのかなということです。
多分このまま行けば失敗する。多分このままじゃダメだ。
思っていながらもそれを声高に叫ばない自分も卑怯者ではあると思いますが、
どの時代においても意見を「言いたくても言えなかった」人々が大勢で、
私もおそらくその一人なんだと思います。
不満を内在させていながら声にせず、そして不満は言いながらやることをやる。
ひょっとしたら戦争だなんだってわけじゃなくて、
人の社会ってそんなもんなのかも知れませんが、
とにかく今の自分がやらなきゃいけないことは目の前にあることを片すことだけ。
大きなビジョンとか、そういうのは今は考えている余裕はありませんな。

恐懼謹言。
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贔屓という言葉に

2007年06月11日 | 所感とか
クラスでは毎日日直が日誌を書くことになっており、その日の授業だとか、
色々な連絡事項を書き留めることになっております。
皆さんも一度は学校でやられたことがあるはずです。
で、その最後の欄は一日の感想やらを書くところになってるんですが、
今日の日直が私に当てたメッセージはどう見ても私に対する罵詈雑言で、
それを読んだ私はイラッと来るとともに悲しい思いになりました。
最初は冗談半分でこういうことをしているのかとも思いましたが、
あまりにも腑に落ちないところがあったので、ちょいと呼び出して話を聞くことに。

折りしも人に対して思いやりを持とうということをテーマに、
今までクラス運営をしてきた中で、今日の朝もそのような話をしたばかりでした。
なぜこのようなことを書くのか。私信であればかまわないが、
学級日誌のようなものを使ってなぜ私をそのように口汚く罵るのか。
最初は一方的にこちらからの説教モードで進んでいったのですが、
あるときに生徒が「でも」と口にしたのを皮切りに空気が変わっていきました。

「先生は贔屓をしています。」

この言葉に私は軽く頭を殴られたような衝撃を受けました。

「贔屓」

いい言葉じゃないのはよくわかる。
そして今まで自分が使う側の言葉であって、使われる側にはなかった言葉。

「先生が贔屓するから」
「そう思っている生徒が他にもたくさんいます」
「みんなそういうことに不満を抱えているはずです」

不満がこれでもかというぐらい堰を切って出てくるんです。
だからといって日誌という公的なものに私への悪口を書いていいわけじゃない。
何かされたら何でも仕返していいわけじゃない。
その理論は生徒もよくわかっている様子ながらも、
何かしらこういう手段でもって私に不満を伝えなければならなかった、
その背景はなんだったんだろうと思考をとめて考え込んでしまったわけです。

教師として生徒と接する以上、建前としては全員と平等に接するべきなのは当然。
しかし、その反面でそれが実現しうるにはとてつもない労力を要することを、
多くの教師はまた知っているはずなんです。
だからといってそのための努力を怠っていいというわけではないものの、
現実として、自分の感知し得ないところで「贔屓」と受け止められてしまうことは、
往々にしてあることなんじゃないかと思うんです。
ましてや私のような若造にしてみればわからないことや経験値が不足しすぎているので。

じゃあそれに対して自分がどう答えていけばいいのか。
ありきたりな答えしか見つからない自分にも悲しさを覚えます。

そんなつもりはなかった。
それが出来なかったことに申し訳なく思っている。

たぶん自分が言われる側なら言い訳としてしか聞き取れない、
なんとも釈然としない答えなのもわかっています。
でも、だからといってそこに開き直って説教を続けることも出来ない。
自分の至らないところは素直に反省し、強がることなく生徒にはしっかりと伝えたい。
自分にも譲れない部分ってのはある。でも今のやり方が完璧だなんて到底思わないし、
もっと改善の余地があるのは他の誰よりも自分が一番わかっているはず。
私はこのやり方が正しいとは思わない。でも、今できることを最大限力を尽くす。
その意図さえ少しでも伝わってくれればいいなぁと思い、
後半からは私のトーンは序盤とは正反対で、教え諭し、
そして請願するようなものになっていたように思えます。

もちろんこれだけ話したって納得なんてられようはずがないので、
生徒を帰した後で罵詈雑言が並べられた日誌に私はスペースを余すところなく、
ページ全体を使って私の考えを綴らせていただきました。
明日の日直を経由してあの文章を少しでも読んで意に介してくれれば幸いなのですが。
私には文才らしいものはこれっぽっちもありませんが、私自身のけじめとして。
自己満足でも別にかまわないので。
思いは思っているだけじゃ伝わらないのは私もよく知っています。
でも、時に変に祈るに似た行為をしてしまうのもなんとも言えません。
壁ってこういうものなのかなぁ、と。長文失礼しました。

恐懼謹言。
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納豆のお店

2007年06月10日 | 日記とか
本当は部活のはずだったんですが、打ち続く雷雨に中止。
久々に10時ごろまでゆっくりとした朝を迎えることができ、体力回復。
テニスをやりたいという気持ちはあれども、ここのところの休みなしの中では、
こういう不意に湧いた休みというのは非常にありがたいものです。

ゆっくり休んだものの、家の中でじっとしているのはもったいない、と、
昼食を調達がてら当てもなくブラブラと外へ繰り出します。
まず、笹塚で久々にカレーでも食べようと思っていってみたら、
恐ろしいことに月に2度しかない定休日に当たってしまい、あえなく撃沈。
こう、行こうと思ってやってないときの落胆といったらありません。
で、仕方なく代替の店を考えて足を向けたのがお隣の幡ヶ谷。
学生時代のころ何度となくこの幡ヶ谷は訪れたものでしたが、
そのとき以来気になっていて訪れていなかったのは幡ヶ谷6号通り商店街にある、
ねばり屋なる納豆料理の専門店。看板は何度も見ていたのですが、
ついに足を踏み入れる勇気がなく学生時代が終わってしまい、
行く機会を逸したままでしたが、今日は意を決して訪問してみます。
なんせ私は納豆が好きで、毎日のように食しているぐらいなので。

店内は納豆料理店とは思えないほどこじんまりとお洒落に落ち着いた店で、
納豆というよりも小洒落た洋食でも出すんじゃないかと思わんばかり。
でも、店内にかすかに(?)漂うのはやはり納豆の香り。
料理の種類も豊富で、それだけでも楽しめるのですが、
私は無難に納豆とろろ定食を注文。大中小と選べ、私は大。お値段520円也。
両方ともねばねば食品で、あまり合わせることを考えない組み合わせですが、
愛称はなかなかのもの。あっという間に平らげさせていただきました。
他にもキムチとタコ+納豆なんていうのもあったので、機会があれば再訪したいなぁと。

値段にしても味にしてもお手ごろ価格。これで健康食品ならいうことなし。
ただあんまり健康食品なんてものを意識すると年取ったみたいで嫌なんですが。
ま、健康には気を使いすぎても使いすぎることはありませんな。

恐懼謹言。
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Bayfmのあの曲

2007年06月08日 | 二輪/四輪車とか
車に乗っていると手元のオーディオは基本的にBayfm固定な湾岸住民です。
この場合のbayというのは千葉のことを指すようなのですが、
関東近郊一円でだいたい受信することが出来るし、
頻繁に交通情報が入るのも非常に助かります。
そして何よりも交通情報のBGMがいいんです。
「Bayfm traffic updates~♪」のメロディで始まるあの曲ね。
おそらく一度ぐらいは聞いたことのあるメロディなんじゃないでしょうか。
なんて名前の曲なんだろうなぁと思ってインターネットで検索すると、
やっぱり同じようなことを考える人がいるもんで、
これだけ検索でヒットしました。

するとその中で出てくるのが、この曲の作曲者のホームページ。
その中に色々な解説が書いてあってそれだけでも面白いのですが、
なんとBayfmの公式ホームページにいくと着メロがDL出来ると書いてあるんです。
こういうのに目がない私はさっそく携帯でもってBayのホームページにアクセス。
すぐに発見してダウンロードしようとするも、なにやら会員登録が・・・
ええい、ここまで来たんだとばかりに半ば勢いで月額210円を快諾し、
Traffic Updatesの他にも、Weather Updates(晴れバージョン、雨バージョン)、
Airline Updates、Bayfm Updates(ニュース)もDLさせていただきました。
ただ、これらの曲はDL自体にはお金がかからないそうで・・・
だったら最初からただでいいじゃんと思いますが、
とにかくこれで着メロBayfm化計画は着々と進行していくのでありました。

恐懼謹言。
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鬱にさせる口内炎

2007年06月06日 | 日記とか
最近になって本当に多いのですが、これでもかってぐらいやたらと口内炎が出来ます。
出来る場所も様々なんですが、どこに出来ても不快になるのは同じ。
うっかりして汁物の食事を選択しようもんなら、
安らぎの時間となる食事の時間が苦痛の時間へと変わってしまいます。
酸味のあるつけ麺なんかをチョイスしようもんなら地獄です。

口内炎が出来るのはストレスが溜まっているからだとか、
ビタミンB1が不足しているからだとか、生活が不規則だからだとか、
ともかくいろんな原因はあるようなのですが、
困ったことにこれが全部当てはまってしまうもんだから性質が悪い。
どうすりゃいいのかって睡眠時間をとるのが一番なんでしょうが、
それが出来ないから困ってしまうんですよね。

まずはビタミンのサプリメントでも飲んで予防するしかないか。
しかしまぁ痛いなぁ。

恐懼謹言。
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