眼下に見える、うっすらと綿帽子をかぶった雪景色を眺めていたら、友人の作家、Kさんからお電話をいただきました。
「佐藤一美さんのご主人が亡くなられたみたいだよ」
「えっ!」
驚いて、受話器を片手に、朝日新聞と日経新聞の死亡記事欄を開きました。
「出てないけど」
「スポーツ新聞に顔写真入りででていたよ」
「病名は?」
「肝不全で、72歳だって」
思わず絶句しながら、在りし日の佐藤一美さんのお顔を思いうかべました。
「彼女が東女で、ご主人が東大で、同い年でサークルのお仲間だったらしいから、彼女もお元気でらしたら72歳だったのね」
佐藤一美さんが逝去されて4月で、3年になります。
告別式の日のご主人のさびしげな表情が、ずっと頭に残っていて、この三年、私は胸のどこかでふとした瞬間に、佐藤さんのご主人のことを思い出していました。
そこで昨年見つけたのが、ご主人のblog。
いまも現役のジャーナリストである村木良彦さんは、マスメディアの世界で活躍していらっしゃいました。
彼がその折々の日常をblogで綴っていたのです。そのご主人のblogを最後に読んだのが、昨年の7月ころだったでしょうか。
佐藤さんのご自宅は、ウチが以前住んでいた世田谷の弦巻の近く、世田谷ボロ市通り沿いにあります。
昔は比較的ご近所さんでした。
blogには、村木良彦さんがおひとりで疲れた体を癒すように、お近くのお寿司屋さんで、一杯やりながらあれこれを考えている時間がたびたび綴られていました。
その都度、佐藤さんがご健在でいらしたら、今頃おふたりで、ご自宅でのんびりとお食事をしてらしたのに、という切ない思いに駈られたものでした。
けれど、それきり、村木さんのblogにお邪魔する機会を持たないまま月日が流れていきました。
そこにきての訃報。
一美さんは、ご主人がおひとりで、あんまりさびしそうなので、お呼びになったのかしら。
そんなことを考えながら私は、天国でおふたりが再会なさっている様子を、ちょっぴり切ない気持ちで想像しています。
「佐藤一美さんのご主人が亡くなられたみたいだよ」
「えっ!」
驚いて、受話器を片手に、朝日新聞と日経新聞の死亡記事欄を開きました。
「出てないけど」
「スポーツ新聞に顔写真入りででていたよ」
「病名は?」
「肝不全で、72歳だって」
思わず絶句しながら、在りし日の佐藤一美さんのお顔を思いうかべました。
「彼女が東女で、ご主人が東大で、同い年でサークルのお仲間だったらしいから、彼女もお元気でらしたら72歳だったのね」
佐藤一美さんが逝去されて4月で、3年になります。
告別式の日のご主人のさびしげな表情が、ずっと頭に残っていて、この三年、私は胸のどこかでふとした瞬間に、佐藤さんのご主人のことを思い出していました。
そこで昨年見つけたのが、ご主人のblog。
いまも現役のジャーナリストである村木良彦さんは、マスメディアの世界で活躍していらっしゃいました。
彼がその折々の日常をblogで綴っていたのです。そのご主人のblogを最後に読んだのが、昨年の7月ころだったでしょうか。
佐藤さんのご自宅は、ウチが以前住んでいた世田谷の弦巻の近く、世田谷ボロ市通り沿いにあります。
昔は比較的ご近所さんでした。
blogには、村木良彦さんがおひとりで疲れた体を癒すように、お近くのお寿司屋さんで、一杯やりながらあれこれを考えている時間がたびたび綴られていました。
その都度、佐藤さんがご健在でいらしたら、今頃おふたりで、ご自宅でのんびりとお食事をしてらしたのに、という切ない思いに駈られたものでした。
けれど、それきり、村木さんのblogにお邪魔する機会を持たないまま月日が流れていきました。
そこにきての訃報。
一美さんは、ご主人がおひとりで、あんまりさびしそうなので、お呼びになったのかしら。
そんなことを考えながら私は、天国でおふたりが再会なさっている様子を、ちょっぴり切ない気持ちで想像しています。