昨日、知り合いの雑誌の編集者の方がこのblogをお読み下さって、「おめでとう」のメールを下さいました。
メールの最後に「ちなみに」と記され、9月21日は「SFの父」と呼ばれている作家のH・G・ウェルズの誕生日でもありますと書いてありました。
それを読んで、俄然興味を示した私はさっそく、 Wikipediaで「9月21日」を検索してみました。
そこにはまず9月21日に出来事起こった出来事などのあれこれが書かれていて、さらには9月21日生まれの著名人の生年月日が書かれています。
それによると、9月21日生まれには、ほかに『スタンド・バイ・ミー」のスティーブン・キングや、俳優の松田優作、他にも著名な政治家や企業家などの方たちのお名前が連なっていました。
「へぇー」と思いながら私は、今度は自分の生まれた日である「12月25日」を同じくWikipediaで調べてみました。
12月25日生まれには、画家のユトリロや詩人の金子光晴、評論家の江藤淳などの名前がありました。
そして、なんとそこに私の名前も載っているではありませんか。
正真正銘の私の生年月日と「児童文学作家」であることが明記されながら。
小学校一年のとき、入学式のあと教室にはいると、大きな風船の形に切り抜いてある紙の12月のところにひらがなで書かれた私の名前が貼ってありました。さらには25日のところには、もうひとり男の子の名前が書かれてありました。
「あ、あの子と私は同じ日に生まれたんだ」とその瞬間思い、その思いは大人になったいまでも鮮やかに残っています。
その後、彼がどんな大人になったのか知るよしもありませんでした。ところが数年前のある日、知ったのです。
月刊『文藝春秋』の「同級生交歓」に彼の名前と、かすかに面影の残る彼のお顔が友人たちと載っていたのです。(滅多にない名字だったので)
そのとき頭にまっさきに浮かんだのが「あ、12月25日生まれの人!」ということでした。
なつかしさがこみ上げてきました。
・・・同じ日に生まれたというのは、そんなシンパシーを共有するということなのかもしれまん。「同じ日に生まれた」という事実とともに。
それにしてもネットというのは、不思議なものです。
メールの最後に「ちなみに」と記され、9月21日は「SFの父」と呼ばれている作家のH・G・ウェルズの誕生日でもありますと書いてありました。
それを読んで、俄然興味を示した私はさっそく、 Wikipediaで「9月21日」を検索してみました。
そこにはまず9月21日に出来事起こった出来事などのあれこれが書かれていて、さらには9月21日生まれの著名人の生年月日が書かれています。
それによると、9月21日生まれには、ほかに『スタンド・バイ・ミー」のスティーブン・キングや、俳優の松田優作、他にも著名な政治家や企業家などの方たちのお名前が連なっていました。
「へぇー」と思いながら私は、今度は自分の生まれた日である「12月25日」を同じくWikipediaで調べてみました。
12月25日生まれには、画家のユトリロや詩人の金子光晴、評論家の江藤淳などの名前がありました。
そして、なんとそこに私の名前も載っているではありませんか。
正真正銘の私の生年月日と「児童文学作家」であることが明記されながら。
小学校一年のとき、入学式のあと教室にはいると、大きな風船の形に切り抜いてある紙の12月のところにひらがなで書かれた私の名前が貼ってありました。さらには25日のところには、もうひとり男の子の名前が書かれてありました。
「あ、あの子と私は同じ日に生まれたんだ」とその瞬間思い、その思いは大人になったいまでも鮮やかに残っています。
その後、彼がどんな大人になったのか知るよしもありませんでした。ところが数年前のある日、知ったのです。
月刊『文藝春秋』の「同級生交歓」に彼の名前と、かすかに面影の残る彼のお顔が友人たちと載っていたのです。(滅多にない名字だったので)
そのとき頭にまっさきに浮かんだのが「あ、12月25日生まれの人!」ということでした。
なつかしさがこみ上げてきました。
・・・同じ日に生まれたというのは、そんなシンパシーを共有するということなのかもしれまん。「同じ日に生まれた」という事実とともに。
それにしてもネットというのは、不思議なものです。