なかよしの作家・石井睦美さんから新刊をご恵贈いただきました。
『西のくま 東のくま』(佼成出版社)です。
ある日、散歩にでた「西のくま」が自分とそっくりの「東のくま」とばったり出会い、目の前に立っているあまりにも瓜二つの「東のくま」に、「西のくま」は「たいへんだ。ぼくがあっちからやってくる」と思いこんでしまい、自分をどこかに落としてきてしまったと思ってしまうお話です。
なぜかというと、はじめて出会った自分とそっくりの「東のくま」は、「西のくま」が自分を見失ってしまうくらい自信満々だったものですから。
そのあたりのくまの気持ちを、石井睦美さんらしいウイットに飛んだ表現力と描写力で、くすっと笑わせながら、論理的に積み上げていきます。
読んでいて、とっても気持ちがいいくらい、心地よく。
石井睦美さんの魅力は、創作でも翻訳でもその文体と表現力にあります。
上質な翻訳児童文学を読むような心地よさで、このご本を読み進めながら、私はふと、アメリカ文学の翻訳家である柴田元幸氏のエッセイを思い出していました。
石井睦美さんの作家としてのセンスは、翻訳家であり東大教授である柴田元幸氏のセンスとどこか似通ったところがあります。
柴田元幸ファンとしては、嫉妬してしまうくらいに。
たとえば、柴田元幸のエッセイに『死んでいるかしら?』(新書館)というのがあります。
書き出しは、こんなです。
「自分はもう死んでいるのではないだろうか。と思うことがときどきある」
要は、「寝ぼけているだけの話なのかもしれないのだが」じつは「自分は幽霊」ではないかと思っているのです。
いえ、彼は実際、自分が幽霊だと思っているわけではなく、「自分がここにいることへの微妙な違和感というか、生きていることを日ごろからどうも実感できずにいるという」感じが、彼の気持ちをそうさせているのです。
繊細で美しい女性である石井睦美さんも、どうもそんなふうな節があります。
この共通性が、こういった「じぶんを落としてしまった」物語へとつながっていくわけです。
そしてさらに言えば、おふたりに共通しているのが「心細さ」とでもいう感情です。
この、人間だれでもが持っている切ない感情を、こうして「じぶんを落としてしまったのでは?」と不安に思う子どもの物語に作り上げる石井睦美の腕には、ただただ感嘆するばかりです。
皆さま、どうぞお読みになってみてください。
『西のくま 東のくま』(佼成出版社)です。
ある日、散歩にでた「西のくま」が自分とそっくりの「東のくま」とばったり出会い、目の前に立っているあまりにも瓜二つの「東のくま」に、「西のくま」は「たいへんだ。ぼくがあっちからやってくる」と思いこんでしまい、自分をどこかに落としてきてしまったと思ってしまうお話です。
なぜかというと、はじめて出会った自分とそっくりの「東のくま」は、「西のくま」が自分を見失ってしまうくらい自信満々だったものですから。
そのあたりのくまの気持ちを、石井睦美さんらしいウイットに飛んだ表現力と描写力で、くすっと笑わせながら、論理的に積み上げていきます。
読んでいて、とっても気持ちがいいくらい、心地よく。
石井睦美さんの魅力は、創作でも翻訳でもその文体と表現力にあります。
上質な翻訳児童文学を読むような心地よさで、このご本を読み進めながら、私はふと、アメリカ文学の翻訳家である柴田元幸氏のエッセイを思い出していました。
石井睦美さんの作家としてのセンスは、翻訳家であり東大教授である柴田元幸氏のセンスとどこか似通ったところがあります。
柴田元幸ファンとしては、嫉妬してしまうくらいに。
たとえば、柴田元幸のエッセイに『死んでいるかしら?』(新書館)というのがあります。
書き出しは、こんなです。
「自分はもう死んでいるのではないだろうか。と思うことがときどきある」
要は、「寝ぼけているだけの話なのかもしれないのだが」じつは「自分は幽霊」ではないかと思っているのです。
いえ、彼は実際、自分が幽霊だと思っているわけではなく、「自分がここにいることへの微妙な違和感というか、生きていることを日ごろからどうも実感できずにいるという」感じが、彼の気持ちをそうさせているのです。
繊細で美しい女性である石井睦美さんも、どうもそんなふうな節があります。
この共通性が、こういった「じぶんを落としてしまった」物語へとつながっていくわけです。
そしてさらに言えば、おふたりに共通しているのが「心細さ」とでもいう感情です。
この、人間だれでもが持っている切ない感情を、こうして「じぶんを落としてしまったのでは?」と不安に思う子どもの物語に作り上げる石井睦美の腕には、ただただ感嘆するばかりです。
皆さま、どうぞお読みになってみてください。