kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「あまちゃん」、ドラマの感想がドラマです。

2013-10-03 22:10:05 | あまちゃん

 「あまちゃん効果」 その4的内容です。

 「あまちゃん」のおかげで 「みんなの感想」世界の存在を知り少し入り込

んでいます。 ★5派のkaeruとしてはそのお仲間の感想に悦に入っている

わけですが、併せて★1の皆さんの発言にもドラマを感じます。

 開始の当初、★5を点けていたご婦人が途中からかなり急速に「嫌気」

が差し★1へと転換していくのを時系列を坂下って(9月→6月)読みました。

 大体ではありますがこの人の「イライラ」がどこら辺にあるかが分かり、その

辺は当方には全く気にならない場面で、なるほどこういう場面が 「許せない」

となるのか、と思うのです。 ただそれはその人の感性や価値観からくる判断

で、直接その人を知らない、また知る必要のない当方としては「そういうことも

あるのですか」 と承知する以上のことはないのです。

 

 ただ ★5のなかで 「最高! テレビを見ない俺が見た」 という感想をみると、

ある意味では凄いことがあったのだな、と思います。 生活のなかになかった

「TVを見る」ということと何が切っ掛けで見るようになったのか、それがドラマ

だと思うのです。

 また、始った直後の感想のなかに、「ワタシ、只今ガン闘病中。待ってましたー。

笑いでガンなんか飛んでいケー。この半年、ワタシに命が与えられますように。」

とは、この半年がドラマそのものだったでしょう。 加えてこの人の 「我が亭主、ド

ラマは作り物だから嫌だと拒み続けて早四十年。 “あまちゃん” 観て笑い転げて

いるのですからたまげました。奇跡が起きています。」の投稿。

 ただ、5月に2回投稿されて途切れています。

 

 10月3日現で、「Y!テレビ」の「あまちゃん感想」の総数51,686件で

  ★5が62% に対して ★1は25% です。

 まったく最近知った「世界」ですので、この数字が何を意味するのか、

他のTVドラマがどういう数字を示しているのか、などを考慮しなければ

ならないでしょうが、この数字のなかにもドラマがありそうです。


来てよ その日を 乗り越えて ーその4-

2013-10-02 17:36:39 | あまちゃん

 「あまちゃん効果」その3、という内容になります。

その1、連ドラ「あまちゃん」を見る人に「幸福感」が拡がっていた。

その2、ブログ「kaeru-23」への訪問者・閲覧数が飛躍した。

さて、その3は、「プロ」 という存在の意味を教えてくれた。

 

 「あまちゃんの感想」を読むなかで、幾つか「あまちゃんのその後」的な物語

つくりが見られたことです。感想文を書いて「なぐさめている」水準から自分で

物語をつくりはじめる人を創り出すドラマこそプロが作ったものだと実感しました。

 もちろんそこから本格的な脚本家など生まれるかどうかを基準にしているの

ではありませんが。

 ドラマから受けた感銘を感情移入の水準から創作という能動性の発揮に飛躍

させる力です。 それは当然、感銘をうけた人の数だけ水準に差があるわけです

から、またドラマのどこに、あるいは演じた誰に、または音楽とか、関心のありど

ころによっての差もあります。 その個人一人ひとりの想像力・創造力のありよう

に寄ります

 その個人の内包していた想像力・創造性に火を点け炎化し、煙さえ立たせる

力は創造の伝播力とでもいえるでしょう。 そして、クドカンという脚本家によって

代表されるドラマ「あまちゃん」の視聴者へのメッセイージを 「来てよ その火を 

飛び越えて」 とすれば 「来てよ その日を 乗り越えて」 その日・2013年9月

28日を自分の創造力・想像力で乗り越えて来て欲しいと、読みかえることができ

ます。

 

 例のkaeru跳びで言えば、現在どの分野でも新しい創造性・想像力が求められ

ています。 それはその分野のプロといわれる人がどれほど創造の伝播力を発揮し

えるか、関わる人の「創造」への欲求を刺激し顕わにさせることができるか、受け手

の問題と同時に渡し手=プロ側の力の質量が問われているのです。


「あまちゃん」 効果だね。

2013-09-30 18:36:54 | あまちゃん

http://tv.yahoo.co.jp/review/67485/ 「みんなの感想 あまちゃん」

です。見てもらえればいいし、もう既に見ている方もおいででしょうが、

ひとつだけ紹介させて下さい。

キョンキョンと同い年で初投稿です。
子どもはアイドル好きのアキ世代、母は歌謡曲好きです。
予想どおりあまロスなので(涙)、こちらにきてしまいました。
星5さんも星1さんのも場面を思い出しながら読んで浸っています。

家族や友達、親戚との会話がほんとに増えて楽しかった。
もの忘れが始まり、介護が必要な母ですが、
「オープニングテーマ」で手拍子をしながら、「すっとこどっこい♪」と合いの手、
「いつでも夢を」は一緒に歌い、
「潮騒のメモリー」も口ずさみ、特に鈴鹿さんの着物版はとても気に入ってました。
免許をとった子どもは、
「潮騒」と「暦の上ではディセンバー」をドライブで歌い、いろんな話に花が咲くように。

愛すべき登場人物たち、小ネタを見つけた時の達成感、自然と食べ物と笑いと涙と、、
あたたかく素敵なドラマをタイムリーに見れて本当に幸せです。
やっぱり言わせてね、感動をありがとう!

 

こういうのを読むと、人を家族を幸福にする(幸福感に浸る)ということの本質

(おおげさ!)がわかるような気がします。


 この「kaeruのつぶやき」で、最近訪問数に3ケタがつづくようになったのも

「あまちゃん」効果の表れで、「このブログの人気記事」10位中「あまちゃん」が

8つを占めています(9/29)。 この転機になったのは?と戻ってみましたら、

この薔薇がありました。

天野家の女性にささげる謝辞。 2013-05-06 | あまちゃん

Kaeruのつぶやき   ブログの開設から 291 日  5月5日のアクセス数

 閲覧数:204PV    訪問者数:85IP

 順位: 18,548位 / 1,867,280ブログ中 (前日比  )

この日の「つぶやき」を読んでいただければと思いますが、はじめてランキング入り

した日(5/5)でした。 実はこの日午前中から内の神さんと横須賀の菖蒲園に出か

けまして、「菖蒲はまだだねー」などと言いながら飯を食ったり、園内を登ったり下

がったりして、帰りヴェルニー公園に出てきて薔薇園に立ち寄ったわけです。

 「天の川」 という名札をみて、パチリ。これを「つぶやき」に載せればランク入りか?

という予感があったのでした。

 というわけで、「あまちゃん」効果 kaeru 版です。


「いのっち」の先を見る。

2013-09-29 18:51:53 | あまちゃん

 飼猫が 「あまちゃん」 に強い関心を示し音楽がはじまるとTVの前に陣取

り、じーと見ていてある場面に来ると跳びつくという動画を見たのです、その

水準の話です。 どういう場面か、多分岩の上から海鳥が二羽飛び立つところ

だったでしょう。

 

 そこで、NHK朝いちの「いのっち」の話になります。 例の「あまちゃん感想」

に 「いのっちがタイトルバックの夫婦岩から2羽の鳥が飛び立つところ、最初

の1羽が飛んですぐそれにもう1羽が続いて、というところも、アキとユイ、春

子と鈴鹿のそれぞれの二人を暗示しているかに見えた」 と話したことを紹介

していました。 これはなかなかすごいことだなー、というのが投稿者の感想

です。

 それはそれとして、この間ずーと気になっていたのは、kaeruの目が捉えた

その先の一瞬です。 二羽の鳥を映したレンズの目は、岩の裏側を捉え瞬間

鳥影を映しますが、何分の1秒で赤い鳥居に変わってしまいます。 それが鳥

であるかないか、それが問題なのです。 岩の一部かも知れないからです。

 どうでもいいことかもしれませんが、鳥だとなると3羽のうち取り残された1羽

だということになり、いのっちのいう暗示の中身が変わってくるわけで、この水準

の 「あまちゃんオタク」 になると鳥か岩は、ハッキリさせて!となります。

 

 GoogleMapで見てみれば、(岩手県久慈市小袖海岸)そびえたつ岩の見え

る範囲にはそれらしき岩の突出はありません、となるとそこには3羽の鳥、寄り

そう2羽とすこし身を引いた1羽がいた、となります。

 

 「ユイと種市にアキ」 とか 「鈴鹿と荒巻に春子」 または「春子と秋に宗正」 も、

人間関係のなかで三角形の一点が外れることによって2点になり、その2点が

一体に収斂されるという定型のひとつの象徴だったりするのかな? 


明日から「あまちゃん」は無い、という日曜日の昼間。

2013-09-29 14:54:36 | あまちゃん

 連ドラ 「あまちゃん」 が社会現象になったといわれ、「アマロス症候群」 が

取りざたされ、このドラマ無き日を迎えたらどう一日を過ごしたらいいのだろ

うという心配を吐露している感想文が多いこと、 そして今日がその第1日目。

 わが身をかえり見ればkaeruの脳と心臓の出来具合から考えてその種の

病に陥ることはないと思いますし、現にこうして秋晴れを気持ちの中にも取り

入れ爽やかな気分でいます。

 ところが、集中された感想文を昨日に続いて読んでいますと、「あまちゃん恍

惚感症」とでも呼ぶべき一群の人々が、今日明日をどう過ごされるか気にかか

ります。

 例えば、こんな感想文(29日9時頃)  「私はきっとアマロスだ。日に何度も

ここを(Yahoo「みんなの感想」)チェック。テレビであまちゃんの音楽が流れる

といち速く反応、あまちゃん出演者の顔がテレビに出てくればもれなく観る。~

 本当にヤバい。潮騒、地元、ディッセンバー、オープニング曲が頭の中でグル

グル。

 今日は日曜日だから大丈夫、でも明日の朝が怖い。 ………。」

 こういう人沢山いるようです。

 

 昔といっても明治大正の時代ではなく、昭和の20年年代後半か。NHKラジオ

で 「君の名は」 という連続放送劇が大ヒット、その時間帯女風呂が空になった

ということでした。 自宅に風呂場をもつなどという贅沢は考えられない頃の話で

す。 今でいえば社会現象と評されたでしょう。

 でも当時、お互いの感想は多分、放送後の風呂場や井戸端などで賑やかに

交わされていたことで、それを文字にし発表する機会など極限られた人にしか

無かったに違いありません。

 TV番組のヒットといえば、TBSの「半沢直樹」が視聴率42.2%を得たとのこ

と。  「あまちゃん」が20%後半です(最終日は未集約)からこれを 「半沢現象」

と名付けるのも肯けます。 ところで「Yahooみんなの感想」での感想総数を見

ますと 「あま」51020件24時間以内456件、「半」6618件と21件。

 単純にでている数字だけでその中身をみているわけではありませんので、ど

うこういうのは当て外れという面もあるでしょうが、圧倒的に「あま」の多さ!

 

 なにがこの違いを生んでいるのか、これも社会現象としてみていくことが必要

なことでしょう。 いずれにしても「kaeruのつぶやき」 のカテゴリーのひとつとし

ての 「あまちゃん」 はかなり先までつぶやきつづけていけそうで、「アマロス症

候症」 を自称する方がみている方の中におられましたら、その 「治療」 に幾分

でも役立てることでしょう。


終ってみれば、始る疑問。

2013-09-28 20:41:25 | あまちゃん

 今朝終った「あまちゃん」への反応がすごいです。ネット世界ではその感想

文でいっぱいになっています。100%絶賛とはいえませんがかなりの率の

五つ★、それでも★一つも結構目につくのですから蓼食う虫も好き嫌いとい

うものです。

 そうそう読めるものではないのですが、200人位を読んでみてその限りで

は誰も触れていないことで気になっていることがあります。

 

 ユイの彼氏についてですが、彼はかなり重要な役割をしている筈です。たし

かにユイ自身がアキにも紹介しない、と言っているので出番がないのでしょう

が、でも話の流れから見れば役割は重いといえます。

 彼女が立ち直るうえでかなり大切な存在であった筈、アイドルへの夢、父の

看病と母の失踪、非行に走る日々のなかで異性との交際も正常ではなかった

でしょう。 そういう環境のなかで他の要因があったにしても、立ち直っていくうえ

で身近に恋人的な支えがあったと設定することは自然でしょう。

 同時にユイが彼氏の存在を口にする場面が無くても彼女の立ち直りは十分理

解できるドラマの展開でもありました。

 アキにその存在をほのめかす程度で、それ以外の場面では「彼氏」は登場する

ことなく、なぜドラマは終ってしまうのか。これは恋愛ドラマではない、アキの恋の

行方も不明のままではないかとも言えますが、最後に三組の男女の結婚式を織り

込む展開は、大震災あとの合言葉 「絆」 の集約的表現だったでしょう。蛇足です

が「絆」の核は愛情です。

 

 ユイの 「彼氏」 をどんな男としてみたいか、忠兵衛さんの若い頃の気性で、大震

災を潜り磨かれた青年の「天然性」を、そこに見たいと思います。都会という「不自然」

な場所では開花しなかったアキの天然性は、北の海岸で花開きました。それに対比

した男性の 「天然性」 が 「3・11」 からの復興のなかでどう開花するのか、魅力ある

テーマでしょう。


Sachiko M の響き。

2013-09-27 20:37:31 | あまちゃん

 「あまちゃん」 の魅力に音楽がある、はじまりの音楽を聞くだけで、「あま

ちゃん」に洗脳された者の如く魅かれていくから、ある意味ではだらしない

話しです。 昔読んだトルストイの 『クロイツェル・ソナタ』 は音楽の「恐ろし

さ」 を描いていたと思うのですが、違う意味でやはり油断できないものだ

と思います。

 この番組の音楽は大友良英、と思い込んでいましたら先日のTV画面に

大友さんの名前と並んで Sachiko M とのサインが見え、?……。

 どういう人なのか早速Wikiなどを検索して、大友さんとともに活躍し現

在では独自の演奏活動をすすめていて、今回の「潮騒のメモリー」 「暦の

上ではディセンバー」 などを大友さんとともに作曲していたのでした。

 

 なによりその演奏法の新しさで、「信号音の組み合せで即興演奏をす

る」 と書かれていて、なんのことやら分からないけれど 「良いね」 という

気分になります。「古い奴ほど新しいものを欲しがる」 のセリフの通りです。

そういう奴の感覚を刺激し元気づける響きが、大友音楽の 「隠し味」 の

ように Sachiko M の音楽感が聴く者に伝わってきているのでしょう。

 

 昨日、つぶやきました 「純情きらり」 は音楽が大きなテーマになっている

のですが、kaeru感覚では 「学校音楽・教室音楽」 の枠でしかないという

感じです。 生活感覚の中に新しい力を加えることのできる響きを音に求め

ていきたいものです。

 そう言えば、森山神社の奉納演奏・GOCOOの和太鼓演奏の時(8/25夜)

雨があがったとはいえ頭から足までずぶぬれでしたが、太鼓の響きのなかに

身をおいている間、冷たさを忘れていました。一休みしている間オカリナ演奏

でした、とたん冷たさがもどってきて座っていられなくなり帰宅したのです。

 ひと時とはいえど体の中から力をつくりだす音・響き、生活のなかで生き活き

と活動する力を生みだす音楽、最も苦手とするこの分野でも、心躍るものがあ

ると知って我が感覚も捨てたものではない、と気をよくしているのです。


おらたちの夢、いまでも熱いよね!

2013-09-22 18:49:50 | あまちゃん

 先週まで 「おらたち、いつでも夢を」 、明日から 「おらたち、熱いよね!」で、

その後は終わり。 終わりを前にして世間では「アマロス症候群」=「あまちゃん」

が終わったあとの喪失感による心的外傷後ストレス障害(別名PASD)が問題に

なっているとか、いないとか、まあ、いないんでしょうが。

 

 それにしても大したもんです、あまちゃん人気! この人気の元はなに?

能年玲奈という女優の起用ですが、先日のNHK「朝イチ」に出演していたのを

観て、この人の「天然性」(自然ではなく)、赤ん坊の持っている天然の柔らかさ、

を感じました。自然というと広がりをもった感じがしますよね、天然というのは鰻

を「旦那、これは天然ものだよ」と店の親父が自慢げに言う塊の感じ。 自然の

神秘の前に、口を開けたり閉ざしたりして感銘する様、天然水は喉元から食道

を伝わって体内に広がっていく感銘。

 

 仮に、丸テーブルを見ず知らずの五六人が囲んでいて能年さんが居る、kaeru

も座っているとします。多分そこにいる能年さん以外の人は緊張しないでしょう。

彼女は、ある程度の時間まで固くなっているんではないでしょうか。彼女はその

存在だけで、彼女を見ている者の心を和らげるという気がします。赤ん坊がすこ

し緊張していても周りの者は、ニコニコしているという感じです。

 「朝イチ」で自宅に居る自分を「生ゴミ」みたいなものだと称していました、自宅

ではだらしなくしているという意味で。 これはどういう状態なのか、人は食べ終

わった残りものの前では緊張しません。食事にはいろいろ作法があるようで、食

事時はかなり気を使わなければならなくても、残り物に対しては、まして厨房に

下げられ生ゴミ化した一群の「残飯」の前では気を使わなくってすみます(その処

理に気が向く以外は)。

 自宅の女優能年さんは自分の持っている「天然性」で緊張を解すことをやってい

るのです。ただこの「天然性」は赤ん坊の生来ものとは違い、女優修行という人工

化を経たもので、ある意味で磨きのかかった天然性、古代虫を内包した琥珀です。

 

 これと同じ天然性は誰にでも内包されている筈です、人間である以上。

 「あまちゃん」への関心は、自分内の「天然性」をどうやって活性化するか、への関心

ではないでしょうか。これからの1週間、kaeruがアマロス症候群に陥らず、その後を

見据えて我が身の天然性の活性化の道を見いだしてみたいと思います。

 そのタイトルが「おらたちの夢、いまでも熱いよね!」です。


おらたちの夢の底にあるもの。

2013-09-19 19:54:50 | あまちゃん

 今週も終り間近か、来週で全部終わり、「あまちゃん」のことです。始りあれ

ば終りあり、で当然ですがちょと寂しい。今夜の月を脇に置いてこんな本を開

きました。  『北限の海女』 (亜紀書房・2013・7刊)という本です。

    

    

 写真は表紙の表裏、B5版です。その2、3頁の見開きが下の写真です。

  この3頁の写真の海女さんは、アキちゃんユイちゃんではありません。「復

刻版」とあるように「北三陸史窓」という1990年6月刊の郷土史誌、23年前

の「北限の海女」ちゃんです。

 この本の内容は二部構成、第1部が復刻版『ルーツ 北限の海女』、第2部

に「海女の暮らしと観光 ラジオドラマからテレビドラマへ」 として、昭和34

(1959)年放送のNHKラジオドラマ「北限の海女」(脚本水木洋子)をはじめ、

2009年に「かわいすぎる海女さん」と話題になった高校生海女などが紹介

され、今度の「あまちゃん」紹介の頁へとつながっています。

 

 第1部の「小袖の海女が語る」(平成二年二月聞き取り)で古老(72歳・

64歳)の海女が話しています。

「わたしの父は、大和丸で遭難して亡くなった時、私は十三才でした。~

わたしと同じように、この小袖では男親を、海で失った人が多く住んでいます。

だから子どものころから苦労をし、働かなければなりませんでした。~小学校

を卒えれば、早々に嫁に行ったものです。わたしも十六才で…、あんたは十七

才の数え年でしたか。

 嫁にいくといっても、夫はいなんですよ。徴用であったり召集でいってる夫、

それに遥か遠くの外洋で出漁している人の家です。~まあ考えてみますと、

結婚ではあるが、それよりも不在となった漁師の家の、働き手を補充しなけ

れば、という意味があったと思うのです」

「これでおしまいか!と思ったことは何回もありますよ。 息をつめて根かぎり、

耐えに耐えての仕事なもんですから、最後の“ふなばり”への用心が必要な

んです。“ふなばり”とは、海の底の獲物をヤッカリに入れて、重くなった自分の

体もろともに、岩場を強く踏むことをいうんです。その弾みで一気に海面に顔

を出すわけです。

 ウニでも、アワビでも昆布や若布の繁みによくいるものですよ。ところが欲

ばってその中に入って、昆布が絡る若布が絡る。藻草が絡ることもあるんです。

もがいても取り払おうとするがなかなかもんで、だんだん息が苦しくなってくる。

これで終わりかな!と思うことがあるんです。

海底の岩場で、体がようやく入るような穴場によく獲物がいるんです。体を横に

するようにして入り込み、おもしろい程獲物を採っても、いざ抜け出す時に苦労

するんです。ほんとう死ぬ思いをするものですよ。」

 

 ドラマではありますが、「あまちゃん」に出てくる海女さんたちのエネルギーの

元には、こんな歴史が堆積しているのです。


来てよ その日を 乗り越えて ーその3-

2013-09-02 21:12:18 | あまちゃん

 あまちゃんの 「3・11」 は夏休み中になるのではないかと予測していまし

たが、まぁ一日違いでした。 

 今週は 「おら、みんなに会いでぇー」 で、アキが北三陸に帰る決意をし、

壊滅状態になった 「海女カフェ」 の再建に挑むのです。 アキは今の自分

の出発点になった北三陸の祖母夏をはじめ海女仲間との、地元での協同

の場こそ自分が活きる場所だと確信します。

 この思いがどれ程 「3・11」 の直接的な被害者の心に添うものであるか、

今でも、いや生涯夢にしか会えない人を抱いて生きている人々が 「会い

でぇー」 を切なくさせ、なお生きていく力をそこから掴んでいくことができる

のだ、と思います。

 

(PC前をはなれて、NHK「鶴瓶の家族に乾杯」薬師丸ひろ子in夕張を見てき

ました。自治体財政の「破綻」の地ですが、ふるさとは選べないと、親を選べな

いと同じです、 だからこそ自分の生甲斐を投じるのだと。アキにとっては北三

陸がふるさとなのだと、思います)

 

 さて、この最終の1カ月どうドラマが展開するか、女優・能年玲奈が切に 「あま

ちゃん2」 のクランクインを願っているとのことですが、視聴者も是非とも!と思う

かどうか(そうなるでしょうが)の、この1カ月です、天野家の女性に連帯!