kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

今夜も寒い、が……。

2013-02-12 23:43:17 | 中間詩的つぶやき

 一昨日は膝が冷えると、つぶやきました。 今夜はキーボードに置く手が冷

えます。 こんな夜に思いだすのはひとつの言葉と一人の女性です。

 言葉は「地球は青かった」、女性はM大学生。

 この言葉を読んで「あーそうだ」と思う人も少なくなっているかも知れません。

「人類名言集」とでもいうものがあったとしたら入れられていてもいいものなの

ですが、どうやら実際に言われた言葉ではなさそうです。

 言ったとされている人はユーリイ・ガガーリン、1961年に人類最初の宇宙

飛行に成功した旧ソ連邦の空軍兵士、言ったという時期は彼が地球を一周し

帰還した後のインタビューのようです。

 下のURLで、

 (下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://hoshi-biyori.cocolog-nifty.com/star/2006/03/post_741b.html

(このブログはガガーリン記事を追っています、あとで時間をとって読んでみ

たいと思います、みなさんも参考にしてみて下さい。ガガーリンについての概

要はWikiなどで当ってみて下さい。)

 

 当時1961年4月頃、私は民主青年同盟の専従でした。 生活費は同盟費に

よって賄われていたので食うだけでギリギリという状況でした。メガネが必要と

なりその費用をどう工面しようかと悩んでいた時、同盟のM大学班からカンパ

が寄せられたのです。「専従者にメガネを!」という訴えが出されて、必要な金

額が寄せられました。

 それを届けてくれたのが、Mという班長、ありがたく頂きながら彼女と語り合っ

たのがガガーリンのことでした。 彼が宇宙飛行を続けながら「詩」を詠ったとい

う報道があり、宇宙飛行士という高度の知識と技術を体得し、なお詩的センス

も発揮し得る人間像が「共産主義社会」で生れているのだ、ということを。

 

 そのソ連観はいまから見ればあまりにも楽天的ですが、そのソ連共産党の苛

烈な日本共産党への干渉と闘いながら勝ちえた科学的社会主義の未来社会

論での人間観は彼女と語り合った人間像と一致しています。

 仲間の暖かい思いと科学性に裏付けられた熱い展望は、こういう夜のなによ

りの暖かさで、寒い夜が教えるのは春が間近だという予感です。


「建国記念の日」

2013-02-11 22:29:28 | 中間詩的つぶやき

 今日の休日は「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」です。 なぜ「建国

記念日」ではなく、「の」が挿入されているか、それについては下記を。

  (下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-02-11/2013021101_06_0.html

 

 この一文のなかにある 「紀元節」 では1940年の「神武天皇即位2600年」

に全国で祝いの行事が行われましたが、そのころ2歳半位の私の記憶のな

かにも祝賀の歌「紀元二千六百年」が残っています。 もちろん、その時だけ

でなくそれ以降ラジオなどで折りに触れ耳に入った結果でしょうが、小学校に

上がる前の幼児の記憶にのこるほどの思想啓蒙であったわけです。

 

 暦に「神武天皇即位紀元二千〇百〇十〇年」と記されはじめたのは、明治

五年の十二月三日を明治六年一月一日にする、という明治改暦からのよう

です。 明治新政府の最初の暦=明治二年=にはそれは記されていません。

最後の太陰太陽暦の明治五年の暦にも見られず、最初の太陽暦の明治六年

から記されています。 明治六年は「神武天皇即位紀元二千五百三十三年」と

なっています。(『日本の暦』渡邊敏夫著・雄山閣・昭和51年刊による)

 

 江戸時代の人口二千八百万、そのなかで500万部の発行部数だったとい

われ、当時の一家にひとつの普及を見せていた暦に「紀元」を記すことは、

明治政府の国家づくり=天皇制絶対主義国家の国民啓蒙に大きな影響を

与えたに違いありません。


和暦・睦月・元日

2013-02-10 23:37:31 | 中間詩的つぶやき

 今日は元日です。 

 ?でしょう。

 ちょっと見難くて申し訳ありませんが、うちのカレンダーでは正月・睦月・

一日になっているのです(上右の文字)。 下の方の2月10日は西暦2013

年・昭和二十五年=現行暦の「今日」です。

 今日が月の始めであることは何よりも、月齢29.3のまっ黒な月=見えな

い月が示しています。 巷ではこの暦を旧暦と呼んでいます。 ここでは和暦

と名付けましょう。

 以前、月暦とも名付けたのですが、洋に対する和であり、平和の和で、調和

にも和があり、「和をもって貴しとなす……」にもある和で大和の和、やはり和暦

という名が似合うようです。


寒い夜には……。

2013-02-09 22:36:19 | 中間詩的つぶやき

 寒い、膝が冷えます、かなり厚い股引を穿きこれも厚いズボンでいる

のですが冷えが伝わってきます。こんな夜は早く寝床にもぐりこむべきで、

つぶやきも早口でいきます。

 こんな夜に思いだす歌と女性がいます、歌は「みちづれ」、女性はかって

同じ仕事を共にしていた同志ともいうべき人。

 ♪ 水にただよう浮草に  おなじさだめと指をさす

   言葉少なに目をうるませて  俺をみつめてうなづくおまえ ♪

 は一番、二番に  ♪ 寒い夜更けはお酒を買って ♪ があります。

 

 彼女は酔うと、すこししゃがれた声でこれを歌うのでした。

 私はここを「寒い夜には」と覚えていて、いま念のために歌詞をみたら

「寒い夜更けは」でした。 心臓を病み故郷にもどっていましたが、一年ほ

ど前亡くなりました、生涯独身でした。

 旧職場の仲間と昨年墓参りをしました、60代をわずか越えた歳でした。

  そんなことを、この「つぶやき」でもたしか触れたと思います。

 

  ♪ 夢になかでもこの手をもとめ ♪

 こんな夜は、身も心も温め合える「みちづれ」を夢に求めていたかと思

います、合掌。


今日は無礼講。

2013-01-15 22:57:16 | 中間詩的つぶやき

 元日を大正月と呼ぶのに対し、十五日を中心とする正月行事を「小正月」

といいます。昔、日本では一年の最初の満月(旧暦一月十五日)を一年の始

めとしていた名残とされ、小豆がゆを食べるなど家庭的な正月行事や「どん

と焼き」などが行われます。

 

 上の「小正月」解説は「天地明察」日めくりカレンダーの今日・十五日に記載

されているものです。せっかくの日めくりですから偶には登場させたいと思いま

す。 そういう訳で正月気分などまったく無くなっているかと思いますが、お付き

合いのほどを……。

 気分を清少納言の時代に移ってもらいます。

 「枕草子」の(正月)七日からはじまる第二段、

 十五日(とをかあまりのいつか)、節供(せく)参り据ゑ、粥の木ひき隠して、

家の御達、女房などのうかがふを、打たれじと用意して、(あと略)

 この部分の現代訳

 十五日、小豆粥の祝い膳をお出しした後、粥を炊いた薪をちょっと隠して、

女房たちが(互いにお尻を打とうと)すきをねらっているのを、打たれまいと

用心して、(あと略)

 

 小正月を女正月ともいい、大正月が上層の儀礼的性格をもっていたのに

対して家庭的な平安貴族の家でも無礼講で、粥を煮る薪を削った「粥の木」

で女の尻を打つと、男の児を懐妊するという俗信があって、その様が書かれ

ています。

 


「日めくり」の一枚目。

2013-01-01 22:28:24 | 中間詩的つぶやき

 待望の日というのは大げさ過ぎますが、「天地明察 日めくりカレンダー(月

齢)」の一枚目=〔旧暦〕十一月〔霜月〕廿日を開きました。 なにやら商品宣伝

めきますが、「こんなものが欲しかった」ので使う日を楽しみにしてきました。

 もちろん日めくりにも世間一般のカレンダーの今日の日付が2013年1月1日

と印されていますので世間様とのお付き合いに戸惑うことはないでしょう。

 2012年に続き、今年も森山神社の境内で初詣の人々とともに新年を迎えまし

た。 短時間の睡眠のあと朝からの参拝者に 「甘酒をどーぞ、お神酒もあります

よ」と声をかけ、「おめでとう」の挨拶を交わして来ました。

 午後は寺の新年の集まりに出席し、日蓮宗ですので打ち鳴らされる太鼓とと

もに坊さんのお経を聞いて来ました。

 

 一年の最初の日をこのパターンで迎えることはかなり長く続くでしょう、続け

たいものです。 人が神仏によせる思いは神仏が人間の精神活動が生みだし

た「もの」である以上「人によせる思い」に他なりません。

 この一年、「人によせる思い」の「そもそも」の実践と考察を自覚して過ごし

たいと思います。 「kaeruのつぶやき」がその足跡であれば、のこのこ歩き

や飛び跳ねてみたり、水中にもぐり行方不明かと思われたりするでしょう。

 まずは、つぶやき手の自分自身が楽しむこと、ついでに読む人も楽しけれ

ば嬉しいことです、多分本物の蛙もそれで鳴いているのでしょう。


kaeruの「おくのほそ道」5

2012-12-01 19:13:19 | 中間詩的つぶやき

 「一歩一歩の足跡の先に……」を上のタイトルに変えました。

 今日のデーターによると、

「昨日の歩数 11,655歩 黒羽まで、あと24.1km 35,626歩で 達成です」

いずれ二三日のうちに黒羽到着になりますので、その時に又……。

 

 ノンフクション作家・金森敦子さんの『江戸の女俳諧師「奥の細道」を行く』によ

ると俳諧師・諸九尼が京から江戸に向かう途中、明和八年四月二十六日(1771

年6月8日)の記録に「七里ガ浜、由比ヶ浜を通って鎌倉へ。途中、鰹が群れ来る

のに行き合う。波の色がまるで墨を流したように真っ黒に見えた。」とありました。

 kaeruが「おくのほそ道」をたどる案内に金森さんの『芭蕉「おくのほそ道」の旅』

を手元においていますので、たまたま同氏の諸九尼の生涯を書いた本を開き、こ

れもたまたま「鎌倉」の文字を目にして、覚書的にここに書いておきます。

 毎週三日は、由比ヶ浜、七里ガ浜を江ノ電の窓から目にするので、なおのこと覚

えておきたい記録です。

 

  目に青葉山郭公(ほととぎす)はつ鰹    山口 素堂

  鎌倉を生(いき)て出(いで)けむ初鰹    松尾 芭蕉

 


「一歩一歩の足跡の先に……」 4

2012-11-29 22:34:27 | 中間詩的つぶやき

 今日届きましたデーターは、

 「奥の細道の旅  〇現在地 日光に到着しました。おめでとうございます。

   次の目的地目指してがんばりましょう。

   〇次の目的地  黒羽    〇次の目的地までの距離  42.9km

     〇次の目的地めでの歩数  黒羽まであと42.9km63,133歩で達成です。」

  とあり、添付された地図には

   「11月29日(木)時点のあなたの実績  昨日の歩数9,740歩 

       黒羽まで、あと37km  54,677歩で 達成です。」

   となっています。

 

 要は現在kaeruは、日光を後にし黒羽に向かい6kmほど歩き37km先に次の

目的地がある、ということでした。 日光から6km、地図によると鬼怒川の大渡橋

のかなり手前という感じです。

 元禄二(1689)年四月二日(5月20日)、曽良の旅日記によると 「天気快晴」

のもと朝8時頃宿を出ましたが、午後には 「雷雨甚強」 土砂降りのなかを12km

ほど歩いて「漸ク玉入(玉生)ヘ着」。

 「同晩 玉入泊。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル。」 なかなか大変は旅です。


「一歩一歩の足跡の先に……」 3

2012-11-27 23:10:42 | 中間詩的つぶやき

 21日に「奥の細道」のルートをピョコピョコ歩いていて、「室の八島」の手前

12kあたりです、と申しましたが今日のデーターでは、日光まであと9kの地点

にいることになっています。 昨日の歩数が11113歩、仕事のある日もその位

歩いていますので、何時の間にやら「室の八島」を通り越していました。

 

 芭蕉の旅の目的に各地の歌枕を訪ねることがありますが、「室の八島」はその

一つで、日光へ向かう道から脇道にはいり寄った所です。

 平安中期の歌人、藤原実方の和歌 (三省堂『名歌名句辞典』)

    いかでかは思ひありとは知らすべき   

              室の八島の煙ならでは

  が、「室の八島」を詠んだ最初の歌だそうです。

 

 さて、今日は仕事中心に14518歩ですので、完全に日光を通り過ぎている

ことになりますが、データーがそう表示されないと歩いたことになりませんので、

データーの出たところでご報告になります。   


「一歩一歩の足跡の先に……」 2

2012-11-21 19:43:22 | 中間詩的つぶやき

 買え変えたスマホンに、その日の歩いた歩数によって芭蕉の「奥の細道」

の旅程をたどるというアプリがありました。10月28日から歩き始めていたよ

うです。 ようです、などと書くと夢遊病者であるかと思われますが、「健康ア

プリ」 の一機能としてあったものでその部分をクリックしたことは覚えている

のですが、昨日まで忘れていました。

 

 このアプリによると、春日部を出て次の目的地の「室の八島」まで、あと12K

の所にいます。「次の目的地までの歩数」として17,880歩となっていますから

一歩=0.67mと計算されています。 芭蕉は深川の芭蕉庵を出て見送りの人び

とと舟で千住まで行き「千じゆと云所にて船をあがれば」、そこから同行の曽良

とともに徒歩となります。一泊目が粕壁(今の春日部)、二日目の旅程が歌枕の

地「室の八島」へ。

 kaeruは気がつけば、その「室の八島」の手前12K(四里)をピョコピョコ歩い

ていたわけです。どんな蛙かは、この写真をお借りしました。

http://basyo.okunohosomichi.net/13tokyo/003fukagawa/fukagawa.html