葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

生の床、死の床。

2021-04-19 19:20:18 | 病は道連れ

18泊19日という日程で旅をしてきました、とつぶやきたいものですがここは入院を終えました、と記すところです。

心臓の検査が予定された前日、どういうわけか明日の夜もこうして目を天井に向けているのだろうか、という思いが浮かんできて「オイオイ何を考えるのだ」と自分に言いきかせていました。やはり心臓に難があるらしいということが潜在している思いを浮かびあがらせたのでしょう。

手術の前夜は全くそんな気も起きてこないのですから、人の気持ちはわかりません。それにしても病院のベットは幾人もがそういう思いで目を天井に向けた場であったでしょう。ある意味ではそれは生の床であり同時に死の床でもあったのです。

そんなことを考えて、我が家の我が床に身を横たえると、なるほどここが我が身の収まるべき床であると深くうなずけるのです。

帰りの車中で、妻から近所のご婦人の訃報を聞きました。80歳5、6だったでしようか、10年ほど前にご主人を亡くされひとり暮らしを続けてこられていました。この半年くらい軽い認知症という感じで挨拶をしても反応がなかったりしてました。少し前に自宅前で役場の人2、3人が息子さんらしい人とご本人を囲みながら話しているのに出会いました。

4、5日前に息子さんが連絡を入れても返信が無い、急ぎ来てみたら自宅の炊事場で倒れてすでに亡くなっていたとのことです。息子さんが同じ町内会の組のなかを挨拶にまわられて話されたそうです。

次もひとり暮らしの訃報、私のこのブログで以前何回か「つぶやき」ました小父さんのことです。昨年の今ごろでしょう、それまで定期的に夫婦で伺い夕食と晩酌を共にしていたのですが、私の体調不良もあって伺えない月が重なっていたある日、息子さんから妻に電話、父と電話連絡が取れない様子を見て来てくれないか、とのことでした。

小父さんの息子さんは勤務先であり世帯を持っているのが仙台市近く、毎週日曜日夜には必ず父親と電話で交信してきたそうで、今までなかったことで心配ですと。妻が駆けつけたが鍵がかかっていて入れず、救急に来てもらい一緒に入ってわかったのはやはり室内で倒れていたそうです。声かけに反応があり直ぐ救急車で病院へ向かったとのことでした。

半月ほどその病院で様子をみていましたが、息子さんの判断で自宅の近くの病院に移りましたが半年くらいで亡くなりました、意識は戻らなかったとのことです。

こういう例はそれほど珍しいことではなくなっているのではないでしょうか。「2025年問題」と称されることがあります。

この「つぶやき」では、ここでいう〝団塊の世代〟の一世代上の世代ですが現在の70 歳台は接続した世代として、今のままでいくと同様なことがもっと広がっていくのではないでしょうか。とても自助では解決しません、互助も大切ですがこれもお互いが同じような状況ですから、頼り過ぎるわけにはいきません。やはり公助=政治が本気になって対応するという構えに立てねば解決の道は見えてこないでしょう。

そんなことを考えると、これは気張らねばとの思いが強まります、やはり一番元気になるのはこれかな。

コメント (2)
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