朝、足を見たら足首から先が白い、触ると冷たい、なるほど血液が足首から先へあまり行っていないのだ。19日間ほとんど歩いていなければ、血液も必要なくなるのだろう。
ということで、今日は歩いた、4000歩近く……、歩けることが分かったが歩き過ぎることも分かった。腰が痛い、帰りのバスから降りて300歩くらいが辛い、前ががみになる、杖があれば使っただろう。そういえば逗子の駅のまわり歩く老人の杖姿が目につき、それを見てあえて腕を後ろに組んで歩いてみたりした。
風呂に入る前足の色はかなり普通に戻っている、風呂上りの足はまったく元に戻っていた。我が身体を支え移動を保障する頼もしき脚である。
一昨年亡くなった娘、死に近いときの娘の足を思い出した、白く冷たく伸びていた、心臓から一番遠い身体の部分。19日間などという期間ではなく、数十日間歩いていなかっただろう。足を摩ったりマッサージ師に通ってもらったりしていたが、やはり自然の血流にはならなかったのだ。足先へ血流を届けなくなった心臓はその働きを弱めていったに違いない。
一個の人体はそれ自体一個の有機体だから全ての部分は相互関係のなかにある、部分の死は全体の死の一時期なのだ。
同じ末端であるが手首から先はまったく普段通り、それは当然で寝たきりであっても手はかなり動いている。それに何度もの採血があり、心臓へ何やらを挿入する入口にもなった、心臓を主戦場だとすれば前線基地の役割を果たしてくれた、食事をはじめよく我が身を支えてきた。
要は「使う個所には血が通う」ということなのだ、すると我が身の肝心な部分・脳に対しての血流はどうだったか?
準備された入院だったら本の1、2冊は持ち込んだろうし、アイパッドもベットの脇の置かれていただろうが、それらが無いスマホ頼りの病床生活で、スマホで書きこむというのは不自由な作業だった。とは言え、去年の腎盂炎の高熱のなかでの脳内劇場=あの世でのバスの旅物語は、面白かった、まだ書き足りない部分があるのでそのうちつぶやいておきたい。
こうなるとこの間、脳は何をやっていたのだろう、心臓に負担をかけまいと活動を自粛していたとも思えない。意識的な動きが無くてもうつらうつらの夢状況か無意識のなかか浮かんでくる意識性の影のようにものをとらえていたか。それが前にふれた心臓検査前夜の「死への意識」だったのだろう。「オイオイ何を考えているのだ」と言いきかせたと記したが、それは「やはりそんなことを考えていたのか、分かる」とうなずいたうえでの己に対する言葉だったと思う。
意識が脳の機能の現れであると同様無意識も脳機能であれば、作用と反作用の関係にある。意識の弁証法ともいうべき相互関係のなかで相互に深みを増していく、そんなふうに思える。死生観とか「生きる死ぬ」を意識の水準に置いてみると、同様な関係が見えてくる。足なら足、手なら手の部分死と身体全体の死との関係にそれは見られると思う。あわせて肝心なことは部分が同時に全体であるような、心臓とか脳あるいは肺などは、その部分の死が全体死につながっている。
なかでも脳の独自機能の意識する能力、その本質的機能である創造性が生の達成点として死(あくまでも個体としての)をとらえれば、死は生のなかに包みこまれていくに違いない。
さてこれは、平熱のもとでの「あの世物語」の続編なのだろうか。