部、篇、章というのは、住所の表示に似てます。
住所は国、県、市(郡)町村、字、丁目、枝番 とつながります。
章の後は節です、住所でいえば枝番に当ります。
ある国を知りたいと思い訪ねることにしました。
案内書もなしに、その国の 「入口」 から歩きだして、道に迷う。 そして歩く
ことを諦めてしまう、その国は分からぬ難しい国だ、ということになります。
それを 『思想史の中のマルクス』 では、
≪『資本論』の最初の3章には、~が長々と書かれています。大部分の読者
は、ここで 『資本論』 を読み通すことは自分には無理だな、と諦めてしまい
ます。≫と書かれているのです。
ならばどうするか、というのが、昨日の
「はじめて 『資本論』 に挑戦される場合には、~まずは第四章から読
み始めるのが良いかもしれません」 です。 この「~」には、
「とりあえずここは飛ばして、」 とあります。 「国訪問」 のたとえで言えば、
「とりあえず、歩かず車で行くかヘリを飛ばして、」 ということでしょう。
そして少し高台の見通しの良い「第4章」地に立ってみよう、ということです。
なぜ、そこ 「第4章」地が見通しが良いのか、何が見えているのか?
まだその「地」の入口に立ったばかりですが、どうやら此処に「資本」が書か
れているようです。 実際最初の第1章から3章までには「資本」という文字さ
え稀にしか見ませんでした。
「資本」について理解したいと 『資本論』 を手にした人は、どこから「資本」
がはじまるのか、と思ったでしょう。
ここからです、第4章は 「貨幣の資本への転化」 というのですから、ここに
「資本」が居ます、という表示です。 でも少し気になるのは 「貨幣」 について
勉強を 「飛ばして」きたが、大丈夫なのかです。
でもそいうことをいちいち気いしていたら先に進めないのです。
テキストでも 「とりあえず」と言っているのですから、そのうち分かる仕掛け
があるのでしょう。
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