kaeruのつぶやき

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季語 送り火

2016-08-16 22:08:29 | kaeruの五七五

  歳時記とは何だろうとか季語とは? というようなことがひっかかっていて頭がハッキリしません。「伝えよと歳時記にある原爆忌」からはじまったことなのですが、どうやら根は深いようです。いま問いかけられていることに直接には関係していませんが、原爆忌を季語として否定する論議もあって、余計モヤモヤしてくるのです。

   そこで原爆忌から離れて季語としての送り火に頭を向けます。今日は盆の十六日で送り火でした。午後の盂蘭盆施餓鬼会(これが今日のお寺での行事の正式名称で「うらぼんえせがきえ」というのです)に夫婦で参加しました。そのあと他を廻って通りの裏の下り坂の途中で火が焚かれ初老のご婦人が鉦のような物を叩いていました。

   この辺の旧家で地主さんの家族と見受けました、送り火です。ひと雨降ったあとで次ぎの雨の前にというのでしょう。わが家でもと急ぎ帰宅、玄関前で無事父母の霊を送りました。

  さて季語としての送り火です。岩波文庫の『俳諧歳時記栞草』の「迎へ火」に、

【 七月十三日黄昏に及びて、都鄙(とひ)ともに聖霊を迎ふるの義あり。此時、門前において、必麻柯(をがら)を焚きてこれを迎え火といふ。十六日又これを行ふ、これを送り火といふ。】

とあります。我が家では迎え火を十三日の午前中にします、義姉と甥姪や長男一家の都合と坊さんの読経の前に霊を迎えておきたいからです。

  お寺で妻が挨拶をした若い女性がいました、私も頭を下げましたが誰なのか? あとで妻に聞くと去年亡くなった近所の家の娘さん夫婦と子供さん、残された奥さんは今施設に入っているそうです。家は空き家、実はその隣は亡くなった人の兄にあたる人かなり前に故人に、その老妻も施設に、二軒続いての空き家だと知りました。当然のことながらその家で迎え火送り火が焚かれることはありません。

   我が家の両隣も去年亡くなっていますが、迎え火送り火はないようです、ここは空き家ではありません。各家の習わしの違いもあるのでしょうが、やはり少子化など家族構成の変化が基本にあるのでしょう。そういう世相の変化のなかで盆の諸行事を含めて季語「迎え火送り火」はどうなっていくのでしょう。

さて、原爆忌について耳を傾けたのはこれです、

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/12/blog-post_8830.html

内容を支持するとか反対だとかいうことではありません。



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