kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

日曜日だけど、 もうすぐ月曜日だね。

2023-02-19 20:32:54 | 算数+数学

そういう夜は頭の体操をやめて目の運動!

全部(10✖️20=)で200個の529があるように見えるが……、

529以外の数字があるか? あればどういう数字で何個か? という問題です、ハーイどうぞ❣️ 正解は月曜日のどこかで……。


言霊について

2023-02-18 16:35:27 | いち日の言葉

昨日の「つぶやき」の続きのようですが、がんから離れた「つぶやき」で言霊に少しこだわってみます。言霊の前提は言葉です、言葉と言霊についての作文がありました。

全文はこちらです、鹿児島の中学校一年生が書いた作文です。

こちらから読めます。

https://www.moj.go.jp/content/000117840.pdf

 

この短い文は「ブリタニカ百科」の「記号学」から、

これを読んで思い出したのが鎌倉の某所の病院に清掃の仕事で行っていた時のこと。四階建てですから1階の病室は101とか105、2階は203ですが、4階は501からはじまってました。そう言えば104も204も無かったです。

4は死に通づる、ということで忌み数字です。やはりがん治療で入院となって病室は444号などと言われたら !? ですね。

 

こちらは昨日の「つぶやき」で kaeruの返信コメントです、

増本一彦さんの遺志にしても、山本勝哉さんの思いを受け継ぐにしても、その内容を一度言葉にして自分のなかに収め直すことで自覚が深まります。その場合、それらの言葉が進むべき方向の道標でもあります。


言霊として……。

2023-02-17 17:07:57 | 「がん」を読む

 昨日の「つぶやき」で紹介した山本勝哉さんの一文です。

 白川先生の『字訓』から、

 私は30才11か月で胆管がんを告知れた。医師は余命3か月と言った。現在85才3か月である。この間抗がん剤を投与し、最初の半年間は便秘やむかつきなどの副作用があったが、その後はなくなった。昨年7月尿路感染症となり、4か月入院した。

 退院後、逗子市桜山にある往診専門のクリニックの医師が毎週1回、自宅に来ている。そのほか、看護ステーションから週3回、看護師が来ている。さらに歩行のリハビリと足のマッサージに専門スタッフが来ている。私は4か月入院していたため、歩行が困難である。外出には介護タクシー「くるまやさん」を依頼。1月27日の逗子名曲鑑賞会をはじめ、2月11日に東神奈川で行われる増本一彦氏の追悼会には介護タクシーで行く予定だ。

 入院前、身体がずいぶんと弱っていた頃、逗子葉山に住む人は優しく接してくれ、ヨタヨタと歩いていると多くの人に「大丈夫ですか」と声をかけられた。雨に降られて濡れながら病院に向かっていると、傘をさして病院に送ってくれた人もいた。車に乗せてくれた人もいた。コミュニティーが崩壊し、殺伐としたと言われている世の中にあって気持ちがとても微笑ましくなる出来事であった。

 今、がんは増殖していると言われている。現在、ステロイドを投与しているが、このステロイドもやがて効かなくなると言う。私の現在の病気はがんのほかに尿路感染症(DIBキャップ使用)、廃用性症候群(身体を使わないと衰えていく)とのことである。医師は妻に「長いことはない」と言っているそうだが、私はあきらめていない。90才95才と生きるつもりである。

 朝晩、野菜ジュース1リットルずつ飲んでいる。さらに椎茸の汁も飲もうと思っているが、大事なことは医師も長生きは「気力である」といっている。気力は生きる希望から生まれる。

 2028年はシューベルト没後200年である。それを記念してウィーンで冬の旅・音楽散歩を行い、初日はシューベルティアーデを聞き、次の日にはシューベルトの生家と亡くなった家、お墓を訪れ、夜、ウィーン楽友協会ホールでウィーンフィルによるシューベルト 「未完成」を聴きたいと思う。3泊4日の旅である。


市民ということ

2023-02-16 21:45:15 | せいじの政治カフェ

ここでいう市民とは、いうまでもなく逗子市民という場合の市民ではなく市民社会という場合の市民です、なぜこんなことを言い出したか。

これは昨日の「つぶやき」へのワイコマさんからのコメントとそれへの返信です。この返信を書きながらこの人のこの記事が浮かんできました、

先月24日に亡くなった山本勝哉さんです。

彼の存在を振り返ると「市民」という言葉が相応しいと思ったのです。彼を追悼する「偲ぶ会」が以下の通り予定されています。

3月5日までに彼のことを語りあう機会もあります、昨日の4区市民連合の例会とその後の食事時もその一例でした。あらためて市民、市民運動、市民組織等々について考えを巡らせてみます。


市民連合、 神奈川4区市民連合。

2023-02-15 22:25:25 | せいじの政治カフェ

神奈川4区市民連合の集まりに出て、そのメンバーと山本勝哉さんの「偲ぶ会」の先取りで、夜食会をしてきました。彼が最も力を入れていたひとつのこの集まりは、4区の共闘を進める要です。

2015年の安保法制反対運動のなかから生みだされ、「安保法制廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の名称のもとに、全国的に国政選挙の共闘をつくり支える力の一つとして今日を迎えています。

安保三文書に見られるように「専守防衛」を投げすて日米合同で「敵基地攻撃」を出来るとしています。ウクライナへのロシアの戦争行為が連日放映され、米中の相互の敵視的外交応酬が見られるなか、戦争をおさえ平和への道筋をどうつくり出すか、共闘の力で小選挙区から国会議員を送り出しているこの地域での運動方向を例会でも論議しました。

あらためて「市民連合」の政策的提起を力にして、運動を進めねばと思います、以下の「市民連合の提起」を読みとりたいと思います。

市民連合

市民連合

安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合

市民連合

 

 


書店と本屋と本のはなし

2023-02-14 18:48:06 | 本のひと言
本屋ないと本当に困る? 名物書店員・福嶋聡さん「売れない本こそ」(38件のコメント)

本屋ないと本当に困る? 名物書店員・福嶋聡さん「売れない本こそ」(38件のコメント)

大型書店が相次いで閉店しています。ジュンク堂書店難波店で2022年まで12年間店長を務め、反ヘイト本フェアでも知られた名物書店員の福嶋聡(あきら)さんは、現状をどう見...

 

 

この話を読んだ思い出したのが、

逗子市の書店というより本屋さん、「町の本屋」でした。

私も少しは作るのに協力したこの本も、

平台に山積みしてもらって、かなり売ってもらいました、ほぼ10年前のことですが、地域の人との繋がりが大きかった現れでしょう。

こちらは書店とか本屋さんとかのことではなく、その元の本のことです。

https://www.amazon.co.jp/dp/4093891044/?tag=shogakukanonl-22


今夜も、 こんな時刻か

2023-02-13 23:20:39 | 花はこころの器

昨夜のつづきではないのです、この写真から

5日の「つぶやき」の梅ふた元、でこちらは

昨日12日の2本、遅速の遅の方も咲き出せば速に追い付く勢いです。この2本は妻が植えたに違いありません。私はこのところ一切庭に手を出していませんので……。

こうして写真に使わせてもらっていると、少しは足を出し手で触れなさい、と声なき声が聞こえてきます。

 

我が家の庭にはかなり年季の入った梅の木もあります、

義父が土地を入手した時からのものでしょう、年をとっているせいか花の咲くのは毎年遅いです。

もう一本枝垂れ梅、確かうちの長男が中学校に入学した時義父が孫の記念だということで手植えしたと聞いています。

実は梅の俳句を幾つか綴り込もうと思って歳時記を開く前に、金子兜太の本をめくっているうち、時間が過ぎてしまいタイトルのように「こんな時刻」になっていました。


もうこんな時間だった、 のか!?

2023-02-12 20:17:53 | 時代の現場

タイトルは「つぶやき」の内容とクロスしてます。

夕食前に「つぶやき」準備を終わらせる、と思っていたが……、という事ですが、その気付きのなかに亡くなった2人のことが入っていたのです。

今日の「つぶやき」は昨日の分も含めてのことなので、当然増本一彦さんの遺志について触れます、するとこれも当然なのですが山本勝哉さんのことも……。それで二人が死の直前に「もうこんな時間になったのか」との思いにとらわれていたに違いない、と思いが飛んだのでした。

ですからタイトルに「のか!?」と余計なものがついているのですが、これは実感(あア、そういうことだったのか)でこう呟いていたのです。その時、自分の食事時刻に気づいたことと二人が人生の最終時に浮かんだであろう「つぶやき」が瞬時に重なって出てきたのです。

今夜の「つぶやき」は、

昨日紹介しました『増本一彦氏を偲んで』への私の追悼文で、文字起こしをしておきます。

知恵袋と土台石  

ーー故増本一彦氏から受け継ぐものーー

 天野 清司(4区市民連合・葉山町)

  亡くなった増本一彦氏の一周年に向けて、氏を偲びその思いを受け継ぐ集いと文集の発行の打合せが年金者組合の事務所で行われた際、いただいた組合の印刷物に“ 高齢者は社会の「知恵袋」” と大きく記されていました。その通りだ!と思いつつ、ならば高齢者が故人となった時、何になるのかとの思いが浮かびました。

 その人の遺したものが引き続き「知恵袋」であることには変わりありません。更に言えば「知恵袋」は袋にとどまらず、土台石でもあると思い至ったのです。それは増本氏が亡くなる前年の11月から12月にかけて神奈川革新懇に寄せた三つの文書を読むことによって得られた思いです。

 氏はこのなかで「市民連合」と「革新懇」について、ご自分の体験に基づいて書かれています。「市民連合」については、現在全国的に展開している「市民連合」はもとより、氏が日本共産党の国会議員または同候補として体験した1970年前後の「藤沢市民連合」。更に氏の終焉の地となった鎌倉市での70年代の正木革新市政の誕生とその後の革新市政をめぐる論争について触れておられます。氏の文書ではありませんが、1970年の鎌倉市長選において、神奈川県下ではじめて革新市長となった正木候補の公認団体は「鎌倉市民連合」でした。

 氏の身体と思想に刻み込まれたと思われるこの三つの「市民連合」への関わりの教訓は、氏の次の言葉に込められています。

〝 遺る余生を地元の運動に少しでもお役に立てればと、斉田氏をはじめ県革新懇の協力をいただいて、有志を募って『新革新懇』づくりを始めているのです〟

 氏がなぜ当該地域革新懇に「新」と名づけ、また行政区を跨いで構成するか、私は全国革新懇が今日の革新懇運動の課題として提示している「三つの任務」の “ ②「市民と野党の共闘」を土台に連合政権の実現に全力をあげる ” を記し、氏の思いに繋げるものです。これは全国革新懇40年に当たり政治学者の渡辺治氏が語られたことに呼応するものだと思います。(「渡辺氏インタビュー文」p28〜29「連合政権を作り支える地域、草の根の共闘の担う手に」)

 増本氏は、21年総選挙の神奈川県小選挙区18のうち4、12、13の3つの選挙区で共闘候補の勝利のため闘い勝利を体験しています。この体験もまた氏の見識を裏付けているのです。その見識を我が見識とし、我の活動の土台石として受け継がねばと思います。

少し書き足します。

ここには山本勝哉さんのことは触れてませんが「集い」の場で、増本さんと山本さんの家で、地域の革新懇再建のことを中心に話し込んだことを報告しました。

増本の亡くなる2ヶ月ほど前の2021 年12月の中程でした。その場で増本さんががんを患っていて月一で病院通いしていること、山本さんはそのことは知っていたようです、私は初耳でした。当時山本さんは週一の病院行き、私は3ヶ月に一度という割合でした。そんなことで話が途切れることもなく、4時間に及ぶ鼎談で「何をなすべきか」がはっきりしたのです。

増本さんの文中の「有志」に山本勝哉さんと天野清司の2人が入っていることは言うまでもありません。