ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

六の山

2008-07-18 09:47:30 | 四方山話
六甲山(最高峰・931,3m)>
1958年、芦屋からロックガーデンをへて東六甲縦走をしたのが始めで、岩登りに、沢歩きに、ボッカにと春夏秋冬、毎週のようにせっせと通い詰めました。

仁川の岩場で。確保する変愚院

結婚後も、しばらくは勤め先が大阪西淀川区、新居が池田と地の利もあって、格好のホームグラウンドでした。
親父が亡くなって池田から大東市に帰り、更に大和郡山に転居して、次第に足が遠のきましたが、私たちにとっては「育ての山」と言える大切な山です。

数々の思い出の中で、二人に共通するものに「ボッカ訓練」があります。
所属していた社会人山岳会でリーダーになった変愚院が体力作りのために「ルール作り」をしました。
それは「六甲縦走を3回に分けて実施する。そのうち2回以上参加しないものは夏・冬の合宿に参加できない」というものでした。
ある年の1回目は塩屋から鉢伏山~菊水山~鍋蓋山まで。2回目は摩耶周辺。3回目は東六甲縦走を実施しています。
上の区間を男子は最低30㎏、女子は20㎏の荷を背負い、それ以外の区間は普通の日帰り装備でのアプローチと下山です。
砂袋がまだしも背中に優しいのですが、家から集合場所までがたいへんです。
そこで東六甲の場合ですと、宝塚に集合して塩尾寺の上で大キスリングに石を詰めます。
重量をごまかさないように会の装備の「竿秤」で計量しましたが、殆どの人が基準より多く担ぐのが普通でした。うんうん言って最高峰も近い水無山まで運び上げ、石を放り出します。お陰で塩尾寺付近は手頃な石を捜すのが難しくなり、水無山には立派なケルンができあがりました。

 水無山

昼食後、最高峰から芦屋に下り、帰りに梅田の阪神デパート屋上で生ビールを飲むのが楽しみでした。しかし代償は背中の両側に石でこすられた赤い傷。風呂に入ると沁みて情けなかったです。

 西山谷

もう一つ、この会では秋の合宿後や春の新人歓迎に六甲で「集中登山」を行いました。
ある年の場合は次の通りです。
A.塩屋~高取山~菊水山~摩耶→  B.西山谷~天狗橋→
C.大月谷~凌雲台→    D.住吉谷~黒岩谷→  E.船坂谷~川上滝→
F.苦楽園~ゴロゴロ岳→  G.ロックガーデン~一軒茶屋→
鳥居茶屋に14時に集合、各パーティのリーダーからコースごとの報告があり、
全員で東六甲を縦走して宝塚へ。
このときは13㎞ある最高峰~宝塚を2時間ほどで下山したので、全山縦走となるAコースの弟らは、しきりにぼやいていたのを思い出します。

ついでですがペンギンたちが始めて出会ったのも、集中登山の時でした。


夏、子供たちと…


冬の六甲で。

息子はこの頃からの阪神ファン。今は孫たちも「六甲颪」を歌っています。