ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

六の山(続き)

2008-07-19 19:54:25 | 四方山話
双六岳(2680m)

59年8月、大学の同級生4人と高山からこの年初めて通じたバスで新穂高温泉に入り、これも完成後まだ間のない小池新道を登り、大ノマ乗越から双六岳に向かいました。



最初の泊まり場・双六小屋では髭の小屋主・小池義清さんがやさしい笑顔で迎えてくれました。
「この人が今日、登ってきた道を殆ど独力で切り開いたのか…」と驚きました。
夕飯のおかずは、小池さんが双六谷で釣った「イワナの天ぷら」でした。食堂には燻製もたくさん吊るしてありました。



翌日、西鎌尾根を槍に向かう途中で雨が激しくなり、そのあと涸沢で台風の直撃を受けた山行でした。

61年夏、弟と前述(野口五郎岳の項)の大滝への縦走中に通過。

 双六池

63年8月には、一週間前にも♀ペンと登った薬師岳から雲ノ平を経て双六へ。
Y高校山岳部合宿でしたが、ここで雨になり双六池畔のテントで一日沈澱。退屈まぎれに小さな握り飯を寿司に見立てて、「次はイカ」「俺はマグロ」と冗談を言っていると、隣の別パーティのテントで聞き耳を立てる奴がいて、「先輩、隣の高校生が寿司食ってますよ」「馬鹿言え。山の中で魚が食えるか」…こちらは図に乗って「おい、ドライアイスが溶けるぞ」などと、しばらく面白く遊びました。

65年7月、同じ高校の夏合宿。燕~槍~笠ヶ岳の予定でしたが、初っ端から雨。大糸線が不通になって明科から臨時バスで中房温泉に入り、燕で丸二日沈澱。
槍の幕営地を出て双六を通過したのは、大阪を出て6日目の正午でした。いい天気なので双六泊りのを伸ばして、この日は鏡平泊りにしました。
鏡平が秘境と言われていた頃で、降り口には木の枝に缶詰の空き缶が一つ、目印にしてありました。
ここからの下りの凄いこと。踏み跡というより、ガレ場に雨が溝をつけたような道でした。
いったん平坦地に出て、笹原を漕ぐように登ると小さな池が散らばる鏡平でした。
勿論まだ小屋はなく、前年のものらしいテント跡の溝からはコバイケイソウが伸びていました。どうもこの夏は、われわれが一番乗りの様子です。

 テントを張る変愚院

目の前に槍から穂高に続く岩稜が一列に並んで出迎えてくれました。
枯れ木を集めて盛大な焚火をして、大声で歌い楽しい夜を過ごしました。
しかし、翌日歩きだして5分ほどで道が不明瞭になり、必死に赤テープを探して藪を漕いで3時間半、腰を降ろす場所もなくノンストップで蒲田川出合に下りつきました。
後から気付いたが冬道でした。北アルプスで藪漕ぎしたのは、後にも先にもこのとき限りです。

69年、会の夏合宿。新穂高から大ノマ乗越を経て双六池泊り。池の周辺にクロユリの大群落があったのが印象的でした。

80年夏。職場の同僚たちと槍ヶ岳へ。このとき小学校6年生の息子も一緒でした。
新穂高温泉からすっかり良くなった道を鏡平経由で双六へ、小雨模様で傘をさして小屋へ入りました。
翌日、心配していた空は晴れ上がり、息子と二人で小屋の前から美しいご来光を見ました。

 樅沢岳にて

この日は槍に登った後、槍平まで下りました。
息子は槍の穂先へ何の苦労もなくするすると登り、行列で登っていた周囲の大人たちから賞賛されて、親父は鼻高々でした。