ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

「八」の山-八ヶ岳(1)

2008-08-28 09:57:41 | 四方山話
「数字の山」シリーズも「八の山」に入りました。
まずは八ヶ岳の思い出を辿ります。

 初冬の赤岳単独行、残雪の春の岩稜、夏山での敗退、そして秋の重荷での縦走…。八ヶ岳は想い出の多い山です。また北八ヶ岳は子供たちや義父母と一緒に歩いています。

1959年11月22日。赤岳の頂上で迎える筈の26歳の誕生日は、上諏訪の日赤病院で過ごした。
 同行の先輩が夜行列車内で激しい腹痛を起こし、救急車で運ばれて手術、そのまま入院。一夜を付添ベッドで送った翌23日、一人で出発した。
 濃い霧の中、バスが裾野を登るにつれて青空が拡がった時の嬉しさは忘れられない。バスは八ヶ岳農場までで、美濃戸までは1時間半ほど歩いた。



快晴の空の下、大きいキスリングが肩にくい込むようだった。マイカーで山荘に横付けできる今は、こんな苦労が夢のようだ。…
 同宿三人の赤岳鉱泉で泊まった翌11月24日、文三郎道から頂きに立った。風と寒さで頂上滞在はわずか5分。目の前にシルエットの富士が大きく見えたのが印象に残っている。
 フォーカルプレーンのシャッターが凍りつき、その時の写真は画面の半分が真っ黒だ。降りにかかってすぐスリップしたが、幸い水筒がザックから飛び出して落ちていっただけで済んだ。


(右端・変愚院)

二度目は2年後の1961年5月連休明け。
 4人の仲間と渋ノ湯から夏沢峠に登り、硫黄、横岳、赤岳と縦走した。
赤岳の頂上には絵葉書売りが仮設の店を出していた。(写真下)



ずっと快晴で凄い展望だった。地蔵尾根を下ったが、腐った雪の急斜面に結構手こずっている。


1963年9月下旬、大阪山友クラブ15名の秋合宿。変愚院がリーダーで、婚約中の♀ペンも参加していた。
渋ノ湯から入山、夏沢峠とオーレン小屋の中間で幕営。翌日、硫黄岳から横岳を通る頃、小雪が舞いだした。
赤岳はこの時も霧の中。キレットへ下り、強風の中で1時間近くかかって設営。
夜に寒冷前線が通過して3日目は快晴。新雪の北アルプス、富士がモルゲンロートに輝いていた。


(前列中央・♀ペン、その左上・変愚院)

 権現岳を過ぎたギボシの降りで一人がアキレス腱を切り、ザイルで背にくくりつけて10分交代で担ぎ下ろした。
 編笠岳から小淵沢までの裾野は本当に長かった。途中の電柱に備え付けの電話でタクシーを呼んで怪我人を乗せたが、その棒道から駅までまだ4㎞歩いた。