4度目の八ツは1976年の夏、職場の同僚で構成した山の会だった。
黒百合平から東天狗に登り、夏沢峠まで来たときに身体の不調を訴える人がでて、パーティを分けないで全員で下山することになった。赤岩ノ頭はやはり霧で、しばらく眺望を待つが諦めて鉱泉に下っている。
初めて見たキバナシャクナゲが印象的だった。この時には美濃戸口までバスが来ている。ただ歩くだけで花を見る余裕もなかった年代から、ようやく周囲に目を向ける山歩きが出来るようになった頃である。

(天祥寺平で蓼科山を背に)
1979年夏、義父母と二人の子ども、私たち夫婦の6人で北八ツを歩いた。
白駒池から雨と風の中を茶臼山、縞枯山、坪庭と辿り、双子池泊。翌日、強風の中、手を繋いで双子山に登り、蓼科山はあきらめて蓼科温泉に下った。
皮肉にも天祥寺平まで来ると陽が射しだし、草原の花の写真をたくさん撮れて、息子の夏休みの宿題はバッチリだった。高山植物の名前に興味を持ち始めたのは、夫婦ともこの頃だったろうか…。
そして2003年7月下旬、千日山歩渉会の夏例会。
車で八ヶ岳の裾野を走り、美濃戸山荘に泊まる。28日朝、南沢に入り、行者小屋前から阿弥陀岳と中岳のコルに登る。 高山植物を見ながら阿弥陀岳へ岩稜を往復。
午後はハイマツの尾根道を中岳へ。さらに急斜面をひとしきり登って文三郎道に合流し、急な岩場の登りの連続で赤岳南峰に着く。待望の主峰頂上も無展望で北峰を経て霧の中を天望荘へ。

29日。濃い霧の中、銃走路を北へ。横岳の岩稜を通過して 硫黄岳山荘の建つ大ダルミで高山植物鑑賞路を一巡。
硫黄岳でコーヒータイムを楽しみ、赤岩の頭から赤岳鉱泉に下った。まだ長梅雨が明けず、雨模様で展望は今ひとつだったが、たくさんの高嶺の花に出会え、またメンバーの協力で楽しい山行ができた。
黒百合平から東天狗に登り、夏沢峠まで来たときに身体の不調を訴える人がでて、パーティを分けないで全員で下山することになった。赤岩ノ頭はやはり霧で、しばらく眺望を待つが諦めて鉱泉に下っている。
初めて見たキバナシャクナゲが印象的だった。この時には美濃戸口までバスが来ている。ただ歩くだけで花を見る余裕もなかった年代から、ようやく周囲に目を向ける山歩きが出来るようになった頃である。

(天祥寺平で蓼科山を背に)
1979年夏、義父母と二人の子ども、私たち夫婦の6人で北八ツを歩いた。
白駒池から雨と風の中を茶臼山、縞枯山、坪庭と辿り、双子池泊。翌日、強風の中、手を繋いで双子山に登り、蓼科山はあきらめて蓼科温泉に下った。
皮肉にも天祥寺平まで来ると陽が射しだし、草原の花の写真をたくさん撮れて、息子の夏休みの宿題はバッチリだった。高山植物の名前に興味を持ち始めたのは、夫婦ともこの頃だったろうか…。
そして2003年7月下旬、千日山歩渉会の夏例会。
車で八ヶ岳の裾野を走り、美濃戸山荘に泊まる。28日朝、南沢に入り、行者小屋前から阿弥陀岳と中岳のコルに登る。 高山植物を見ながら阿弥陀岳へ岩稜を往復。
午後はハイマツの尾根道を中岳へ。さらに急斜面をひとしきり登って文三郎道に合流し、急な岩場の登りの連続で赤岳南峰に着く。待望の主峰頂上も無展望で北峰を経て霧の中を天望荘へ。

29日。濃い霧の中、銃走路を北へ。横岳の岩稜を通過して 硫黄岳山荘の建つ大ダルミで高山植物鑑賞路を一巡。
硫黄岳でコーヒータイムを楽しみ、赤岩の頭から赤岳鉱泉に下った。まだ長梅雨が明けず、雨模様で展望は今ひとつだったが、たくさんの高嶺の花に出会え、またメンバーの協力で楽しい山行ができた。
