ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

チベット遠征

2010-05-01 17:13:36 | チベット関連本
スヴェン・ヘディンは20世紀最高の探検家と言われたスウェーデン人で、古都・楼蘭、「さまよえる湖」ロブ・ノール、トランス・ヒマラヤの発見なので名をはせました。



この本の原題(スゥエーデン語)は「チベット征服の旅」ですが、現代ではちょっと誤解を招きそうな題のために、中公文庫オリジナル版ではこのように改められたようです。
カバーのこの絵は「チベットの寺院の正面入口 1908年」で(新しく発見されたヘディンの水彩画)というカッコ書きの註がついています。
本書中の挿し絵(282枚!)はすべてヘディン自身の筆になるもので、その躍動感あふれる描写がこの本の大きな魅力となっています。



彼は三度の遠征をおこなっていますが、もちろんチベットは鎖国の時代で様々な困難に出会っています。これは最初の「潜行」の際のもので、変装してラサに向かう途中騎馬隊の襲撃を受ける場面。この後、地方知事の捕虜になり強制退去させられます。

しかし、これに懲りず再征を図りついに三度目(1906年)にトランス・ヒマラヤを越えて副都・シガツェに入り、当時の最高権力者タシ・ラマに謁見します。(ダライ・ラマは逃走中)



これはタシ・ルンボの内部で新年祭が行われているところです。
タシ・ルンボは山の斜面に建てられた大寺院で、当時、6000人の僧が居住していたといわれています。

本の内容についてはとても語り切れませんので、「鳥葬」に関する項目の一部分を引用します。

死んだタルティングの住職のような、化身の聖僧だけが、火葬に付されるのである。
 その他の者の遺体は、手足をばらばらにし、肉はシガツエの場合と同じく、聖なる寺院の犬かハゲタカに与えられる。この恐ろしい仕事に従事する人たちは、「ラグバ」と呼ばれ、低く、卑しい階級に落された人たちである。輪廻という果しない鎖の中では、彼らラグバの霊魂は、やがて動物か厭わしい人間の体に宿ることになるので、彼らの将来は暗いのである。
 僧院で、兄弟僧が死ぬと、その仲間の僧が遺体を死体所へ運び、衣類をすっかり剥ぎとって、彼らの間で分配してしまう。それからラグバが身の毛もよだつような仕事に着手する。遺体の首に巻きつけた縄を、しっかり杭に縛って固定したあと、両足を掴んで引っぱるので死体は真直ぐに伸びる。肉は鋭い小刀で切られ、寺院の犬かハゲタカに投げ与えられる。骨は石臼の中で砕き、粉末になった骨は脳とこねて団子に作り、これもやぱり犬の餌にするのである。


この頃のチベットの政治事情、ダライラマとタシラマの関係、上で一部引用した葬儀の種類などは、次の項「青木文教の西蔵遊記」に譲ります。

新緑の矢田丘陵 (5月1日)

2010-05-01 15:14:05 | 矢田だより
風薫る5月を迎えました。
GWにふさわしい好天気続きですが、TVの伝える高速道路の渋滞や人出に、
遠出は敬遠しています。
せめて山の空気だけでも吸おうと、ふたりで矢田丘陵を歩きました。



矢田寺から近畿自然歩道を歩き始めてすぐに、こんなにたくさんのギンリョウソウを見つけました。

僧坊谷橋から登っていくと、ツツジのトンネルの時期は終わり、国見台の近くに少しだけ咲いていました。



南僧坊池付近の新緑です。爽やかな緑の風に吹かれての稜線歩きは実に爽快です。



矢田峠近くのフジの花はすでに枯れていましたが、ニワトコの花が満開です。



矢田山展望台近くでヤマザクラが一本だけ咲き残っていました。
「まほろば展望台」でコーヒーを飲んで少し休み、



ヒラドツツジが美しい矢田寺にお参りして帰りました。