ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

初夏の矢田丘陵(5月18日)

2010-05-18 17:12:35 | 矢田だより


初夏らしい陽気になりました。矢田寺駐車場へ車を置いて国見台に登ると、ぼんやりと
高見山が見えました。
稜線を松尾山へ歩き、バラ園を見に松尾寺に下ります。



庭園に入る道に美しい花壇がありました。



タイツリソウは終わっていましたが、このオダマキやジキタリスが咲いていました。



バラは今年は咲くのが少し遅いようです。今年ももう一度訪ねることになりそうです。





それでも馥郁とした香りが辺りに漂い、この「モーリスシュバリエ」という品種など様々な
花が目を引きます。



参篭所で行われている管主の墨蹟展を見せて頂きました。





登り返して松尾山から矢田山へ稜線の道を辿ります。ホトトギスが鳴く山中某所で
キンランが咲いているのを見つけました。



なんと矢田寺境内に下ったところにも咲いていました。



矢田寺弁天池では黄色のショウブが美しく咲いています。
今日も様々な花たちと出会えて幸せなひとときを過ごせました。

シルクロードの風

2010-05-18 09:52:59 | チベット関連本
わが家の書棚にあるチベット本の紹介を続けます。



内田嘉弘さんは京都府・城陽市生まれの日本山岳会会員です。奥駈道など何度か
ご一緒に歩いたことがありますが、本当に笑顔の優しい、そしてお話しの楽しい
方です。
 1972年の韓国・韓新渓谷の冬季初遡行、75年のパキスタン、プリアン・サール
峰(6293m)初登頂をはじめ、様々な登山経験をお持ちです。
65歳を過ぎてからは公認ガイドを引退されて、「登山から旅へ」へ変わったと
おっしゃっています。

この本には氏の若い日の多彩な海外登山活動のうち中央アジアの山々の記録を始め、
最近のシルクロードを楽しむ旅…タクラマカン砂漠一周、カイラス一周巡礼の旅、
蘭州から敦煌へ河西回廊の旅など…また最終章の「中央アジア探検について」では、
19世紀、20世紀にこの地域に入った人々の業績が簡潔にまとめられています。

そのなかで、チベット関連は2005年の「もう一つのシルクロード」青海への道。
これまでに知られた天山北路、天山南路、西域南道のメインルートに最近、知られ
るようになった西寧から青海湖、米蘭を経て西域南道に繋がるルートです。

西寧手前の街・平安でダライラマ一四世の生誕地を探し、土地の人に尋ねると
「つっけんどんに方向をさすだけ」、畑仕事の人に聞くと「砂をかけられた。何か
様子がおかしい。中国ではダライ・ラマということが憚られていると聞く。」
そして西寧では昭和19年日本外務省の密偵として入った西川一三氏の見聞なども
紹介されています。

青海湖の手前の日月峠(3374m)では
「着飾ったヤクを連れてきて『写真を撮らないかー』というチベット人、飾り物の
土産を手に一杯持ってきて『買ってくれー』と言い寄るチベットの婦人たち…」
という箇所があり、私たちが2006年、ヤムドク湖手前のカンバラ峠(公称4990m)で 
出会った光景とまったく同じで、笑えました。

もう一つのチベット関連はこの次の章の「青山巡礼ーカイラス一周から新彊の天池へ」
で、「五体投地」の状況なども詳しく紹介されています。

写真、地図などの図版も多く、副題の「山と遺跡とオアシス」の情景がいきいきと
眼前に展開するように紹介されている、楽しい本です。

この本では紹介されていませんが、内田さんは2006年、東チベットのラサからチャムド
への旅で見た珍しい「樹葬」の模様を、2007年JAC夏季懇談会でお話されています。
この様子は当時このBLOGでお伝えしましたが、再掲します。





樹葬の地はぐるりを5000mを越す氷河を持つ高峰に囲まれた、標高2200~2300mの
静かな森の中にあります。村の外れから林道をジープで走ると、車止めがありチョルテン
が6つ、近くの木には白い布を張り巡らせてあり、敬虔な気持ちになったそうです。
ちょうど二人の若い尼さんが来て案内してくれ、15分ほど歩いたところが樹葬の地です。



これはスケッチの得意な内田さんが白板にすらすらと書かれた樹葬の図です。
薄赤色の毛布で遺体をくるみ、1は木の枝の間にカゴをおいて入れたある。2は樹幹に
くくりつけてある。3はこのような肩掛け鞄に入れて木にかけてある。4は容器に入れ
て地面に置いてある。このように様々な形態があるようです。
5は平らな岩の上に並べられた頭蓋骨。全て小さいもので幼児のもののようだったそう
です。あとで良く調べると、樹葬の対象になるのは8歳以下の子供だということです。

それにしても火葬、土葬の他に「鳥葬」「水葬」までは知っていましたが「樹葬」と
いう風習があるのははじめて知りました。内田さんも、民俗学に興味があるので
チベットについて更に勉強したいとおっしゃっていました。



内田さんの奥さんは1974年、日本女子登山隊員の一人でマナスルに登頂されました。
これは女性による世界初の8000m峰登頂でした。
上の写真は登山隊の公式報告書で、「手元にまだ残っているから」と内田夫人から
ご恵贈くださったもので、変愚院にとって忘れられぬ貴重な書籍です。
この報告書の「調査・研究」の中でも、白水ミツ子さんが「サマのラマ教」について
ゴンパなどの建造物、僧侶の生活、葬制や祭りなどをレポートされていることを、
付け加えておきます。