
さて前の三冊に比べて時代がぐっと下がります。チベットに大変革をもたらした文化大革命後のチベットを訪れた登山隊員のお話しです。
玉村氏は「日中友好ナムナニ峰合同登山隊」(1985.5.26 西チベットのナムナニ峰7694mに初登頂)の学術隊員。
この本は「第一部 巡礼の山」「第二部 通い婚の村」の二部で構成されています。

標題の聖山(巡礼の山)はナムナニ峰の北にあるカン・リンポチェ-ふつうカイラスとして知られる山です。
チベット語でカンは雪山、リソポチエは宝あるいは尊者の意を表すという。中央に一際高く聳える雪山を、幾重もの山が取り巻いているので、仏教徒であるチベット族は中央の雪山を釈迦牟尼、まわりの山を諸仏・諸菩薩と考えてきた。いわば自然の曼陀羅である。そこで彼らは、カン・リソポチエを右回りで巡礼(右逍)するのである。
ヒンズー教徒は、カン・リソポチエを聖カイラス山と呼ぶ。カイラスはキラ(樹)とアサ(座)から或るサソスクリット語であるという。ヒンズー教の中でもシヴァ派は、シヴァ神の象徴をリンガ(サソスクリット語で男根)であると信じているので、釣鐘状のカイラス山を最大級のリンガとして崇拝してきたわけである。
隔絶の地・聖地カン・リンポチェへ、巡礼者たちは遠くは数千キロの道のりを何ヶ月もかかってやってきます。赤ん坊を抱いた人、野宿をしながらきた若い娘、駆け落ちした男女、文化大革命で13年間投獄されていた僧…ラサから、ネパールから…本書はその彼らの群像をインタビューを通じて、いきいきと描き出しています。
何故彼らは困難な道のりをものともせず聖山を目指すのでしょうか。それは
カン・リンポチェを巡れば、徳を積んだことになる。徳を積めば、来世は地獄に行かず、天界に行けることになる。仏教の世界観は、死んでも天界の人、人間、畜生、地獄の生きもののいずれかに再生する輪廻の世界観である。カン・リンポチェの巡礼路のように、そこには終りがない。しかしチベット族はその巡礼路を何回も何回も廻り、徳を積むことによって、あたかも天界の特等席が保証されるかのように、ひたすらカン・リンポチェを廻る。 のです。

しかも周囲52キロのカン・リンポチエを廻る(右回りに)のは五体投地をしながらで約二週間かかります。写真は同書の「ネパールからきた尼僧の五体投地礼」です。
チベット語でキャンチャ(キャンは体をのばす、チャは礼拝の意)と呼ばれるこの礼拝は、まず合掌した両手を頭の上に持ってゆき、「この身体のつくりしこれまでの罪を清めたまえ」と祈り、次にその両手を顔の前に下ろし、「この口がこれまでにつくりし罪を清めたまえ」と祈り、その両手を胸の前にさらに下ろして、「この心がこれまでにつくりし罪を清めたまえ」と祈ったあと、脆き、思いきり身体を前に投げうち、手をのばして両手を合わすのである。
次は手の届いたところ(ときにはそこに線を引く)まで歩んで、また同じ動作をくり返す。
一度につま先から手をのばした距離までしか進めないから、一日で進める距離はわずかである。一周五二キロのカン・リンポチェを五体投地礼で廻るには、二週間かかるという。

写真は変愚院たちがラサのパルコルで見た五体投地です。
両手に手袋、膝にボロ切れを巻き、人目もはばからず無心にジョカン寺を目指していました。
「通い婚」については、書く余裕が少なくなりました。
一般にあまり遠くない(通常1~1キロまで、極端な場合は隣家)距離の家から、男性が女性のところに通ってくるという婚姻の形式です。
どちらの家庭も農民であることが通例で、牧民同士や農民と牧民の間では見られないようです。ヒマラヤとチャンタンにはさまれたこの村の女性はとても働きものといいます。
また、この風習で母系家族が多くなりますが、決して母権家族ではなく家庭の主権は亭主が握っているとか。