ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

もう一つのチベット行

2010-05-11 20:43:53 | チベット関連本
著者・後藤ふたばの名は「チベットはお好き?」で始めて知りました。
この本は今、手元にありませんが、「もう一つの…」の表紙カバー裏に前暑の紹介
として
「ある時は非合法のラサへ、ある時は国境侵犯してカイラスへ…」とありますので、
おぼろげに内容を思い出しました。「若い女性がよくまあ」と思ったものです。



この「もう一つの」チベットの舞台は、インド北西部、パキスタンとの国境地帯
のラダックと、ダライ・ラマのチベット亡命政府のあるダラムサラです。
です。



上の地図は「旅行人ノート・チベット」からの引用ですが、この本ではこの
ラダックとザンスカールを「インドのチベット文化圏」として紹介しています。



下の地図は、「もう一つの…」から引用したものです。
この辺りは大きな山脈が4本、北西から南東へ並列して走っています。
(山好きの方にはお馴染みの世界第二の高峰・K2や人喰い山・ナンガパルバット
の名前も見えますね)
ラダック山脈の下にレーという町がありますが、これが本書第一部の旅の出発点です。

最初、著者はザンスカールへのトレッキングを計画していたようですが、時期的な
問題もあって断念。レーから二つの峠越えでマルカ谷を巡る一週間の旅に変更します。
本の副題に「ダライ・ラマとケルサンに会ったよ」とありますが、ケルサンとは??

実はこの旅での馬方。もとは西チベットでウシを追っていた亡命者です。
ケルサンの英語は実に傑作です。

 「リバ ノークロス オンリー デイス。ユー スロスロ フアイブコロ。マイ スリーハーフ。
ランチ オケ」(川は渡らず、ずっとこちら側だよ。お前たちはゆっくりで五時間。
オレは三時間半。ランチもわかってる)
 ケルサン英語には、ずいぶんと間違っておぼえた単語がまじっている。
たとえばこの「フアイブコロ」など、ケルサンは「五時間」のつもりで使ってい
るのだが、これでは「五時」である。「~時」という意味の「~オクロツク」で
記憶してしまい、それが縮まって「~コロ」となったのだ。


しかし、お互いの心が通じ合い、いよいよ別れる前になると

そんな話を続けた彼は、最後にもう一度、「また来てくれよなあ」と言った。
 その夜、私たちのテントの中で、ロバがつぶやいた。
「ケルサンは、男だなあ」
「うん、ケルサンは、男だねえ」
 私もそううなずき返した。ケルサンは”男の中の男〃だ。潔く、媚びず、
拗ねず、威張らず、投げず、泣き言を言わず、自分の境遇を訴えず。
彼は黙って、馬の手綱を引いて歩くのだ。
 私たちはそんなケルサンの姿に、すっかり惚れてしまった。


(ロバというのは渾名で日本から彼女に同行してきた年下の男性です。)
このケルサンに案内されてのマルカ谷トレッキングが、PART1 KALSAN です。
PART2 DALAI LAMA では、ダラムサラで待望のダライ・ラマに謁見するのですが、
集団謁見ではなく個人的なインタビューです。(後に集団謁見も…)
謁見最後のシーンだけを引用します。

猊下が静かに口を開き、こう言われた。
「チベットの置かれている状況は、たしかに悲しい……。悲しいのです。
けれど私は、あなたにお礼を言いましょう。チベットについて心をくだいてくれて、
私たちのことを悲しんでくれて、ありがとう、と」
 マリアさんが日本語に訳してくれている間、税下は私をじっと見つめ、
「サンキューー、サンキュー」と何度も繰り返した。


後書きで彼女はこう書いています。

二人との出会いが、今回の旅のほぼすべてだった。
西チベットで家畜を追っていたケルサンと、ポタラ宮殿の主であった法王。
あまりにもかけ離れた立場の二人だが、私の心の中では、どちらも同じ「一人の入間」
として存在している。心からの感謝を捧げたい。