エヴェレストの初登頂は1953年。初めて世界最高峰(4,884m)の頂きに立ったのは、エドマンド・ヒラリー(この功績でのちにサーの称号を与えられました)とシェルパのテンジン・ノルゲイの二人ということは、歴史上の定説になっています。
しかし、それより30年も前の1924年にふたりの英国人が頂上に到達していた「かも知れない」という、これも歴史上の事実があります。
二人が頂上近くまで登っていることは別の隊員に目撃されていますが、その後、高所キャンプC6に帰りつかずに姿を消しました。彼らの遭難は登頂前か、それとも下山中か?これは山岳史上の大きな謎になっています。
二人の名はジョージ・マロリーとアンドルー・カミン・アーヴィン。マロリーは1924年隊の登攀隊長であり、彼が選んだ若い隊員が弟子ともいえるアーヴィンでした。
「え?マロリー?そんな人の名前、知らん」…という人も「なぜ山に登るのか」という問いに「そこに山があるからだ」と答えた人といえば、「ああ、その人か」と思い出すかも知れません。
<マロリーはそんないい加減で投げやりな返答をする性格の人ではないと思います。その前の遠征後、アメリカでの講演会での記者とのやり取りの言葉の一端を、別の記者がそのように捉えたというのが真実のようです>
この1924年のエヴェレスト登頂にまつわる謎を小説にしたのが本書です(原著は2009年刊)。
著者のジェフリー・アーチャーは、彼自身の生涯が小説になりそうな波乱万丈な人生を送る人。イギリスで最年少の下院議員、それを辞めざる得なくした詐欺事件、娼婦とのスキャンダル…その一方、ミステリ作家としてはベストセラーの連発。変愚院も「大統領に知らせますか」「百万ドルを取り返せ」など何冊か読んでいます。
その彼が「エヴェレストに消えたマロリー」を小説にした本著は、文庫裏の惹句「山岳小説の白眉(上)」「冒険小説の頂点(下)」というには一寸…と思います。しかし構成の巧みさはさすがですし、愛妻家であった彼の側面もよく描かれています。理想とする男性像(もちろんジョン・ブル的な…)をマロリーの生涯を通じて表現する試みは見事に成功したと言えるでしょう。
「遥かなる…」を読んでいるうちに何か所か確かめたいことが出てきて、本棚に眠っていたこの本を再読しました。オビにあるように75年ぶりにマロリーの遺体を発見した、登山隊のレポートです。
これが下手な小説(「遥かなる…」のことではありません)よりもずっと面白い。
マロリーの謎に取りつかれたドイツ、アメリカ、イギリスの男たちがチームを編成して、エベレストへ向かい、マロリーが姿を消した地点(そして最後は頂上)まで登る様子を、随所で1924年マロリー隊の足取りと対比させながらレポートしていきます。
そしてついに75年ぶりに遺体発見。しかし登頂の決定的な証拠となるカメラが見つかりません。そこで「謎は残った」のですが、遺品から当時の状況を科学的に再現していく様子は、非常に興味深く読みました。
「二人が登頂したか」どうかよりも、二人が当時の貧弱な装備、食料、情報で世界最高峰に挑んだ、体力、精神力、登山技術…「仮に登頂していなくても彼らを畏敬する心がいささかも損なわれることはない」というのが読み終わった変愚院の感想でした。
*蛇足1 1953年のヒラリーらの登頂は南のネパール側から。1924年隊、と1999年遺体捜索隊は北面のチベット側からの登頂
*蛇足2 「遥かなる未踏峰」の原著名は「Path Of Glory」 栄光への途
「そして謎は残った」の原名は「Ghosts Of Everest」エベレストの亡霊
*蛇足3「そして謎は残った」の日本版発行は1999年12月10日。変愚院夫婦がカラパタールからエベレストを仰いだ旅から帰って5日後のことでした。年末に購入して翌2000年初読み?の本でした。