良く晴れた日曜日の高野山は各地からの大勢の参詣客に加えて、外国からの観光客も大勢訪れていました。金剛峯寺前の駐車場は満車で、壇上伽藍裏側の観光バスも置いてある路上駐車の列に加えて貰いました。
車道を高野山の総門である大門まで歩きます。宝永2年(1705)再建の高さ25.8mの堂々とした二層の楼門で、江戸時代の仏師・法橋運長作の金剛力士(仁王さん)も力に溢れて睨みを利かせてます。
大門から各寺院が並ぶ大門通りは、今は車の行き交う国道になっています。600m離れた壇上伽藍に歩きます。壇上伽藍(金剛峯寺のHPでは「壇場伽藍」)は、空海が理想とする真言密教の胎蔵曼荼羅世界をこの世に具現したものとされています。現在、再建作業中の中門横から域内に入ります。
空海の創建当時は講堂と呼ばれた金堂。何度かの火災の後、現在のコンクリート造り建築は昭和7年のもの。修法が行われている堂内に参詣し見学しました。
壇上伽藍には何度か訪れているのですが、いつもこの金堂と根本大塔の写真を撮るくらいで終わっていました。今日はゆっくり巡拝するつもりで「登点の松と杓子の芝」の横から、六角経堂へ。鳥羽法皇后・美福門院が法皇の供養のために金泥で書かれた一切経を収めたお堂で、これも昭和の再建です。
御社(俗に高野明神)。空海が山麓の天野から高野山鎮守のために勧請した三社で、高野明神(二宮)の他に丹生明神を祀る一宮、多くの伴神を祀る三宮が鎮座しています。
山王院。御社の拝殿として建設され、現在でも重要な儀式の場になっています。
西塔。空海の伽藍配置計画に基づいて仁和2年(886年)建立された高さ27mの多宝塔です。周囲は杉の古木で囲まれています。
孔雀明王を祀る孔雀堂(左)と准胝観音を祀る准胝堂
逆指しの藤(さかさしのふじ)。祈親上人が一時荒廃した高野山の再興を誓い、地面に逆に植えたところ芽生えたという伝説のフジ。
三鈷の松。弘法大師空海が唐から帰国する際に投げた三鈷(宝具)がこの地に落ちたという伝説の松。そのため三葉を持つと言われます。
御影堂(もと空海の持仏堂で、真如親王直筆の「弘法大師御影像」を安置)と「三鈷の松」の後ろに根本大塔が見えます。密教の源、根本という意味をもつ優美な塔。壇上伽藍のシンボルといえます。
東塔。天保14年(1843年)に焼失後、昭和59年(1984年)にようやく再建された美しい塔。
蓮池。昭和の初め頃まではハスで覆われていたということです。
他にも多くの堂塔がありますが、この辺りで…。ようお参りくださいました。