ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

高円山から滝坂道へ(2014.11.22)

2014-11-24 13:48:24 | 山日記

美しい冬晴れの朝。目が覚めて「今日から80歳の大台に乗った」と思った。傘寿記念と言う程でもないが想い出に残るように山に行くことにする。近頃、足腰が弱ってきているので無理をせずに、近くで紅葉も楽しめて…と和の提案の高円山へ。 

9時半に家を出たが3連休とあって道も混み、高畑の丸山駐車場はすでにほぼ満車。なんとか一番端っこに置いて「みかさ荘」の前を通り、飛鳥中学校前の「滝坂道」の標識へ来るとはや10時半。ここから白毫寺へ出て墓地横から登るのが本来の登山道だが、最短コース?を取るため直進する。

長い家並みを抜けて、ようやく石畳の道へ入る橋の辺りは大雨の影響か、かなり荒れていた。歩き始めは違和感のあった脚もようやく落ち着いて、立ち木に巻かれたテープ標識で右手の林の中へ。落葉に隠れた踏み跡を探して、今回もかなり右手(南)の伐採が進む山道に入ってしまった。和に呼ばれて少し下って、幅の広くなった踏み跡を支尾根にでる。赤や黄や茶に色付いた林の中だが傾斜はきつく、木の間から春日山が見える頃から次第に汗ばんでくる。30分近く登って白毫寺からの道に合流して、林の中をさらに登る。新しい登山道が登ってくる辺りで下ってきた自転車の青年が道を探していたが、後にも先にも柳生街道までは他の誰にも出会わなかった。

林を抜けてぱっと頭上が開けると、大文字の火床が並ぶ芝生の大広場にでる。

快晴で期待以上に素晴らしい展望だった。左の葛城、二上山は雲の裳裾を引いていたが、遠くは正面の生駒山から近くの若草山まで、眼下には大仏殿の屋根を始め奈良の町並みが一望のもとだった。無風で日差しが暑いので「大の字」の最上部に登り、日陰に入り腰をおろす。しばらくドリームランドのマッターホルンなどランドマーク探しで遊んだが、存分に展望を楽しんだので腰を上げる。

長い石段を登って林の中を行き、標識に従って432m二等三角点の丘に登る。林の中の無展望で殺風景な頂上からは、前回の道探しで懲りて元の分岐に引き返す。しばらく下って緩い登りになり、ススキが逆光に光る広場からドライブウェイを横断、元ホテルの裏側へ登る。

ホテルが撤去された後の、がらんとした空き地で最高点(Ca.460m)を探したが見当たらず、それらしき場所の近くに腰を下ろしコーヒーとビスケットの軽食。正面に黄色く色づいた木、緑の低い木を背景にハゼの真っ赤な葉が美しいが、残された土嚢やゴミが目立って廃墟のようで痛ましい。早々に腰を上げる。

最初は元の道を下るつもりだったが、せっかくなので柳生街道を帰ることにする。前にあったドライブウェイ沿いの踏み跡は、今は歩く人もないのか見当たらない。「人と自転車通行禁止」の道を歩かせて貰う。途中で出会った車はたった3台。最後の車が入った地獄谷石窟群P前の指導標で「地獄谷新道」に入る。若い女性3人組を始め次々と人に出会うようになり、山歩きから観光ルートに入ったことを実感する。

少し下った新池辺りの紅葉はこの日で一番見事だった。様々な色で織りなされた豪華な衣装をまとった回りの山が、青い水面に映る己が姿と美しさを競っている。ベンチに座る何組かの人たちも見惚れているようだった。

ゆっくりと池の畔を巡って首切り地蔵にくる。ここからは更に賑やかになった滝坂道を下る。

朝日観音(1)、夕日観音(2)はともかく、寝仏(3)は以前(4・2008年11月)に比べかなり摩耗して、お姿がぼやけてきているようだ。のんびりと初冬の奈良の低山を歩いて、楽しい思い出となった80歳の誕生日だった。