7.大納言塚(大和郡山市箕山町)
豊臣秀吉の異父弟・秀長の墓所。秀長は天正13年、紀伊・和泉・大和に及ぶ百万石の所領を得て、天正13年(1985)、郡山に城を築き秀吉の良き補佐役として活躍しました。現在の大和郡山の基礎となる商工業の発展や赤膚焼の開窯など、文化的な面でも力を尽くしました。幼名は小竹だったといわれますが、天正15年に従二位大納言の官位を得たので大和大納言と呼ばれるようになりました。暴走気味の秀吉のブレーキ役でもあり、彼が長命であったら豊臣家が家康に滅ぼされることはなかったと言われています。ここは天正19年に郡山城内で亡くなった秀長を葬ったところで市指定史跡になっています。

最初の写真に見えるお地蔵様(高見地蔵尊)

お地蔵さんの左が正面です。

門前にあるのは賽銭箱でなく「お願いの砂箱」

このように白砂を中の穴に三度通して願い事をすると「智将・大納言」が願いを叶えて下さいます。

合掌。