ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

法隆寺金堂展 (7.15)

2008-07-15 17:30:44 | Weblog

真昼時に国立奈良博物館へ法隆寺金堂展を見学に行きました。




新館前の池に咲く清らかなハスの花

大勢の人たちに交じって国宝の四天王や復元された壁画などを鑑賞。
法隆寺は近くなので何度も拝観しましたが、このように近くで
じっくり見学したのは初めてです。
持国天の足に抑えられた邪鬼だけが牛の顔をしているのを発見したり…
いろいろと勉強しました。

本館の常設展示も見て、外に出るとカンカン照りでたまらない暑さです。


さっきまで元気だったハスも疲れ気味で


シカたちも、大きな木陰に群がって涼を取っています。
あまりの暑さに、まっすぐ家に帰ってお八つのビールを飲みました。

四の山

2008-07-12 19:46:03 | 四方山話
四の字がつく山で、私たちが登ったものに「四寸岩山」があります。


大峰奥駆山行の二回目に、江戸時代に歩かれた「大天井越え」と呼ばれた
尾根通しの古道を歩いたとき、吉野山から初めてのピークがこの山でした。
ブナの大木が多く、若葉の新緑で身体が染まるような中を行くと、山名の
いわれの岩があります。


かっては四寸しかない、この岩の隙間を通ったそうですが、今は山道の横に
ある平凡な石に過ぎません。
その少し上が1246m二等三角点の頂上で、目指す大天井岳が高く、その左に
山上ヶ岳が微かに望めました。


もうひとつは,中辺路の途中にある「悪四郎山」です。
十丈王子を過ぎて登り道をいくと、南北朝時代の怪力の持ち主だったという
悪四郎屋敷跡があります。
この「悪」は「悪い」という否定的な使い方でなく、「強い」「猛々しい」
「優れている」といった意味で、例えば源義朝の長男・義平はその勇猛さから
「悪源太」と呼ばれています。
道は山頂には登らずに捲いていきました。


なお、展望しただけでは「四姑娘山6250m」という大物があります。
中国四川省成都の北西220kmにある四つの峰の主峰です。
美しいチベットの四姉妹が、パンダを守るため力を合わせてトラを退治した
とか、四つの峰になったという伝説が残されています。
私たちの登ったのは四姉妹のうちの長女、「大姑娘山」(中国旅行社のWEB サイトによれば5335mですが、そんなに高くはない)です。
詳しくはこちらをご覧ください。

勝負塚山(7.10)

2008-07-11 10:32:24 | 山日記

勝負塚山は上多古谷の上にそびえる大峯の前衛峰です。
以前から念願の山に、梅雨の晴れ間を狙って登りました。


国道169号線を離れ上多古川沿いに林道を走って、伊坪谷出合に架かる赤い橋の近くに駐車。急に思い立ったので、すでに11時前です。
「熊やマムシが白昼出没する」とか、クマの絵、マムシの絵の入った立て看板が何枚かあり、地元では登山者は歓迎されていないようです。


村の水道施設から荒れた小道を登り、山腹の道を行くと小滝を横切ります。
ここは橋が落ち岩が濡れているので、高捲きしました。
さらに涸れた沢を二つ渡ってから、植林帯の急登になります。
(ここまでガイドブックでは25分となっているのに、1時間近くかかりました)


しばらくは、しっかりしたジグザグの登りですが、すぐに崩落したガレ場の直登や岩場の横断などあって、時間がかかります。
赤い橋から2時間歩いて、まだ「五合目 840m」の標識に出会い、がっくり。


さらに1時間。ようやく尾根に登ると白髭岳が見えました。


倒木を越え、アセビのブッシュを漕ぎ、苔むした大岩の間を通り、最後はシャクナゲの大木を漕ぐように急登して辿り着いた頂上。(14時30分)
休憩を含め2時間半の予定が、なんと3時間以上かかりました。
今日はまったく風がなく、蒸し暑くて全身汗まみれです。

心配した雨にも遭わず、クマにもマムシにもヒルにも出会わずに済みましたが、久しぶりのシンドイ山でした。
しかし登り終えたあとの達成感は大きく、二人とも大満足で帰宅しました。

白山の思い出(続・日本三名山)

2008-07-08 12:48:03 | 四方山話
日本三名山のラスト、加賀 白山 の思い出です。

雷に追われて…
1990年、お盆を過ぎてから白山に登りました。
町内の会で計画したところ、勤め先の山の会もぜひ一緒にということになり、総勢20名の大パーティのリーダーでした。
 別当出合から砂防新道を登り、甚之助ヒュッテを過ぎた頃からポツポツと雨滴がが落ちだし、南竜ヶ馬場への分岐を過ぎて甚之助谷の源流らしい所を横切る頃には本降りになりました。
 『雷も鳴り出し、風も出て完全な荒れ模様となる。薄暗くなった中に電光が走り、不気味だ。急坂の道はすぐに滝のようになり、僅かに顔を出している滑り易い岩の上をひたすら登る。十二曲りを登り切った黒ボコ岩の辺りから、雷雨はますます激しくなり、靴の中に水が入ってくる。雷のあまり激しいときは、しばらく屈んで待避する。』
 という有り様で、靴の中もびしょびしょで室堂に着きました。


翌朝は嘘のように晴れ上がり、室堂の赤い屋根をみおろしながら快適に山頂へ向かいました。


待望の御前峰山頂・2702M。
剣から穂高に続く北アルプスがくっきりと、富士も、御岳も、乗鞍も見えました。


お池巡りの途中で振り仰ぐ御前峰です。
南竜ヶ馬場を通って下山しましたが、お花畑はもう秋の気配でクロユリやハクサンコザクラの花はすでに終わっていました。
「もう一度クロユリの時期に来たい」という♀ペンの願いを果たせたのは、15年後のことでした。

クマにばったり出会ったら…
2005年7月28日、二人で岐阜側の平瀬道を登りました。
家を出てから4時間半、大白川ダム近くの登山口を出発。
急坂となだらかな道の繰り返しで高度を上げて、お花畑の尾根に出ました。
正午に大倉山の小屋に着きましたが、大勢で混み合っているので少し先まで足を伸ばそうと、ナナカマドやタケカンバの並ぶ笹原の中を緩く下っていきました。
『道が平坦で少し広くなった曲がり角、10m足らずの右手前方に急に黒いものが現れた。
 「ク、クマ!」と叫ぶと、立ち止まってあどけない顔でこちらを見てから、トコトコと道を横切って左の笹原に姿を隠した。身長1.5mほどの子グマだと思うが、あっけに取られてカメラを向ける間もなかった。』
「近くに親がいる筈だ」と気付くと急に怖くなって、その場でしばらく様子を見ていました。


室堂平の東端にでました。コバイケイソウの大群落です。


15時、小屋に荷物を置いて、クルマユリやクロユリの群れ咲く中を少し登ってみました。


(ちょっと分かり難い写真ですが、クロユリの群落です)
天気はもちそうなので、頂上は明日の楽しみに残しておいて、ハクサンコザクラの群落を通って万才谷雪渓にいって夕食までの時間を潰しました。


当てが外れて、翌朝は雨の中の登頂となりました。
 もちろん楽しみにしていた展望は全くなく、強い風も吹きだしたのでそのまま下山しました。その代わり、たくさんの高嶺の花たちとゆっくり話し合えて、熊さんにも出会えたし、楽しい山行でした。

日本三霊(名)山

2008-07-07 09:34:16 | 四方山話
立山、白山ですが、立山については「三山の話」でご覧頂きました。で、残りの二山です。

富士山(3,776m)
「見る山であって登る山ではない」とか「一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」とか言われる富士山ですが、このところ毎年のように登っています。
海外トレッキングのための高度順化もありますが、私達にとって富士登山は加齢による体力の衰えを知るバロメーターにもなっているからです。
「不潔で物価の高い山小屋」の問題は、夏のシーズンを外すことと、六合目の宝永山荘を利用することで解消できました。

以下は初めての富士登山の思い出です。

86年7月、50歳を過ぎて初めて富士に登りました。
『75歳の義父が、一度は富士山に登っておきたいというのに便乗して、妻と3人で出かけた。
 山登りを初めてから20数年たってのはじめての富士登山だった。
 20代、30代の頃は、富士山に登るなら積雪期と決めていた。夏山の行列をTVで見ただけでうんざりし、もっぱら遠くから眺めるだけで十分だった。剣、白馬、槍、穂高、北岳、甲斐駒、木曽駒、赤岳…。さまざまな季節に数え切れぬ頂きから、稜線から、テント場からその姿を眺めても、それほど登高欲は湧かなかった。
 雪の季節になっても何度か仲間と登る機会を逸し、かといって単独で登る自信もなく、やはり眺めるだけだった。…』

 『 15時10分、新五合目発。ときどきガスが流れ冷気が沁みる。ガラガラの砂礫の中をジグザグに登る。ひねこびたコメツガとオンタデの白い花が目につくだけ。


 7合を過ぎると岩場まじりで勾配も強まるが、天候の心配も高山の影響もなく、義父は頑張って宿泊予定の8合目をパス。
 淡いブルーの夕闇が迫る頃、9合目・万年雪山荘着。満天の星と、三島、御殿場辺りの街の灯が呼応しあうようで、実に美しかった。

 翌朝、3時過ぎ頂上を目指す。すでに山肌に続くライトの列が電飾のように見える。時々眠り込むように座り込んでいる人を追い越して、4時半、富士宮神社奥宮に着く。義父は高齢者登山の記念品を授かった。社殿の前でご来光を待つ。


 紫紺の空に金粉をちりばめ、その中心に真紅の大円が静かに姿を現してくる。今、ここにある幸せを感謝する一ときだった。


 快晴の空の下、ドームが眩しい最高峰に立つ。


 大沢の方角に見事な影富士を見る。


 外輪のお鉢巡り(現在は別の道となったが、稜線を忠実に辿るコース)、白山峰では外国人と国際交流のひとときを持ち…』

11時、駐車場に下山しました。

 義父は午後は富士五湖巡り。清水で泊まった翌日は清水、三保の松原、日本平、久能山、登呂遺跡を見て回り、まったく長旅の疲れも見せませんでした。98歳の今も、記念の焼印を押した杖と私の焼いた写真を床の間に飾って、当時を懐かしんでは喜んでくれています。

天女の花に会いに大峯へ

2008-07-05 08:42:52 | 山日記
大峯・弥山周辺~明星岳のオオヤマレンゲの保護状況と観察をテーマとする、JAC 関西支部「オオヤマレンゲ観察会」に二人で参加しました。

7月2日午前10時半、行者還トンネル西口に着き、ゆっくりと登り始めます。
稜線にでて昼食後、懐かしい奥駈道を弥山へ。


黄金色のマンネングサで彩られた聖宝宿跡(13:30)。
ここから聖宝八丁の急登が始まります。


弥山小屋に荷物を置いて、周辺のオオヤマレンゲ保護区域の観察に出かけます。


たくさんの花に出会えて、満足して小屋に帰りました。


3日朝はキリションで明けました。7時前、雨具をつけて出発。
八経ヶ岳への道でも、霧の中で美しい天女の花が出迎えてくれました。


近畿最高峰・八経ヶ岳(7:20)から明星ヶ岳へ登り…、


ときどき小雨が降る中を高崎横手に下りました。
 頂仙岳のふもとを通り、緑の林の中を栃尾辻に出る頃(11:00)には陽も射してきました。かなりのロングコースですが、変化に富んだ楽しい道です。
途中、メンバーの一部は頂仙岳や栃尾山に登りましたが、私たちには旧知の山頂で変愚院は先導役でもあり、パスしました。
天川に下って(14時)、天ノ河温泉で汗を流して帰途に着きました。

二日間、大峰の自然について色々と考えさせられた意義深い山行でした。
観察会の模様や自然保護状況は、支部HPでレポートしています。
こちらもご覧ください

続々・三山の話

2008-07-01 15:20:17 | 四方山話
またまた三山のお話です。
鳳凰三山(地蔵岳 2764m、観音岳 2840m、薬師ヶ岳 2780m)
<1987.7.23~24>
南アルプス北部のこれらの山には、変愚院が勤務先の同僚6名と縦走しました。
 青木鉱泉を7時に出発。樹林帯の登降でドンドコ沢にでて、名にし負う急な登り。南精進滝、白糸滝、五色滝を見て、小さな梯子場などもある喘登で尾根に出ました。
 山腹の捲き道から河原にでて涸れ沢をつめて16時、鳳凰小屋に着きました。
 小屋周辺には高山植物が多く、少し上からは富士、大菩薩連峰の黒岳、三ツ峠山などが見えました。


 二日目は6時発。シラビソの林を抜けて花崗岩の砂礫地を登り、賽ノ河原で稜線に出ます。すぐ横に地蔵岳のオベリスクがそそり立っています。
 赤抜沢ノ頭に出ると快適な稜線歩きです。

観音岳が次第に大きく見えます。
 白い砂地にハイマツの緑、点在する奇岩怪石、枯木のオブジェ、岩陰のビランジ、シャクナゲの花。子供を連れた雷鳥の出迎えまであって「ゆっくり楽しもうぜ」と言い合ったのに、惜しい位に早く観音岳に着きました。

行く手の薬師岳、後ろに大きな富士も見えました。
 楽しい雲表のプロムナードの後は、中道の厳しい下りが待っていました。
薬師岳を10時10分にでて、林道登山口に出たのは14時(途中昼食1時間)。ここから長い長い林道歩きで青木鉱泉に帰り着いたのは16時前でした。
 殆ど人に出会わない静かな山旅でした。

マナスル三山(マナスル 8,163m、P29 7,871m、ヒマルチュリ7,893m)

 マナスル三山は、いずれも日本隊が初登頂を果たしたヒマラヤの雄峰です。
 2006年は日本山岳会が我が国初のヒマラヤ8,000m峰・マナスルに登頂した1956年からちょうど50年目にあたります。
 当時の登頂隊員・今西寿雄氏は日本山岳会関西支部長、会長を歴任された登山家であり、故人となられた今も、何かと関西支部とはご縁が深い方です。
 関西支部でこの山を展望するトレッキングが行われ、二人で参加しました。
詳しくはこちらをご覧ください。

「三山」の思い出は、他にもまだあるかも知れませんがこの辺りで…。