ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

金剛山に登りました(5月21日)

2010-05-22 09:03:33 | 山日記


「ヤマトグサが咲いているか見に行こう」と♀ペンのリクエストで急に金剛山へ行く
ことにしました。
今日は高天(たかま)道を登ります。昭和10年から終戦までの10年間、御所の方から
山頂の社務所などへ郵便物が運ばれた道で、郵便道と呼ばれています。
高天彦神社下の駐車場に車を置いて、神社に登山の安全をお祈りしてスタート。(10:15)
この神社は天孫降臨伝説のある高天にあります。神社前の説明板によると…

御祭神 高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)
由 緒 天照大神の子の天忍穂耳尊(あまのおしほのみみのみこと)に本社の御祭神
の娘、栲幡千々姫(たくはたちじひめ)が嫁ぎ、御子の瓊々杵尊(ににぎのみこと)
が高天原から降臨される。その神話に言う高天原がこの台地である。
 御祭神を祖神とした葛城族は、大和朝廷に潜行する葛城王朝を築き、亡びた後も
平群・巨勢・蘇我の豪族として栄えた。
 延喜の制では、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗には、官幣に預かってきた神社
である。




流れの左岸沿いに行くと7mほどの高天滝があります。休憩所横から木橋を渡ると、
山道が始まります。気温が高く、半袖姿で歩いているのに額から汗が滴り落ちます。



ヒノキ林の中に丸太の階段が続きます。やや勾配が弱まったところに木のベンチが
あり、イワゴノ谷への道を分けます。マツバカケと呼ばれる分岐です。
ベンチに腰をかけて一息入れ、汗を拭いました。(10:55~11:05)



しばらく山腹を左に捲くように平坦な道を行き、道が崩れてマダラロープが張られた
所を過ぎると、急な木の階段があります。高度を上げるにつれ、木の間から見える
右手の白雲岳(王山)が、次第に近づいてきます。



最後は嫌というほど長い急な階段道が続き、息を整えながら登り切るとダイヤモンド
トレールに飛び出しました。去年、葛城山から水越峠に降りて登り返してきた懐かし
い道です。(12:05)



平坦な道を500m進むと一ノ鳥居です。湧出岳、ロープウェイ方面からの道を合わせて、
今まで数えるほどしか出会わなかった登山者の数が急に多くなります。
急な坂道を登っていくと仁王杉との間で、期待どおりにヤマトグサが咲いていました。
思いのほかの数の多さでしたが、残念ながらまだ背丈が低く花も小さなものでした。



仁王杉の前から裏参道のブナ林に入ると葛城山の南面が見えます。去年に比べると
ツツジの赤い色が薄く数も少ないようです。



山頂の葛木神社の前にボタンザクラが美しく咲いています。参拝をすませて転法輪寺
へ下ります。(12:35)



行者堂と十三重塔の間、一面にニリンソウが群れ咲いています。



国見城址からの展望は、あいにくの黄砂の影響で全くありませんでした。
大時計下に工事用の赤いコーンが置いてあり、ブルーのシートが張ってあるので
不審に思って近づいてみると、北尾根への下る道が大きく崩壊して通行出来なく
なっていました。
ボタンザクラの下でお弁当を食べて(12:50~13:15)、元の郵便道を下りました。
(15:00 高天彦神社帰着)久しぶりに充実した山歩きを味わえて満足の一日でした。

初夏の矢田丘陵(5月18日)

2010-05-18 17:12:35 | 矢田だより


初夏らしい陽気になりました。矢田寺駐車場へ車を置いて国見台に登ると、ぼんやりと
高見山が見えました。
稜線を松尾山へ歩き、バラ園を見に松尾寺に下ります。



庭園に入る道に美しい花壇がありました。



タイツリソウは終わっていましたが、このオダマキやジキタリスが咲いていました。



バラは今年は咲くのが少し遅いようです。今年ももう一度訪ねることになりそうです。





それでも馥郁とした香りが辺りに漂い、この「モーリスシュバリエ」という品種など様々な
花が目を引きます。



参篭所で行われている管主の墨蹟展を見せて頂きました。





登り返して松尾山から矢田山へ稜線の道を辿ります。ホトトギスが鳴く山中某所で
キンランが咲いているのを見つけました。



なんと矢田寺境内に下ったところにも咲いていました。



矢田寺弁天池では黄色のショウブが美しく咲いています。
今日も様々な花たちと出会えて幸せなひとときを過ごせました。

シルクロードの風

2010-05-18 09:52:59 | チベット関連本
わが家の書棚にあるチベット本の紹介を続けます。



内田嘉弘さんは京都府・城陽市生まれの日本山岳会会員です。奥駈道など何度か
ご一緒に歩いたことがありますが、本当に笑顔の優しい、そしてお話しの楽しい
方です。
 1972年の韓国・韓新渓谷の冬季初遡行、75年のパキスタン、プリアン・サール
峰(6293m)初登頂をはじめ、様々な登山経験をお持ちです。
65歳を過ぎてからは公認ガイドを引退されて、「登山から旅へ」へ変わったと
おっしゃっています。

この本には氏の若い日の多彩な海外登山活動のうち中央アジアの山々の記録を始め、
最近のシルクロードを楽しむ旅…タクラマカン砂漠一周、カイラス一周巡礼の旅、
蘭州から敦煌へ河西回廊の旅など…また最終章の「中央アジア探検について」では、
19世紀、20世紀にこの地域に入った人々の業績が簡潔にまとめられています。

そのなかで、チベット関連は2005年の「もう一つのシルクロード」青海への道。
これまでに知られた天山北路、天山南路、西域南道のメインルートに最近、知られ
るようになった西寧から青海湖、米蘭を経て西域南道に繋がるルートです。

西寧手前の街・平安でダライラマ一四世の生誕地を探し、土地の人に尋ねると
「つっけんどんに方向をさすだけ」、畑仕事の人に聞くと「砂をかけられた。何か
様子がおかしい。中国ではダライ・ラマということが憚られていると聞く。」
そして西寧では昭和19年日本外務省の密偵として入った西川一三氏の見聞なども
紹介されています。

青海湖の手前の日月峠(3374m)では
「着飾ったヤクを連れてきて『写真を撮らないかー』というチベット人、飾り物の
土産を手に一杯持ってきて『買ってくれー』と言い寄るチベットの婦人たち…」
という箇所があり、私たちが2006年、ヤムドク湖手前のカンバラ峠(公称4990m)で 
出会った光景とまったく同じで、笑えました。

もう一つのチベット関連はこの次の章の「青山巡礼ーカイラス一周から新彊の天池へ」
で、「五体投地」の状況なども詳しく紹介されています。

写真、地図などの図版も多く、副題の「山と遺跡とオアシス」の情景がいきいきと
眼前に展開するように紹介されている、楽しい本です。

この本では紹介されていませんが、内田さんは2006年、東チベットのラサからチャムド
への旅で見た珍しい「樹葬」の模様を、2007年JAC夏季懇談会でお話されています。
この様子は当時このBLOGでお伝えしましたが、再掲します。





樹葬の地はぐるりを5000mを越す氷河を持つ高峰に囲まれた、標高2200~2300mの
静かな森の中にあります。村の外れから林道をジープで走ると、車止めがありチョルテン
が6つ、近くの木には白い布を張り巡らせてあり、敬虔な気持ちになったそうです。
ちょうど二人の若い尼さんが来て案内してくれ、15分ほど歩いたところが樹葬の地です。



これはスケッチの得意な内田さんが白板にすらすらと書かれた樹葬の図です。
薄赤色の毛布で遺体をくるみ、1は木の枝の間にカゴをおいて入れたある。2は樹幹に
くくりつけてある。3はこのような肩掛け鞄に入れて木にかけてある。4は容器に入れ
て地面に置いてある。このように様々な形態があるようです。
5は平らな岩の上に並べられた頭蓋骨。全て小さいもので幼児のもののようだったそう
です。あとで良く調べると、樹葬の対象になるのは8歳以下の子供だということです。

それにしても火葬、土葬の他に「鳥葬」「水葬」までは知っていましたが「樹葬」と
いう風習があるのははじめて知りました。内田さんも、民俗学に興味があるので
チベットについて更に勉強したいとおっしゃっていました。



内田さんの奥さんは1974年、日本女子登山隊員の一人でマナスルに登頂されました。
これは女性による世界初の8000m峰登頂でした。
上の写真は登山隊の公式報告書で、「手元にまだ残っているから」と内田夫人から
ご恵贈くださったもので、変愚院にとって忘れられぬ貴重な書籍です。
この報告書の「調査・研究」の中でも、白水ミツ子さんが「サマのラマ教」について
ゴンパなどの建造物、僧侶の生活、葬制や祭りなどをレポートされていることを、
付け加えておきます。


コラボ弁当

2010-05-17 11:14:16 | Weblog


セブンイレブンと吉本新喜劇の共同企画の弁当が、地域(近畿)限定、期間限定(5月15日
から3週間)で売りだされました。
TVで特番までしていたのを見たので、珍しがり屋で初もん喰いの変愚院夫婦は、さっそく
食べてみました。



吉本新喜劇の芸人さんたちが近畿二府四県から美味しい食材を集めて作ったというのが
ウリで、値段もコンビニ弁当としては高めの698円ですが、お味の方はまずまず納得できる
ものでした。ビールにもよく合います。

花の寺・當麻寺西南院(3)

2010-05-16 09:10:30 | 花日記


庭園は江戸初期に造られたものを中期に改造された「池泉回遊式」です。
西塔を借景にしていますが、教えられたとおり見晴らし台に登ると東西二塔が並んで
見えました。





西塔が池に姿を映しています。





脳天仏を祀る高台に登る途中はシライトソウの大群落です。





ゆるく下って色とりどりのシャクナゲが乱れ咲く庭園を巡って行きます。



♀ペンの一番好きな色のシャクナゲ



水琴窟
「つくばい」から流れ落ちた水が土中に埋められた素焼きの甕の中に落ち、なんとも
いえない妙なる音を静かな空間に響かせます。
この庭園には二つありますが、これは西側のものです。(もう一つは二枚目の写真を
撮った近くにあります)



ゆっくりとお庭を拝見して、ナンジャモンジャの木に見送られて西南院を後にしました。

花の寺・當麻寺西南院(2)

2010-05-16 08:57:54 | 花日記
中門を潜って庫裏の前に出ます。
受付におられた大黒さんが院内の見所をていねいに説明したあと、私たちが花を見にきた
と聞いて、外に出てこられて庫裏横の鉢植えの山野草を教えて下さいました。

以下はそのうちの一部です。



クマガイソウ



珍しい色のイカリソウ



クロユリ



ユキモチソウ



ニッコウキズゲ



珍しい色のシラン



ロウバイ



黒ロウバイ





本堂前のハンカチの木

本堂にお参りを済ませ、ハンカチの木の下から書院と本堂の間の通路を庭園に向かいます。
(この項、続く)

今日の大和民俗公園(5月15日)

2010-05-15 16:37:51 | 矢田だより
美しい五月晴れの土曜日です。



ひょうたん池の畔では、「親子デー」で訪れた幼稚園児たちがゲームを楽しんで
います。



ヒツジグサが開き始めました。

さて、我が家から大和民俗公園までは歩いて15分ほどの距離ですが、この間に長い白壁を
巡らした大きなお寺があります。(バス停・奈良高専前)



黄檗宗、恵日山・発志禅院で14代大和郡山城主・本多忠常公の菩提所です。
大和郡山城は郡山衆の居城から、筒井順慶、豊臣秀長の時代を経て、大坂夏の陣以後
はしばらく松平氏と本多氏が交互に城主となりました。
10代城主・本多政勝(昨日のBLOG 當麻寺・傘堂の項で名が出ました)からは、柳沢吉里
が18代城主となるまで、しばらく本多氏の時代が続きます。
本多氏は大阪の陣で軍功があり、徳川四天王として武名を馳せ三ツ葵の紋を賜った家柄
です。三ツ葵に茎をつけたものを家紋としています。



寺の北西の小高い丘に登ると、静かな林に囲まれて忠常公の墓所があります。



大きな亀を台にして背中に石碑が立ち、忠常公の経歴などが記されています。
歌ヶ崎御廟として市民に知られている所です。

花の寺・當麻寺西南院(1)

2010-05-15 16:33:01 | 花日記


西南院は當麻寺の塔頭の一つで、境内の坤(西南)に裏鬼門の守り寺院として創建
されました。





入り口を入ると、たくさんのボタンが植えられていますが、残念ながらすでに花の時期
は終わっていました。



モッコウバラが咲いていました。黄木香は秋篠宮家眞子内親王のお印です。



中門の前に大きなナンジャモンジャの木が立っています。
「なんじゃこれは?」という意味で名付けられた木は何種類かあるそうですが、この
ヒトツバタゴをこう呼ぶことが多いようです。遠くで見ると雪が積もったようですが…



近くで見ると、なかなか美しい花です。



突抜忍冬(ツキヌキニンドウ)
花に一番近い互生する葉がくっ付いてその間を茎が貫いて花が咲くという珍しい形です。



中門をくぐります(この項続く)

今日の矢田丘陵(松尾山・5月14日)

2010-05-14 13:17:47 | 矢田だより
今日も晴れたり曇ったり、猫の目のように忙しく変わる天気です。



法隆寺カントリーゴルフ場横を登っていくと、こんな可愛い小さな小さな花が
咲いていました。



アップにしてみました。なんという花なんでしょう。



六丁の町石近く、モチツツジが咲いています。



松尾寺境内は遠足の幼稚園児で埋まっていました。バラ園は明日から公開とのことです。
三重塔横を登って…



松尾山頂三角点に立ちました。小雨がパラついてきたので慌てて下りましたが…



また青空が拡がってきました。往復1時間40分、ノンストップの足馴らしでした。