ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

大和郡山の史跡と伝説(9)柳里恭

2014-12-14 09:42:00 | 四方山話

 

9.柳里恭の墓(大和郡山市外川町)
柳澤里恭は江戸中期に柳澤家に仕え、二千五百石の大寄合の重職にあった武士です。父・保格は柳澤姓を名乗ることを許された重臣で、里恭(さととも)はその次男。後に中国風に「りゅうりきょう」を名乗りました。いくつかの号のうち「淇園」がよく知られています。武芸百般に通じ、人の師となることが出来た項目は16あったといいます。
 
 
国学では本居宣長、上田秋成と並び、絵画では池大雅の師匠でした。図は東京国立博物館蔵の淇園筆・関羽像(Wikipedia・public domain)
 
 
まさに文武両道の天才ですが、武者修行の途中、郡山に立ち寄った宮本武蔵と郡山城で会見したという伝説があります。武蔵は「貴殿がこのように剣の達人とは」と感嘆すると、淇園は「貴殿の絵のお腕前こそ」とお互いに褒めあったといいますが…武蔵は正保2年(1645)に没し、淇園は元禄16年(1703)生まれですから有り得ない話です。里恭の墓はわが家のすぐ近く、発志禅院にあります。
 
 

12月12日の山

2014-12-12 10:04:01 | 山日記
もう14年前になりますが、平成12年12月12日12時12分に標高1212mの御在所岳山頂にいました。
ML(メーリングリンク)低山徘徊派のTさんの呼びかけで、正午に頂上で集まろうという企画。
私たち夫婦はスカイラインゲートの上に車を置き、Tさんの4輪駆動車で中道登山口へと3人で中道を登りました。スカイラインを登っていった車も何台かありましたが、みな武兵峠か表道に向かつたらしく、ここ中道はまったく人気がありません。大きな花崗岩の点在する尾根道を行くと、時に吹雪いたり、強い突風が雪を舞いあげたりして寒気が肌を刺します。
 
 
負レ岩を過ぎたところで単独の人が引き返してきました。「地蔵岩まで行つたが、その上はかなり厳しいので…」ということでしたた。この先は凍結している箇所もあって無心に登ります。
 
 
凍結したキレットを慎重に下り登り返します。振り返るとガラス細工のような霧氷の林です。樹林帯に入ると積雪は30cmほどになりました。壺足で登りつめて稜線にでる頃、雪がやみました。
 
 
雪を踏んで朝陽台に来ると、メンバー二人と美しい樹氷が迎えてくれました。
 
 
三角点は大きな字幕を用意した団体や「昭和12年12月12日生」の男性など大勢の人で混み合っていました。
正午、混まないうちにと5人で記念撮影。
 
 
12時12分には他の3人のメンバーも顔を揃えて、8人で雪の深い表道を下りました。
 
 
振り返ると紅葉と岩肌に薄雪の衣を纏った御在所岳と鎌ヶ岳が見送ってくれるように聳えていました。いつまでも忘れられない1212です。
 
 

私の関西百山(100) 諭鶴羽山

2014-12-09 20:23:45 | 私の関西百山
 
100 諭鶴羽山 (608m) <淡路島>
(ゆずるはやま)淡路島で一番高い山。山名の由来は、天竺の摩迦陀神がツルに乗って熊野に赴く途中、山頂で羽を休めたからとか、あるいはこの山には「ユズリハの木」が多く自生しているためとかいわれている。
 
 
 
1998 年5月15日、千日山歩渉会のメンバー7人で登った。この前月に開通したばかりの明石大橋を渡り、淡路島に入る。東海岸を南下、諭鶴羽ダム堰堤横に車を停める。曽我十郎が仇討ちの願掛けに頂上の神社から担ぎ下ろしたという「十郎担い石」という2個の大岩がある。その前が登山口で、階段を10段ほど登りヒノキ林の中を急登する。
 10分程で明るい尾根に出て、下にダムを見下ろすようになると後はなだらかな道。大きな石の道標を過ぎ、神倉社に着く。社の横に太い高野槇が何本かと、役行者や不動明王の石像などがある。
 
 
なだらかな尾根道は木漏れ日がチラチラする緑の中で、そよ吹く浜風と相まって実に爽快。1時間ほどで広い草地の山頂に立つ。
 
 
八州展望台といい、淡路、紀伊、和泉、河内、摂津、阿波、讃岐、備中を見ることが出来るそうだが、あいにく海上は少しもやっていた。それでも石の台に登ると西に鳴門大橋を挟んで四国の山や町、東には紀淡海峡が光っていた。遠く和歌山の町も霞んでいる。
 
 
反対側の諭鶴羽神社の方に下る。沼島を正面に見下ろす電波塔を過ぎると神域に入る。昼なお暗いアカガシの群生地である。大きいものは高さ20m、根回りは3mを超す。イヌグスやスダジイなども混じる鬱蒼とした林を過ぎ、平和祈念塔の立つ広く明るい草原で昼食。
 
 
帰りは諭鶴羽神社にお参りした。淡路一帯の産業神で、祭神はイザナギノミコトなど熊野権現と同じだそうだ。鎌倉時代には20余も社堂があったという。同じ道をウグイスやホトトギスの声を聞きながらダムに帰る。
 
*午後は南淡路の大鳴門橋から渦潮(小さいものだったが)を見た後、由良に泊まる。翌日は淡路富士とも言われる淡路第二の高峰・先山(せんざん 448m )に登る。ただし、すぐ近くまで車で、3カ所ほど長い石段を登ると、千光寺の山門、三重塔、六角堂、本堂などが立つ山頂だった。
 
*関西には私が登っただけでも、まだまだご紹介したい山がたくさんありますが、ようやく目標の百山に達しましたのでこのシリーズは終わります。長い間のご愛読ありがとうございました。*

私の関西百山(99)大江山

2014-12-06 18:29:10 | 私の関西百山
 
99 大江山 千丈ヶ岳・833m ) 
(おおえやま)丹後山地の中央にある鍋塚山、鳩ヶ峰などの総称。最高峰の千丈ヶ岳の別名でもある。東山麓に元伊勢神宮内宮と外宮があり、崇神天皇の時にここから伊勢に遷宮されたという。またお伽草紙の酒呑童子、謡曲の大江山など、鬼退治伝説でも有名な山である。
 
 
1996年10月27日、パソコン仲間の低山排桐派オフ会に二人で初参加。総勢10数名の賑やかな山歩きだった。
前日に集合場所を下見するついでに、鬼のモニュメント、鬼の交流博物館(1)見学、元伊勢神宮内宮(3)と外宮(4)に参拝後、福知山に引き返してビジネスホテルに泊まった。
  今朝は大江駅前の鬼瓦公園(2)で顔合わせのあと車二台は鬼嶽神社前に配置、千丈ヶ岳から北西に延びる稜線上740m地点、航空管制塔の立つ林道終点から上りだす。登山道に入ると雑木林を10分ほど下って、林が切れた見晴らしのいい場所に鬼の岩屋がある。
 
 
さらにコルに下って鍋塚への登り。見事に紅葉した雑木林の道は道幅も広くよく整備されている。
 
 
疲れも感じないうちに鍋塚頂上(763m)に着いた。北に海が見え半島の辺りは伊根の船泊、右に青葉山。
 
 
行く手には鳩ヶ峰と主峰・千丈ヶ岳が重なって見える。青空に映える山肌はまさに錦繍を纏ったあで姿。別のコルに下ると林道が延びてきていて駐車場と休憩所がある。
 
 
コルから600mの登りで鳩ヶ峰(746m)頂上。のんびりと陽光を浴びながら、360度の山々の大展望とランチタイムを楽しむ。食後、最後の目的地、千丈ヶ岳を目指して落ち葉の散り敷く木の階段道を登る。真紅のナナカマドの樹林帯を抜けると、なだらかな833m二等三角点の山頂。
 
 
振り返るとスタート地点の管制塔から続く紅葉の稜線。手前には白いススキの穂、遠くに青い海。そして三角錐の三岳山、すぐ近くの赤石ケ岳はいうに及ばず、ぐるりを取り巻き、重なり合う山、山、山。眼下に拡がる箱庭のような町や村。昨日泊まった福知山の市街地が光っている。大展望に酔いしれて立ち去りがたい山頂であった。

私の関西百山(98)雪彦山

2014-12-03 09:59:53 | 私の関西百山

 

98 雪彦山(915m)

(せっぴこさん)夢前川の源流に位置する山で、新潟の弥彦山、福岡の英彦山とともに「日本三彦山」の一つとして知られる。洞ヶ岳、鉾ヶ岳、三辻山の三つの山の総称であるが、上の標高は三角点がある三辻山のものである。洞ヶ岳は険しい四つの岩峰からなる古くからの修験道の山で、その大天井岳を雪彦山の主峰とすることもある。
 
始めて登ったのは1969年だが、1枚の写真も残していない。ここでは1993年、二人で訪れたときの様子を記す。
 
 
マイカーで山麓の賀野神社大鳥居前の駐車場に着き、頭上に聳え立つ不行岳の岩峰を仰ぎながら出発。岩や木の根の階段状の急登で、不行岳の岸壁を間近に見る岩の上に出る。尾根上の道となりホッとしたのも束の間、再び灌木帯の中の厳しい登り。尾根の左を捲くと、はるか下に沢の水音が聞こえ、大きな岩塊を越えて出雲岩に着く。
 
 
大きく道の上にオーバーハングした岩に、いくつかアブミがセットされている。しっかりした岩の道を左側から捲くように登ると、5メートルほどのチムニーに鎖が取りつけられている。登りきると出雲岩の上に出た。
 
 
ついで覗き岩のクラック。
 
 
少し登るとテラス状の見晴らし台。明神山の鋭峰を始めとする播州の山々の展望が素晴らしいが、凄い絶壁で下を見ると足が疎む。次にちょっと岩登りのテクニックが要る、細かいスタンスのスラブがあり直登する。捲道もあり「馬の背」と呼ばれる所だ。これで核心部は終わり、あとは一登りで洞ヶ岳に着いた。
 
 
大天井岳(884M)の標識があり非常に展望が良い。笠形山が整った美しい姿を見せ、播州平野の向こうには瀬戸の海が鈍く光る。
 
 
大天井岳から鉾立山

いったんコルに下って鹿の壷への道に入る。ここから山の形相はがらりと変わり、潅木帯の中の熊笹の道となる。人影が消え、この後、下山するまで誰一人にも出会わなかった。熊笹の中を登ると、三つ目のピークが915Mの地図上の雪彦山(三辻山)だった。灌木に覆われ展望が悪く、わずかに北から西にかけて峰山高原と遠く氷の山が望めるだけ。下りは背丈を越える熊笹を漕いで、何本もの倒木が道を塞ぐ林の中の分かり難い道となり、最後に長い熊笹の中を登り切ると、鉾立山頂に出た。
 ここは960Mで三山では最も高い。しかし全く展望なし。緩く下っていくと、急に谷に向かって急勾配で下り出す。どんどん下ってこれで正しいのか不安になる頃、峰山←→雪彦の古い標識が見つかった。
 
 
 
紅葉谷の源流らしい細い流れに沿って下る。徒渉したり古い橋を渡ったり美しい滝を見たりしながら下る。やがて右岸の岸壁に沿った長い桟道が連続する。足下は深い谷に落ち込んでいてスリルがある。
 
 (虹の滝・1997年11月)
 
滝の音は耳を聾するばかり。右に地蔵岳の岸壁を仰ぐようになると洞が岳からの下降路に出会う。ここから急に広い道となる。賀野神社への道を左に分けると急坂の下りで、再び谷を渡りゴロゴロの岩塊の急降下。谷間に夕闇が迫る頃には後の大きな滝に出合う。なだらかな草原の道を通り、ダムの横に出た。
 
<コースタイム> 駐車場10:45…出雲岩11:45…大天井岳(洞が岳)12:23……途中昼食…13:50雪彦山…鉾立山14:30……15:40虹の滝?15:50…16:40駐車場
 
1997年11月9日、低山徘徊派・秋のオフ会9人で同じコースを歩く。素晴らしい紅葉を見ながらの楽しい山行だった。