静かな日曜日だった。そう風のことを気にするでもなく。朝は、アメリカ大陸の東はずれに住む友人家族とのスカイプ交流の楽しみにS君も加わって・・・まあ、とんでもなく便利な時代になったものだ・・・。
運よく数百年後まで現在路線の人類文明が残っていたとして、今という時代は、まさに「大情報革命」の時代であったと評価されることは間違いないだろ。それが本格的に始まったのは、ほんの20年ほど前、Win95が出て、マックも頑張り、インターネットが大普及を遂げてからのことだ。この間の世界的技術革新はどんなに驚嘆してもしきれないくらいだ。
何年か前に、こんな記事を書いたことがある。こんな変化がまだまだしばらくは続くだろう。
「ウィンドウズ95が出てすでに12年、干支が一回りしたわけだが、この間のインターネットやパソコンの技術革新は目まぐるしかった。ほとんど驚異的と言ってよい。私が手にしたWin95最初のPCは14インチモニター一体型のNECキャンビーだった。(当時25万円、今これだけ使えばかなりの性能のデスクトップが3台は買える。)Win3.1に比べると格段に扱いやすいOSになって、随分多くの時間をワクワクしながら、時にはノイローゼになりそうなくらい熱心にこの世界との付き合いを始めた。
ちょっと振り返ってみると、私のパソコンの原点は25年前のまだマイコンと呼んでいた頃のシャープMZ7000だ。これを安月給をはたいて購入したときの嬉しさは格別だった。モニターは家庭用のテレビ、プログラムはBASICをカセットテープで小さなメモリに何分もかけて読み込ませてから更にゲームソフトのテープを読ませる。それでやっと『スタートレック』などのアドベンチャーゲームみたいなものが楽しめる・・・というもので、ともかくゲームがしたくて始めたようなものだった。
そして、このBASIC言語を何日もかけて組んでやっと完成させ大喜びしたのが単純なピンャ塔Qームだった。これで充分感動できた時代だ。このゲーム熱も数年後にファミコンなる万能ゲーム機が出て一挙に冷めてしまうことになる。
12年前のネット環境は今から考えるとバカ高い料金の従量制で、ピーヒョロと鳴く14.4Kbpsのモデムで、常に時間を気にしながら100kb程度の(楽しい)画像を落とすのに何十分もじっと待っていたこともあった。これが今や100Mbpsの時代だ。ざっと1000倍の速度!
HPを中心とするネット上の情報の総量も圧涛Iに少なかったけれども、英語サイトの文書類にはかなり使えるものがあった。すごい時代になったな!これからもっとすごいことになるだろうなー・・・と考えていた。そして、その通りになった。PCのCPUやハードなどはもう言葉にもならないくらい大変なもので、私の想像をはるかに超えていた。メガバイトの単位のハードディスクの容量がギガバイトになったのだから、これも単純に1000倍進歩したということになる。10年ちょっとで1000倍に変化するものなんて、第一次世界大戦後のドイツを除いては、終戦直後の日本の物価くらいのものだろう。
人間の環境適応能力は全ての動物に優れる・・・という人がいる。私もある程度はこの説に賛同するが、しかし、どんどん前に進むだけが人間の幸せでないことも良く知っている。つまり、日の当たる進歩の裏にはおそらく同程度の退歩の影がくっ付いているという見方をする。長い目で見た場合、その退歩・後退が人類の存続にとって決定的な負荷になり、取り返しの付かないものにならないことを、とりあえず今は願うよりないのかもしれない。」
やはり問題は、これで「人類が幸せになるかどうか」ということで、大概のモノゴトには明と暗があるから、手放しで喜んでいると、たぶん痛い目に会うこともあるだろう。
人間が作った道具を使うのは、もちろん人間であり、おそらく宇宙大に広大深遠な人間存在そのものの「科学的」探求は、どんなにひいき目に見積もっても、序の口に付いたばかりじゃないかと思われる。
もっとも私は、いわゆる現在の科学的方法のみが、人間探求方法の全てではないと考える人間の一人である。