冠婚葬祭嫌いの私が、逃げるわけにもいかない結婚式で岡山に来た。ここは何かしら縁の深い土地だ。
もう40年になるのか・・・地震学研究の道に進み、博士課程入口の25歳で逝ってしまったT君が18歳で学生生活を始めたのがこの街だった。
一昨年の紀州旅行の帰途、あの東北沖大地震がやって来てフェリーが止まり、急遽、陸路に切り替えて立ち寄ったのも、この地に建立された彼の地蔵に会うためだった。
忘れ難き大地震に促されるように、生きていれば間違いなくこの道の大研究者になっていたであろう、忘れること能わざる友人の石像と対面した。
明日は再びT地蔵に挨拶して帰る。年月の経過は、私の生きる環境世界も私自身も、そして私に繋がる過去の多くの事実も、その意味を変えた。
しかし、あの彼の小柄で柔らかな姿や、爽やかな笑顔や、残した言葉は変わらない。おそらく、これからも変わらないだろう。不変の世界の人間は、流転・変転を止めない世界の人間にとって、常に新しい何かなのかもしれない。
もう40年になるのか・・・地震学研究の道に進み、博士課程入口の25歳で逝ってしまったT君が18歳で学生生活を始めたのがこの街だった。
一昨年の紀州旅行の帰途、あの東北沖大地震がやって来てフェリーが止まり、急遽、陸路に切り替えて立ち寄ったのも、この地に建立された彼の地蔵に会うためだった。
忘れ難き大地震に促されるように、生きていれば間違いなくこの道の大研究者になっていたであろう、忘れること能わざる友人の石像と対面した。
明日は再びT地蔵に挨拶して帰る。年月の経過は、私の生きる環境世界も私自身も、そして私に繋がる過去の多くの事実も、その意味を変えた。
しかし、あの彼の小柄で柔らかな姿や、爽やかな笑顔や、残した言葉は変わらない。おそらく、これからも変わらないだろう。不変の世界の人間は、流転・変転を止めない世界の人間にとって、常に新しい何かなのかもしれない。