庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

塩屋 (台風一過)

2011-07-20 20:27:00 | 海と風
台風一過・・・といっても、今回のマーオン君は奇妙な進路を取り、はるか南方から四国に照準を合わせるかのようにまっすぐ北上し、足摺岬沖あたりでグッと北東に進路を変え、徳島の端をちょっとかすめると、東南東に向かってゆっくりと太平洋に帰っていく・・・という動き方をしている。 

ちょっとばかり日本列島に挨拶に来た・・・という感じ。しかし、高知などでは1000mmを超える大変な豪雨になって、大自然界の「有難迷惑」を被(こうむ)っている人たちも多いことだろう。中でも、こないだの地震でいまだ苦しみ続けている関東以北の地方の方々に、大きな影響が出ないことを祈る。 

四国山脈に守られている平和な松山は昨日、暴風警報が出たおかげで、家内の職場も学校なども有り難いお休みのプレゼントをもらったようなものだ。普通、台風が抜けると、それなりの「返しの風」があるものだが、今回はこれもきわめて限定的なものだった。 

昼前から空も明るくなったので、一昨日の台風ライドでビショビショのカイト2枚を乾かしに塩屋へ出かける。ちょうどF君が来た頃から、12㎡で充分走れる南西風になる。塩屋では、まず理想的な風向きだ。沖の方ではまだ相当の風が残っていたのだろう、河口近辺には滅多にないほど波長の長い美しいウネリが入っていた。さらに珍しいことに、順潮にもかかわらず、その沖の海域はほぼフラットで、私のカイトスタイルには理想的とも言える2つの条件がそろっていた。 

先日からの歯茎の化膿熱が全身に回り、いつもよりかなりフラフラしたジャンプを繰り返すことになったが、まあ、久しぶりに下手なウェイブライドも存分に味わうことができて、是また好日としよう。 

12㎡、22km
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堀江 (台風)

2011-07-18 22:41:00 | 飛行理論
堀江には最も適した北東風であるが、今日の風は台風である。さて、これで雨が降ってたらどうしたものか・・・と思案しながら到着すると、およそ予想通りの雲行きで、台風特有のガスティウィンドが吹き込んでいた。 

12㎡で少しは走ったものの不安定なオーバーブローでは何もできそうもないので、10㎡に代えて出てはみたが、ちょっと気を抜くと軽く吹っ飛ばされる。そのうち雨も降り出し、これではどうにもならんな・・・ということで、本日おしまい。 

強風下でのガスティ・コンディションでは、大体こういうことになる。共通点も多いウィンドとカイトの大きな相違点いを感じるときでもある。ウィンドサーフィンにとっては、台風は僥倖(ぎょうこう)の一種だった。まあ20年以上前のセールや板は、現在のそれよりも軽快にできていたということもあるのだろうが、秒速15mを超える風でも、大喜びで風の続く限り走り続けていたのを思い出す。カイトの世界では、よほど適した環境がない限り、まず不可能だろう。 

それは何故か・・・。まずは、風が作用する“絶対面積”の違い。次に、風の力(揚力)が発生する空間的位置と作用が及ぶ地点の違い。次に作用点の数の違い。 

たとえば、風速7~8mの環境下、ウィンドなら6㎡程度だが、カイトは12㎡前後・・・と、およそ2倍のサイズを使う。インフレータブルなら、その空力特性はウィンドのセールと似たようなものだ。それを、ハーネスの一点を中心とする半径20m程度の円運動による、動きの自由度の高さという利点によって、コントロール可能なものにしているわけだ。もし、これが、ウィンドのようにもっと体の近くにあって、板であれ身体であれ、一点に固定されてたら、とんでもないことになるだろう・・・というよりも、たぶん何もできずに吹き飛ばされるだけだ^^; 

この利点が、不安定な風の中では、逆に欠点として作用する。20mも離れた場所で働いている、強大なパワーが人間に伝わるまでの広い空間で何が起こっているか・・・という問題。空の世界の話だが、私は、たった10mほどの高度に存在した、目にはまず見えない“ウィンド・シア”によって、ランディング・アプローチを誤り、河原に激突して生死の境をさまよった、ハンググライダー上級者の友人を、目の前で見ている。 

それに、ウィンドのセールは板には固定されているが、基本的に人間には固定されず、セールを支えるブームに付いたハーネスラインから、いつでも簡単に自由になることができる。ところが、カイトはそうはいかない。人間とカイトは非常に親密にくっ付いていて、リーシュという安全装置でも開放しない限り、カイトが吹っ飛ぶということは、だいたい人間も吹っ飛ぶということを意味する。
 
風の心は、それを読むのに、女心より難しいことなのかもしれない。

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有難迷惑 (4)

2011-07-15 23:50:00 | 海と風

(3)の続きである。第三者の「無知」から、私がパラグライダーで1回、カイトサーフィンで3回、公共機関に無用な通報をされた・・・という話を書いた。

今後、似たような経験をするかもしれない方たちの用になるかもしれないので、その状況をもう少し詳しく書いておくことにする。カイトの3回での私の姿勢は、パラのそれと全く違って、まことに紳士的なものだった。その理由は簡単で、ことの構造が分かり過ぎるほど分かっていたからだ。

1度目は、カイト生活1年目の粟井海岸でのことで、この浜でこんなスメ[ツをするのは私が初めてだった。この頃の私はまだインフレータブルの15??を使っていて、当たり前のことだが、しょっちゅうカイトを海に落とし、風がどうにもならないときは泳いで浜まで帰っていた。

海岸近くに住む人たちがモノ珍しく思ったのは当然で、よく興味深げに見物しながら、ときどきお話もしていたから、徐々に見慣れてこのスメ[ツへの理解も相当に得られたのでは・・・と思っていた頃だった。

15分ほど泳いで、岸に帰りしばらくすると、海保の一人が「この辺りでパラグライダーが墜落した・・・という通報があったのですが、何かご存じないですか???」と波除堤防の上から声をかけてきた。「こんなとこで普通パラは飛ばないから、それはたぶん私のコレと見間違えたのでしょう」「ああ、そうですか??・・・・ところで、それはなんというモノですか~?」「カイトサーフィンといって海の上で遊ぶスメ[ツの一種です」「ああ!そういえばテレビで見たことがあるような気がします!・・・しばらく見学させて頂いてもいいですか?それと、写真も撮らせて頂いてもいいですか?」「もちろん、ご自由にどう??ぞ^^」 なかなか気持ちの良い海保の青年だった。

2度目は1年余り経ったやはり粟井海岸で、近くのマリーナの方が、少々沖の方にチンしてカイトを漕いでいる私を見て海保に通報したらしい。私がほどなく帰ってくると、「遭難したと思って海保に通報しました。今から取り消しの連絡を入れます」ということだった。私のことは何も知らないわけで、割と寒い季節に海を漂流すると危ないと考えたらしい。私が「風も潮もしっかり計算しながらがらやっていることだから大丈夫なんですよ」と説明を加えたら、じゅうぶん納得した様子だった。

それ以降、この浜では私のカイトサーフィン姿は珍しいものではなくなったらしく、その後も何度か泳いだが、親切なおせっかいをする人は誰もいなくなった。

3度目は、塩屋海岸で比較的新しく2年ほど前だったと思う。この時は20分ほど泳いで岸に上ってしばらくしたら、海保のヘリコプターがかなりの低高度で近づき、頭の上を旋回し始めた。私は何ごとかと怪訝に思いながら眺めていたのだが、そのうち県警のパトカーもやってきた。警部と部下の3人たった。

この時も私は既に上陸して一服しているのだから、国民の生命を守ろうと意気込んでやって来た彼らが拍子抜けするのは当たり前だ。まったくご苦労だと思ったので、私は「ご苦労様です!」と声をかけた。「そうなんですよ。パラグライダーが海に落ちて大変だ!・・・という通報がありましてね、やってきたんです。これは何というモノですか?」・・・いつもの質問だ。 

私は、ちょうど良い機会だから、今回はしっかり説明しておこうと考えて、カイトとパラの構造の違いや楽しみ方の違い、その安全性や危険性・・・などについて、2人の若い警官も含めて3人の前で、ちょっとした講習会みたいなことをやった。歳のいった警部はともかく、若い二人は相当に興味深く聞いていたので、「君もやってみるといいよ、いいストレス解消になるぞ^^」と言うと、二人は微笑みながら頷(うなず)いた。

この国の法律では、事故の通報者の個人情報は守られる仕組みになっているらしい。これまでの経緯では、その主は、よほど暇で心配性のご老人辺りではないかと私は想像したりする。最後にこの警部には「通報する方には、今の話を少ししてあげて、よく注意してことの成り行きを見てからにするように助言してください」と、お願いをしておいた。その後、このエリアで同じことが起こったことはない。 



君子和而不同 小人同而不和

2011-07-15 21:27:00 | 言葉

こないだ、孔子の話がでてきたので、論語を巡る思い付きを少し・・・。 

論語には「君子(くんし)」と言う言葉が頻出する。現代では死語に近くなっているので、これを「人格者、立派な人物、達人」あたりに置き換えると分かりやすい。同じく「小人(しょうじん」は「未熟者」程度の意味でどうだろう。

カイト生活最初の1年ほどの間、ずいぶん熱中したボード製作の最後一板のデッキに、私は論語の「和而不同(和して同ぜず)」と大書した。この四文字は反芻(はんすう)すればするほど味が出てくる。(子路・23)の、子曰「君子和而不同 小人同而不和」。孔子先生は言った「人格者は調和するが雷同しない。未熟者は雷同するが調和しない」が原典だ。

この数千年前の人間観察は、そのまま21世紀の現代社会に生きる私たちの周囲でも日常的に観て取ることができ、彼の洞察力がいかに正確であったかが良く分かる。いやと言うほど雷同することが多く、調和することの少ない私は、時々これを思い出して自戒の一刻にもしている。

「・・・にも」というのは、この四文字を少し掘り下げて考え始めると、個人と集団・社会の関係性の理想形が遠望できたり、西欧の方々が長い時間をかけてその骨髄にし、わが日本でも明治以降、輸入思想の代表格として苦心惨憺しながら取り組んできた「個人主義」の本質的な何かが、「すでに」そこに在ったような気がして仕方がないからでもある。

ところで、「和を持って貴しとなす・・・」は聖徳太子の憲法17条の最初に出てくる一句だが、その後に「忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ」、つまり「反抗するな」と続く。何に反抗するな、か・・・言うまでもなく当時の朝廷権力だ。

太子が、論語の「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」から、その「和」の概念を抽出しようとしたかどうかはともかく、人の和が本当に貴くなるには、孔子の言う「同ぜず」の精神が不可欠であることには、知ってか知らずか、彼は触れていない。

論語は儒家の聖典として日本でも長い間読まれ、堅牢な封建体制の思想的バックボーンになったことは周知の事実で、現在も多くの経営者や指導者の伴侶になっているが、私は過去、論語は封建時代の遺物・・・程度の理解でいた。 

しかし、心を白紙にして読んでみると、これがなかなか大した倫理・道徳・哲学の書であることに気が付く。「君子は調和する」しかし「雷同しない」・・・こんな言葉は、よほど独立した個人としての自覚がないと出てこないだろう。

また、学而第一の「学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや(学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね(」の最後の段、「人知らずして慍(うら)みず(人が分かってくれなくても気にかけない)」などは、一段、二段を受けることによって、より屹立(きつりつ)した一人の人間としての強さと余裕を感じさせる。 

人は周囲の他人(ひと)に理解されないと、孤独を感じることが多いが、「孤独」は「自由」の伴侶である。いつだったか、美人女優でフランス生活の長い岸恵子も同じようなことを言っていた。彼女はたぶんまちがいなくサルトルを読んでいる。 

やはり、古典は虚心になってじっくり読み込むべきものである。身長2mとも言われる大男の人生の大半が“無冠の一学者”に過ぎなかったということも忘れるべきではないだろう。老荘や古代中国の聖人・賢人と呼ばれる人たちの生き方や思想に、私の興味が尽きることはないので、これからも時々登場していただくつもりだ。

※現代語訳は論語の世界から引用



別府 (久しぶり)

2011-07-14 21:01:00 | 海と風
なんだかずいぶん久しぶりに別府の空気を吸った気がした。昨夜の酔っ払いのタワゴトも、少しは当たって幾らかの南西風が入り、確かに“それなりに”楽しんだ^^; 

それよりも驚いたというか、嬉しかったというか・・のは、小山のように積んでいた海岸ゴミと少しずつ整理しておいた不燃用のゴミ袋4個が、全てきれいに無くなっていたということだ。たぶん、私と似たような感性を持った人たちが、そうとう大鰍ゥりな海岸清曹オてくれたに違いない・・・・・浜がスッキリすると気分までスッキリする・・・当たり前のことだが、ともかく、ありがたい^^。 

19㎡でちょこっと。
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風予報

2011-07-13 21:20:00 | 海と風
『風の博物誌』の著者で、知る人ぞ知るライアル・ワトソンは、「風は(単なる)空気の運動です」・・・などとは言わない。これは、一つの気象学的定義であり、その本質ではないことを見抜いていたからだ。彼は、「風は地球という大生命体の呼吸だ」ということが言いたくて、あの大部の名作を書いたのだ。原題を「Breath of Heaven(天の息、あるいは、天界の呼吸)」とした理由はここにある。 

だから、風を相手に何ごとかを成そうとする人間が、未来の風を完全かつ正確に予知するということは、壮大な生命現象を完璧に解明するのが不可能なくらい不可能な試みである。 

しかし現在、頭が熱く、アホレベルが相当に上がっている私は、久しぶりに明日の風予報がしたくてたまらなくなった。今日の堀江は微風で蒸し暑く、明日はどんなんかな・・・と、今日と明日の天気図を見比べてしまったということもある。 

「明日は久々に別府に南西風が入り、それなりに楽しい半日になるでしょう!その理由は以下の天気図の高気圧の位置と等圧線や気圧傾斜の変化の具合をご覧下さい」・・・以上でございます。 

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小松

2011-07-13 10:15:00 | 海と風
土曜の夜から徳島の小松海岸へ出かけた。去年までは高速を利用して昼間移動していたのだが、この季節ともかく暑く、クーラー嫌いの私は、窓全開で2時間余り運転しているだけでグッタリする。IMGP0210s1024pix100kb.jpg 

夜なら道も空いてるし涼しいに違いない・・・と夜も9時を回って出発、到着したのが夜中の2時だった。いつものワンタッチテントと簡易ベッドをサット設置して寝たが、間もなく眩しい朝空と、早起きが得意なサーファーの皆さんの動きで朝も6時過ぎには起こされることになる。まあ、いつものことだ。 

さいわい、早朝からまともな風が吹くはずもなく、テントや車の中でゴロゴロしたり周りの景色を眺めたり。しかし、昼を回っても東寄りの風が一向に上がってこない。今日は、珍しくハズレかもしれんなぁ・・・と収束風が多少は入っている吉野川の河口に移動して水中グラハンで身体を冷やした。IMGP0214s1024pix100kb.jpg 

小松海岸のすぐ隣だというのに、この広大な河口部分は一部のサーファーや釣り人を除いて、カイト乗りが来ることは珍しらしく、土手を通る人たちはほぼ皆、珍しげにしばらく眺めた後、通り過ぎて行く。

カイトを微風に揺らせ私は水の中でとユラユラしながら、通りかかったおばさんとお話した。「吉野川はほんと良いですね??・・・これは四国の宝物ですよ・・・変なダムなんか作らせたらあきませんよ??・・・松山の川には水がないのです??」 「そうそう、そうなんよ・・・それはパラグライダーみたいなもんですか??・・・?」「まあ、似たようなもんだけど、ちょっと種類が違って水の上を走りるんですよ~」「空も飛べるんですか~?」「そりゃちょっと無理ですが、ピョンとジャンプはできますよ~・・・」「はい、はい・・・良いですね~・・・」IMGP0211s1024pix100kb.jpg

川遊びも充分楽しんで、そろそろテントに帰ろうかという4時近くになって、19㎡でオーバーを感じるほどの南東風がやって来た、日没まで3時間もある。前半19、後半12.寝不足の身体をあんまり酷使したくなかったのだが、充分クタクタになるまで走ってしまった。

吉野川河口には広大な中州があり、南の岸からだと数十メートルの距離だ。ちょっと泳いだら到着する。オーバーになった19㎡をこの中州の端に置いて車に戻り、12㎡で走り終わった後、運んでおいた回収用のバッグに19㎡を入れて岸に戻ろうとしたころには、日も暮れかけて7~8mの南東風は南寄りガスティに変わっていた。しかたなく、2枚ともバッグに入れてボードに乗せ、岸まで泳ぐ・・・といっても5分くらいだ。 

中州でピックアップ(片付け)中に、「大丈夫ですか~」という声が聞こえた。「ああ、ここにもまた親切な人がいるなぁ・・・」と思うくらいで気にも留めてなかったのだが、岸に戻ると、(たぶん)その彼が待っていた。話を聞いてみると、最近、カイトサーフィンを始めたらしく、ここでやっている人を初めて見て、この浜でも練習できるかもしれないと思った・・・ということだ。四国では珍しいラムエアも新鮮だったらしい。IMGP0220s1024pix100kb.jpg

このIさんとは、しばらくの時間、お話した。ウィンドサーフィンの経験があるらしいので、風読みの基本が身に付いていれば上達も早い。ただ、初心者がグラハン(地上練習)でインフレを多用していると、ほどなく使いものにならなくなる可能性がきわめて高い。このスメ[ツは最初の1年が勝負・・・みたいなところがあり、せっかく心躍らせて入門しても、ほんとうに楽しくなる前にやめてしまう人たちも多い。それには幾つかの明確な理由があるが、これについてはまた近々書く。

結局、Iさんとは連絡先の交換をして、私が徳島に来る時は連絡を取り合ってご一緒し、松山に来れそうな時は、こちらでも一緒に練習しましょう・・・ということになった。せっかく出会った”素晴らしい”世界だ。できれば末長く付き合っていただきたいと思う。

2日目の月曜日は、朝からまあ良く吹いてくれたこと・・・記録の一部はトラックログの通り。

3日目は、10頃から大雨カミナリになったので、帰途に着く。

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年齢について

2011-07-08 22:19:00 | 拾い読み

昨日「梅雨空が戻って来てなんだかホッとした」なんて書いたら、一夜明けて本日、気象庁が西日本の梅雨明け宣言を出した。例年よりかなり早いが、何にしても今年も本格的な夏が来てくれて私は嬉しい。堀江の浜で19㎡の痛んだプーリー交換の方法をF君に教えてもらいながら、缶コーヒーで梅雨明けのカンパイをした。これからいよいよ、“あの”別府と小松の季節なのだ。

私と同世代のF君いわく「年寄りには残り時間が少ないのだから、(残り時間の多い若者よりも)一生懸命やるのは当然だ・・・と若い仲間には言っている」。もちろん半分冗談だが、彼のことだから半分は本気だろうと、なんだか感心した。自分の本当にやりたいことに、真っ直ぐに取り組んでいる人間の姿ほど美しいものも少ない。

暦計算では、私もあと3年で還暦を迎える年齢に達した。それなりの「歳月を重ねた」ことは事実だ。たしかに、数十年前の自分と比べると身体の動きは徐々に硬くなってきている。ところが若い時の予想に反して、精神の動きははるかに柔らかくなってきている。「歳を取ると考え方が硬直化し頑固になる」という巷間(こうかん)の常識はまったく当てはまらず、事実は逆だ。こんな「非常識」な人間は、同時代に限らず、歴史的にも地理的にも広く存在するので、そう珍しい現象でもないらしい。

中国や日本の長い歴史を通じて、実に多くの人々に影響を与えた続けた孔子という人物は、彼の人生を10年区切りに整理し、「吾(われ)十有五(15)にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑はず、五十にして天命を知る。六十にして耳順ひ、七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰(こ)えず」と言っている。四十の「不惑」の字義は「惑(まど)わない・迷わない」ではなくて、「狭い枠にとらわれない」といったほどの意味だ。四十歳を超えた頃の私は、「不惑からはほど遠いなぁ・・・」と、ごくたまにだが、ため息をついた。そして、20代、30代で逝ってしまった何人かの友人が、「惑わず」も「天命」も「不惑」も知らなかったとは、簡単には思えない。

単なる物理的時間で人間の年齢を測ることに、大きな意義を感じることがない私の理由はこの辺りにある。この世界に二つとはない大切な一人の人間の人生は長短さまざまで、この世界に「絶対的」な何かがあるとするなら、それは神や仏ではなく、この「一人の人間の生命の大切さ」だと私は信じている。この絶対の世界を年齢という相対のモノサシで測ることにどれほどの意味があるというのか。

ちなみに、孔子の『論語』は現代でもなお多くの経営者にも、座右の書の一つとして教訓を与え続けているが、じゃあ、現在の教育論では非常に大切だとされる15歳までの幼少年期はどうしてたの?・・・と聞いても記録がないから分からず、72歳までしか生きなかった彼に、今では珍しくない80代、90代の人生指針を聞くことはできない。

こう書くと、なにか「論語読みの論語嫌い」のように響くかもしれないが、とんでもない。私は『老子・荘子』や『孟子』と並んで、かなりの『論語』好きである。



バックアップの喪失

2011-07-08 12:47:00 | その他

若干困ったことに先日、5~6年前から使っていた外付けハードディスクが、突然クラッシュした。まあ、主にバックアップ用だったから、痛痒(つうよう)はないけれども、マメに残していた大量の写真画像や動画などはみな消えてなくなってしまった。

信頼していたIOの250GBだったのだが、原因は常時通電のオーバーヒートによるものではないかと思う。ヘビーユーザーのハードディスクの寿命は3年~5年が当たり前だという。まあ、今は1TBが数千円で手に入る時代で、最近の外付けハードは動く必要の無いときは通電量を落とす節電機能なるものが付いているらしい。

そういえば、何年か前に愛用のノートPCがハードクラッシュを起こしたときの経緯(いきさつ)を書いたことがあったなぁ・・・と、4~5年前のブログ記事に検索をかけたら、懐かしい記事がいろいろと出てきた。ブログ管理を簡素化しておくためにも、目ぼしい記事は徐々にこちらに移動することにする。

YBBからNTTへ (私のPC歴) 

「この数年お世話になったYahooBBから思い切ってNTTの光フレッツに変えることにした。思い切ってというのは、ホームページやらメールアドレスの件があって長い間躊躇していたということがあるのだが、これが実は杞憂であることが分かった。

ソフトバンクもこういう顧客が多いことを想定してちゃんとそれなりのサービスを用意しているのだ。ジオシティーズ・ライトとかゴールドとか・・・今日の解約申し込みの電話では解約ではなく休止ということにすれば、月額300円ほどかかるが、ネット接続を除いて今まで通り何の支障もなくYahooBBのサービスを継続することができることを知った。次のサーバーは老舗のニフティが運営する@ニフティに決めた。これで、サーバーの全体容量も幾らか増えるので、少々大きなファイルも安心してUPすることができるだろう。

ウィンドウズ95が出てすでに12年、干支が一回りしたわけだが、この間のインターネットやパソコンの技術革新は目まぐるしかった。ほとんど驚異的と言ってよい。私が手にしたWin95最初のPCは14インチモニター一体型のNECキャンビーだった。(当時25万円、今これだけ使えばかなりの性能のデスクトップが3台は買える。)Win3.1に比べると格段に扱いやすいOSになって、随分多くの時間をワクワクしながら、時にはノイローゼになりそうなくらい熱心にこの世界との付き合いを始めた。

ちょっと振り返ってみると、私のパソコンの原点は25年前のまだマイコンと呼んでいた頃のシャープMZ7000だ。これを安月給をはたいて購入したときの嬉しさは格別だった。モニターは家庭用のテレビ、プログラムはBASICをカセットテープで小さなメモリに何分もかけて読み込ませてから更にゲームソフトのテープを読ませる。それでやっと『スタートレック』などのアドベンチャーゲームみたいなものが楽しめる・・・というもので、ともかくゲームがしたくて始めたようなものだった。

そして、このBASIC言語を何日もかけて組んでやっと完成させ大喜びしたのが単純なピンャ塔Qームだった。これで充分感動できた時代だ。このゲーム熱も数年後にファミコンなる万能ゲーム機が出て一挙に冷めてしまうことになる。

12年前のネット環境は今から考えるとバカ高い料金の従量制で、ピーヒョロと鳴く14.4Kbpsのモデムで、常に時間を気にしながら100kb程度の(楽しい)画像を落とすのに何十分もじっと待っていたこともあった。これが今や100Mbpsの時代だ。ざっと1000倍の速度!

HPを中心とするネット上の情報の総量も圧涛Iに少なかったけれども、英語サイトの文書類にはかなり使えるものがあった。すごい時代になったな!これからもっとすごいことになるだろうなー・・・と考えていた。そして、その通りになった。PCのCPUやハードなどはもう言葉にもならないくらい大変なもので、私の想像をはるかに超えていた。メガバイトの単位のハードディスクの容量がギガバイトになったのだから、これも単純に1000倍進歩したということになる。10年ちょっとで1000倍に変化するものなんて、第一次世界大戦後のドイツを除いては、終戦直後の日本の物価くらいのものだろう。

人間の環境適応能力は全ての動物に優れる・・・という人がいる。私もある程度はこの説に賛同するが、しかし、どんどん前に進むだけが人間の幸せでないことも良く知っている。つまり、日の当たる進歩の裏にはおそらく同程度の退歩の影がくっ付いているという見方をする。長い目で見た場合、その退歩・後退が人類の存続にとって決定的な負荷になり、取り返しの付かないものにならないことを、とりあえず今は願うよりないのかもしれない。」



粟井 (雨上がり)

2011-07-07 21:06:00 | 海と風

先日まで夏空が続き、すでに梅雨は明けているのではないか・・・などと言ってたら、梅雨前線は再びちゃんと下りてきて、昨日からまた暖かい雨が降り出した。自然のリズムが大きくは狂っていない証拠みたいなもの・・・なんだかホッとしている。

昼から雨も上がったので、南東寄りのガスティウィンドで蒸し暑い中、M君とグラハンで汗をかいた。とても沖に出てみようというようなコンディションではない。ところが、ちょうど目の良いF君がやって来た頃に、風がいくらか南に振れ、6mほどまで上がってくれた。そろそろ帰ろうか・・・と思っていたところだった。なんだか拾いものをしたような気分で30分弱、19㎡で10kmほど。明日は、もうちと西に振れてくれると有り難いのだが・・・。

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