「永遠の0」を観てきました(ネタバレあり)
小説が累計発行部数であのワンピースを抜いた、興行収入も60億を超えなおも上昇中、安倍総理も観た(笑)という前評判を知り、俄然観たくなりました。原作者の百田尚樹さんは、小説「海賊とよばれた男」で知り、非常に緻密な取材を行ってストーリーを構成する人だという認識をもっているので、まだ小説版を読む前でしたが、きっと映画もすばらしい完成度なのだろうと思い、先週映画館に飛びこみました。とりあえず公開から2月は経っていますが、最近自分の観た劇場では珍しく8割方埋まる人入りでした。これはまだまだ伸びそうですね。
今回のテーマでもある零戦は、宮崎駿作品「風立ちぬ」で出てきた堀越二郎が造った世界最高・最先端の戦闘機です。素早く飛ぶためには軽くないといけないし、長く飛ぶには大量に燃料が必要です。そんな精密な機動性と長距離飛行という相反する技術を兼ね揃え、当時は米軍にして「ゼロとは戦うな」と言わしめたほどだったそうです。しかし、そんな零戦にはパイロットを守る装甲がほとんどなく、唯一にして致命的な弱点である「防御が脆い」と言う点を、何とパイロットの腕で補っていたという大胆不敵ぶり。まあ肝心の設計者は装甲どころか機関銃すら外したがっていたわけですし、「美しい飛行機を作りたい」という一心で設計された夢の戦闘機に、超一流の腕と頭をもつパイロットが操縦していたことで、分厚い装甲や物量・情報収集力で圧倒的に勝っていた米軍に対しひけを取らずに善戦できていた模様です。しかしこれって、完全にダイの大冒険であった「攻撃が当たらないお前と、当たっても効果がない私、一見同じようだが結果は明らか。」というシチュエーションですよね。1発でも当たったらアウトなので、流石に戦争が長引くにつれて徐々に熟練パイロットが亡くなっていき、最終的に学徒出陣や特攻と言う戦術もひったくれも無い作戦に甘んじ、しかもそのほとんどが目的を達することなく撃墜されてしまった模様です。
主人公の本当の祖父、宮部久蔵もそんな零戦の凄腕パイロットの一人で、主人公が祖父のことを知っている人にインタビューをしていき、その回想シーンを交えつつ祖父の人間像を浮かび上がらせていくというストーリーでした。そのきっかけが祖母の葬儀の際に今の祖父が号泣していたから、ということでしたが、ここで超ネタバレをしてしまえば(笑)なぜこの時点で縁もゆかりも無い人にインタビューして回る前に直接祖父に聞かなかったのか、と思いました。まあその辺はご都合展開の一種ですかね。インタビューも、丁度都合よく証言を連ねていくと真珠湾からミッドウェー、ラバウルにガダルカナル、レイテなどと、順番に戦争の進行を語っていく構成になるようになっていましたし、核心を知る人をあえて後回しにする演出もありました。まあ全体を通して現代編はオマケ扱いであり、この事実を知った所で主人公がどうなったと言うわけでもなかったので、とにかく百田さんが零戦について取材したことを描きたかった映画だという認識をもちました。その分、軍師官兵衛の人が扮する大東亜戦争の回想シーンには非常に熱がこもっており、零戦の魅力や特攻に対する矛盾を語る上で十分な完成度であったと思いました。また、「戦争中はたくさんのおじいちゃんみたいな人がいた」と言う言葉には、今がもう戦争の体験や物語を聞ける最後のチャンスであると言うことを警告しているように思いました。大正生まれだったうちの祖父はもう20年前に亡くなっていますし、戦中に教師をしていたと言う祖母もついに寝たきり状態になったことで、自分にはもう戦争時の様子を聞くチャンスはなくなってしまいました。地域にはまだ戦争体験を語ってくれる元気の良いボランティア翁もいますけど、それももう10年と持たないでしょう。学校の戦争学習も含め、今後どうしていくかは本当に喫緊の問題ですね。宮部久蔵のように、昔語りを紡ぐことによって現代に「生きて帰ってくる」ことができればよいのですが・・・
そんなわけで本日小説版も読破しました。基本的なプロットは当然同じですけど、小説版では映画でやや弱いと感じた現代編もしっかりまとめられていましたし、はっきりとこの戦争に対する作者の見解が現れていて非常に面白かったです。コレを読んで、自分もあの戦争の原因はマスメディアの無責任さだったと納得しました。戦争が終わり、価値観も変わりましたが、いつの世もメディアが無責任であることだけは永遠に変わらないのかもしれませんな。
小説が累計発行部数であのワンピースを抜いた、興行収入も60億を超えなおも上昇中、安倍総理も観た(笑)という前評判を知り、俄然観たくなりました。原作者の百田尚樹さんは、小説「海賊とよばれた男」で知り、非常に緻密な取材を行ってストーリーを構成する人だという認識をもっているので、まだ小説版を読む前でしたが、きっと映画もすばらしい完成度なのだろうと思い、先週映画館に飛びこみました。とりあえず公開から2月は経っていますが、最近自分の観た劇場では珍しく8割方埋まる人入りでした。これはまだまだ伸びそうですね。
今回のテーマでもある零戦は、宮崎駿作品「風立ちぬ」で出てきた堀越二郎が造った世界最高・最先端の戦闘機です。素早く飛ぶためには軽くないといけないし、長く飛ぶには大量に燃料が必要です。そんな精密な機動性と長距離飛行という相反する技術を兼ね揃え、当時は米軍にして「ゼロとは戦うな」と言わしめたほどだったそうです。しかし、そんな零戦にはパイロットを守る装甲がほとんどなく、唯一にして致命的な弱点である「防御が脆い」と言う点を、何とパイロットの腕で補っていたという大胆不敵ぶり。まあ肝心の設計者は装甲どころか機関銃すら外したがっていたわけですし、「美しい飛行機を作りたい」という一心で設計された夢の戦闘機に、超一流の腕と頭をもつパイロットが操縦していたことで、分厚い装甲や物量・情報収集力で圧倒的に勝っていた米軍に対しひけを取らずに善戦できていた模様です。しかしこれって、完全にダイの大冒険であった「攻撃が当たらないお前と、当たっても効果がない私、一見同じようだが結果は明らか。」というシチュエーションですよね。1発でも当たったらアウトなので、流石に戦争が長引くにつれて徐々に熟練パイロットが亡くなっていき、最終的に学徒出陣や特攻と言う戦術もひったくれも無い作戦に甘んじ、しかもそのほとんどが目的を達することなく撃墜されてしまった模様です。
主人公の本当の祖父、宮部久蔵もそんな零戦の凄腕パイロットの一人で、主人公が祖父のことを知っている人にインタビューをしていき、その回想シーンを交えつつ祖父の人間像を浮かび上がらせていくというストーリーでした。そのきっかけが祖母の葬儀の際に今の祖父が号泣していたから、ということでしたが、ここで超ネタバレをしてしまえば(笑)なぜこの時点で縁もゆかりも無い人にインタビューして回る前に直接祖父に聞かなかったのか、と思いました。まあその辺はご都合展開の一種ですかね。インタビューも、丁度都合よく証言を連ねていくと真珠湾からミッドウェー、ラバウルにガダルカナル、レイテなどと、順番に戦争の進行を語っていく構成になるようになっていましたし、核心を知る人をあえて後回しにする演出もありました。まあ全体を通して現代編はオマケ扱いであり、この事実を知った所で主人公がどうなったと言うわけでもなかったので、とにかく百田さんが零戦について取材したことを描きたかった映画だという認識をもちました。その分、軍師官兵衛の人が扮する大東亜戦争の回想シーンには非常に熱がこもっており、零戦の魅力や特攻に対する矛盾を語る上で十分な完成度であったと思いました。また、「戦争中はたくさんのおじいちゃんみたいな人がいた」と言う言葉には、今がもう戦争の体験や物語を聞ける最後のチャンスであると言うことを警告しているように思いました。大正生まれだったうちの祖父はもう20年前に亡くなっていますし、戦中に教師をしていたと言う祖母もついに寝たきり状態になったことで、自分にはもう戦争時の様子を聞くチャンスはなくなってしまいました。地域にはまだ戦争体験を語ってくれる元気の良いボランティア翁もいますけど、それももう10年と持たないでしょう。学校の戦争学習も含め、今後どうしていくかは本当に喫緊の問題ですね。宮部久蔵のように、昔語りを紡ぐことによって現代に「生きて帰ってくる」ことができればよいのですが・・・
そんなわけで本日小説版も読破しました。基本的なプロットは当然同じですけど、小説版では映画でやや弱いと感じた現代編もしっかりまとめられていましたし、はっきりとこの戦争に対する作者の見解が現れていて非常に面白かったです。コレを読んで、自分もあの戦争の原因はマスメディアの無責任さだったと納得しました。戦争が終わり、価値観も変わりましたが、いつの世もメディアが無責任であることだけは永遠に変わらないのかもしれませんな。