気のせいかも知れ無いが、何かこの作品を作っているのを観るのが、久しぶりなのね。
ただゾウに関して教える事はもう無いし、そろそろ次の展開を見たい。
すると文字の下絵があった・・・文字の下絵。あえて文字なのに下絵と言ったが、
確かに文字ってのは字なんだけれど、字と言い切るのなら書家さんにはかなわない。
それをあえて字も絵だ・・・と考えれば、上手いとか下手では無くて、いかに自分の
デザインに・・・そして読めるが前提。そうすれば、デザイン性は増す。
それがきちんと読める・・・きちんと・・・と考えるのなら、何処からか書体を抜けば
誰でも同じ書体になる。それならばいかにその通りに切れるか?となる。
もうそろそろ気が付いて欲しいのだが、常連に関しては上手く切るってのは、
当たり前に出来るようになっているのだから、いかに自分らしい・・・って言うのを
絵だけで無く、すべて・・・に切り替える事を考えるってのも手である。
勿論、字が苦手って言う人もいるだろうが、下絵の描き方を教えたように考える。
つまりそんな人は字として完成されているものを原型として、いかにそこから崩して行くか?と考えて、絵の時と同じように描く癖を付ける事。
書けるからと観ないで書く事をせず、理想の字を探し、そこから変えて行く事。
何しろ思い込まず、出来ると思わず、素敵だとか綺麗だとか思う原型を見つける事。
そうすれば必ず字も絵になって行く。そう考えてこの作品を観れば判るだろうが、
ゾウはデフォルメされているのに、字は普通になっている。
例えばゾウがデフォルメされているから、せめて字はきちんとして・・・と考えるのなら
それはそう言う考えがあって・・・となるから、それはそれで良い。
逆にこの作品自体がメインがゾウと考えるってのでは無くて、すべてがデフォルメって
考えるのなら、字もデフォルメになるから、すべてがデフォルメとなり、作品は
ポップな仕上がりにもなる。ただ時計がどうだったか?今となっては文字盤の事まで
憶えてはいないのだけれど・・・。
当然ながらデフォルメなんかするにあたって、水なんてアイテムも良いのかな?
こうやって意味ある事を掘り下げる。すべてが関連性を持つのか?持たなくするのか?
といずれにせよ意味がある事に・・・ね。
そうした考え方を前提にバックはどうするの?と聞くと、四葉のクロ-バ-を沢山・・
って言うのね。ん・・・あのさぁ、四葉のクロ-バ-って意味なんだけれど・・・
いっぱい幸せ・・・なんて事だったとしたら・・・そりゃ浅くない?
床いっぱいに作れば、ゾウは踏んづけているはずだよねぇ?勿論雑草なんて
いくら踏んづけても平気だけど、そもそも四葉は三つ葉の中にひっそりあるから貴重で
あって、いっぱいあったら、どうでも良いよねぇ?有難みも無いし・・・・
大事なのは1つありゃ良いんじゃないのかな?ドラゴンボ-ルのお願い事みたいなもん。
1つの使い方。私が幸せに・・と頼めば、1人だけが救われる。
私達と頼めば複数になる。私に関わった人達すべて・・・と頼めば、相当数に値し、
ただ嫌いな人も救われる事にもなる・・・。
まっいずれにせよ頼み方次第って訳だ。だからこそそこには工夫があって考えなきゃ
ならなくて・・・それでどうする?って事になる。
って言う事が言いたいのなら、親ゾウが四葉を1つ持って、子ゾウに差し出せば、
それで良いんじゃない?きっと同じ願い事をするのだろうから・・・。
後は3つ葉だらけで良いじゃない?1つ見つかったのなら・・・。
もっと掘り下げて意味を持たせて、そう見えるようにする。
それが出来るようになったら、隠す。隠すってのは見えない人と見える人がいなくちゃ
ならない。全然見えない人ばかりでは、隠すとは言えないし、見えっ放しでは、
隠している事にはならない。最初はきちんと設定して、きちんと見える練習をする。
着崩しってのは本物を知ってやるもので、知らずにやるとだらしなくなるだけ。
いかに崩すか?デフォルメとはそう言うもの。だからこそ本物が必要になる。
ただその本物って何?って事が大事なのね・・・何を持って本物って言うか?
それに付いてはおいおい・・・。ただ割りと落ち着いて作っていたのも事実なので、
これだけ言えば、まとまるのも時間の問題なんだろうと思われる。
工芸品と芸術品の違いはこう言う考え方にある・・・と思われる。
一応、今は立場上こう書いて置くのね・・・完全体になるまで・・・俺が。
思われる・・・。これなら誰も・・・文句はあるまい。ってかっ。
って事で俺は・・・

後1.75枚で横が終わる・・・・進まねぇぇぇぇなっ。
ただゾウに関して教える事はもう無いし、そろそろ次の展開を見たい。
すると文字の下絵があった・・・文字の下絵。あえて文字なのに下絵と言ったが、
確かに文字ってのは字なんだけれど、字と言い切るのなら書家さんにはかなわない。
それをあえて字も絵だ・・・と考えれば、上手いとか下手では無くて、いかに自分の
デザインに・・・そして読めるが前提。そうすれば、デザイン性は増す。
それがきちんと読める・・・きちんと・・・と考えるのなら、何処からか書体を抜けば
誰でも同じ書体になる。それならばいかにその通りに切れるか?となる。
もうそろそろ気が付いて欲しいのだが、常連に関しては上手く切るってのは、
当たり前に出来るようになっているのだから、いかに自分らしい・・・って言うのを
絵だけで無く、すべて・・・に切り替える事を考えるってのも手である。
勿論、字が苦手って言う人もいるだろうが、下絵の描き方を教えたように考える。
つまりそんな人は字として完成されているものを原型として、いかにそこから崩して行くか?と考えて、絵の時と同じように描く癖を付ける事。
書けるからと観ないで書く事をせず、理想の字を探し、そこから変えて行く事。
何しろ思い込まず、出来ると思わず、素敵だとか綺麗だとか思う原型を見つける事。
そうすれば必ず字も絵になって行く。そう考えてこの作品を観れば判るだろうが、
ゾウはデフォルメされているのに、字は普通になっている。
例えばゾウがデフォルメされているから、せめて字はきちんとして・・・と考えるのなら
それはそう言う考えがあって・・・となるから、それはそれで良い。
逆にこの作品自体がメインがゾウと考えるってのでは無くて、すべてがデフォルメって
考えるのなら、字もデフォルメになるから、すべてがデフォルメとなり、作品は
ポップな仕上がりにもなる。ただ時計がどうだったか?今となっては文字盤の事まで
憶えてはいないのだけれど・・・。
当然ながらデフォルメなんかするにあたって、水なんてアイテムも良いのかな?
こうやって意味ある事を掘り下げる。すべてが関連性を持つのか?持たなくするのか?
といずれにせよ意味がある事に・・・ね。
そうした考え方を前提にバックはどうするの?と聞くと、四葉のクロ-バ-を沢山・・
って言うのね。ん・・・あのさぁ、四葉のクロ-バ-って意味なんだけれど・・・
いっぱい幸せ・・・なんて事だったとしたら・・・そりゃ浅くない?
床いっぱいに作れば、ゾウは踏んづけているはずだよねぇ?勿論雑草なんて
いくら踏んづけても平気だけど、そもそも四葉は三つ葉の中にひっそりあるから貴重で
あって、いっぱいあったら、どうでも良いよねぇ?有難みも無いし・・・・
大事なのは1つありゃ良いんじゃないのかな?ドラゴンボ-ルのお願い事みたいなもん。
1つの使い方。私が幸せに・・と頼めば、1人だけが救われる。
私達と頼めば複数になる。私に関わった人達すべて・・・と頼めば、相当数に値し、
ただ嫌いな人も救われる事にもなる・・・。
まっいずれにせよ頼み方次第って訳だ。だからこそそこには工夫があって考えなきゃ
ならなくて・・・それでどうする?って事になる。
って言う事が言いたいのなら、親ゾウが四葉を1つ持って、子ゾウに差し出せば、
それで良いんじゃない?きっと同じ願い事をするのだろうから・・・。
後は3つ葉だらけで良いじゃない?1つ見つかったのなら・・・。
もっと掘り下げて意味を持たせて、そう見えるようにする。
それが出来るようになったら、隠す。隠すってのは見えない人と見える人がいなくちゃ
ならない。全然見えない人ばかりでは、隠すとは言えないし、見えっ放しでは、
隠している事にはならない。最初はきちんと設定して、きちんと見える練習をする。
着崩しってのは本物を知ってやるもので、知らずにやるとだらしなくなるだけ。
いかに崩すか?デフォルメとはそう言うもの。だからこそ本物が必要になる。
ただその本物って何?って事が大事なのね・・・何を持って本物って言うか?
それに付いてはおいおい・・・。ただ割りと落ち着いて作っていたのも事実なので、
これだけ言えば、まとまるのも時間の問題なんだろうと思われる。
工芸品と芸術品の違いはこう言う考え方にある・・・と思われる。
一応、今は立場上こう書いて置くのね・・・完全体になるまで・・・俺が。
思われる・・・。これなら誰も・・・文句はあるまい。ってかっ。
って事で俺は・・・

後1.75枚で横が終わる・・・・進まねぇぇぇぇなっ。