今日は随分と仕込みのパ-ツを持っていて、終わらせる気満々って感じでいらっしゃった
しかもそのパ-ツのグレ-ドがとても揃っていて、以前とは全く違っていたので、
何かみんな揃っていて・・・でも大きなパ-ツだらけですね?と聞くと、
だって小さくするのが勿体無くて・・・と言うのね。ああそこまで来たのか・・・って
セリフなのね。そもそも勿体無いって言葉は凄い上手くならないと言えないものでね、
例えば、最初の頃は・・切る事が怖かったりするからおっかなビックリ・・・こんな感じ
でしょ?それが何度かパチンパチンと割る事が出来るようになると、面白くなる。
ただ割る、割る、・・・あっ切れたぁぁと誤解する。そもそもそれは割るであって、
切ったでは無いのね。偶然と必然の違い。とは言うものの、1歩前進したのね。
慣れたって事でね・・・そうなると次なる課題。つまり割っていては上手くならない。
そこで割るって言う偶然から、○なんて目指して切る事の練習をする。これが必然。
この方の場合、この焼き芋みたいな形の繰り返しであった。それとて最初は同じものを
目指す・・・と教えても、大体こんな感じかな・・・・って自分に優しく切っていたから
この形じゃなきゃ・・・って意識よりも、これもこれも一緒でしょ・・・って感じで、
どこに入るかな?とひとまず切って、何処かに当てはまる場所を探す・・・そんな感じ。
それがいつしか自分の中で、綺麗な形を目指すとか、これじゃ嫌だ・・・と何らかの
目標ラインみたいなのが出来たんだろうね・・・・その表現が勿体無い・・なのね。
そもそも以前はそう言う言葉は無かった。勿論、それで良いのね。最初はなりふり構わず
でも良いし、何と無くでも良い。目的は慣れる・・・なのだから。
それがステップアップするとこだわりに寄って、ハ-ドルが上がり、それに寄って更に
勿体無いに変わる。その言葉の裏には、きちんと切らなきゃ・・・とか上手くなりたい
・・・そんな心構えをしている人にしか出ない言葉でね、モノを大切にする気持ちが
あると、切っても生き物じゃないから死なないし、声も出さない・・・けれどね、
子供の頃に習った、お百姓さんが一生懸命作った米を残さない・・・ってあれみたいな
もので、粘土を山から取って来て、メ-カ-さんが作り・・・って全く同じなのね。
ただね、勿体無いって言葉だけじゃダメなのね。結局、人の不幸の上に成り立つのね、
技術なんてものは・・・包丁さばきは上手くなるのに何匹の魚が死んだか?ってもの。
何枚のタイルが死んだか・・・なのね。でもね、経験値の浅い時は伸び伸びでも良い。
そんな事を考えていては緊張するし、楽しく無い。
けれど、逆に経験値が付いて来たら、そんな気持ちになって行くと緊張感が出て来る。
要するに緊張感の大きさに耐える気持ちが向上に繋がるものなのね・・・モノ作りって
言うのは。段々と技術と気持ちのバランスが整う事が上手くなる秘訣なのね。
そんな事も踏まえれば、まず終わらせようと仕込んで来た。
まずここ。何もせずに終わらせよう・・・って気持ちで来たのと、仕込んで来た姿勢。
聞くまでも無いでしょ?これで機能性って話は整った感はある。
では見栄えは?・・・勿体無い・・・この言葉の裏にあるもの。モノを大切にします。
その心掛けにより、何を意識したのか?となれば、終わらせたいからこんなもんかっ・・
と粗雑に切っていない・・・そう聞こえる。つまり切ったパ-ツは観なくても綺麗に
なる方向に向かっている・・・そう言う心掛けがパ-ツに生きるのである。
では良い事と悪い事は背中合わせ・・・。つまり良い事はその姿勢で切れば、同じ
パ-ツを作成の方向になる。では悪い事は・・・?無機質になる事。
幾何学模様なら同じパ-ツの繰り返しでも良い・・・けれど、これは生き物、ふくろう。
段々小さくとか、大きくって出来たとしたら・・・?動いているようにも見せられる。
つまりこれは生きているようにも見せる作り方も出来るのである。それも全く同じ
考え方で、どうやったら生きているように見えるのか?って心掛け1つで、
そう見せるには・・・?と意識すれば、無機質に同じパ-ツにはしなくなる。
つまり最初の頃はそうなっちゃった・・・それが今、そうしなきゃ・・に変わった。
それが出来るのなら、そうする為には・・・と変化させると3つの切り方がある。
ただこれも、3つ目が出来るようになると、今の常連のように、上手くなったがゆえに、
1つ目の、そうなっちゃった・・・の流動的が出来なくなっちゃったのね・・・何故なら
本当の意味の、勿体無いが理解出来るようになって、そう狙って切れるようになったから
・・・・。つまり意識を持っては切れるけれど、無意識の流動的は勿体無いに繋がるから
・・・。これが良い事と悪い事は背中合わせ・・・って表現になる。
ただ後はこれがしっかり理解されれば、そう判って、きちんと出来て無駄にする。
理解してね。そうすると、技術ありきの流動的の出来上がりとなる。
体験の頃の流動的とは全く違うね・・・。そんな事も今後の課題になるのかな。
ともあれ、終わった。良くここまでたどり着いたのね・・・良く頑張ったのね。
細かい事が苦手でぶきっちょ・・・って思っているらしいのね・・・これが作れて・・
おいおい、これはぶきっちょの人の作品じゃないんだけれど・・・。
そんな中、かんすけがカレンダ-を持って来てくれたのね。そこでこれって不器用だと
思う?・・・・と聞くと、苦笑いするのね・・・だってブログをたっぷり観ているものね
つまりこの苦笑いは、またそんな人がいたのね・・・それだけの作品作ってってね。
しかも、かんすけはちょこっとだけ切る写真たてのモザイクを今でも作っているから、
タイルを切るだけでも、これだけ出来るのに・・・と凄い人だと判るのに、本人は
その意識無く、ぶきっちょと言う・・・・この作品を一番理解出来ていないのは本人で
ある。所が目地を入れた瞬間、良いかも・・・と自画自賛。あはははは、良かったのね。
何よりなのね。良かった、良かった。
そんな中、こんな提案して見た・・・・ねぇ、かんすけ・・・ジャズやるべ。
あはははは、映画のセリフだね・・・これでは。
では言い直して・・・・モザイクやるべ・・・俺が教えるから。
でも、何と無くじゃなくて、きちんと切って・・・モザイクをさっ。
自宅で折角やってんだから・・・。もっと続ける為にも・・・ねっ。・・・・はいって。
じゃ、最初は金魚作って貰うから・・・・えっ?あのぉぉぉ、まっいいって。
水面下の話を知っているから・・・びびっているから、大丈夫だよ。折角のびびり。
使わせて貰うよ・・・大丈夫。
と言う訳で、かんすけが参加するみんなで作るモザイク金魚・・・・ユニディとアップル
さん・・・気になったら連絡頂戴。
参加を決めている人はこの意味が判るかな・・・?かんすけはこれからモザイクを
するようなものだからね・・・。何か面白くなって来た・・・。
しかもそのパ-ツのグレ-ドがとても揃っていて、以前とは全く違っていたので、
何かみんな揃っていて・・・でも大きなパ-ツだらけですね?と聞くと、
だって小さくするのが勿体無くて・・・と言うのね。ああそこまで来たのか・・・って
セリフなのね。そもそも勿体無いって言葉は凄い上手くならないと言えないものでね、
例えば、最初の頃は・・切る事が怖かったりするからおっかなビックリ・・・こんな感じ
でしょ?それが何度かパチンパチンと割る事が出来るようになると、面白くなる。
ただ割る、割る、・・・あっ切れたぁぁと誤解する。そもそもそれは割るであって、
切ったでは無いのね。偶然と必然の違い。とは言うものの、1歩前進したのね。
慣れたって事でね・・・そうなると次なる課題。つまり割っていては上手くならない。
そこで割るって言う偶然から、○なんて目指して切る事の練習をする。これが必然。
この方の場合、この焼き芋みたいな形の繰り返しであった。それとて最初は同じものを
目指す・・・と教えても、大体こんな感じかな・・・・って自分に優しく切っていたから
この形じゃなきゃ・・・って意識よりも、これもこれも一緒でしょ・・・って感じで、
どこに入るかな?とひとまず切って、何処かに当てはまる場所を探す・・・そんな感じ。
それがいつしか自分の中で、綺麗な形を目指すとか、これじゃ嫌だ・・・と何らかの
目標ラインみたいなのが出来たんだろうね・・・・その表現が勿体無い・・なのね。
そもそも以前はそう言う言葉は無かった。勿論、それで良いのね。最初はなりふり構わず
でも良いし、何と無くでも良い。目的は慣れる・・・なのだから。
それがステップアップするとこだわりに寄って、ハ-ドルが上がり、それに寄って更に
勿体無いに変わる。その言葉の裏には、きちんと切らなきゃ・・・とか上手くなりたい
・・・そんな心構えをしている人にしか出ない言葉でね、モノを大切にする気持ちが
あると、切っても生き物じゃないから死なないし、声も出さない・・・けれどね、
子供の頃に習った、お百姓さんが一生懸命作った米を残さない・・・ってあれみたいな
もので、粘土を山から取って来て、メ-カ-さんが作り・・・って全く同じなのね。
ただね、勿体無いって言葉だけじゃダメなのね。結局、人の不幸の上に成り立つのね、
技術なんてものは・・・包丁さばきは上手くなるのに何匹の魚が死んだか?ってもの。
何枚のタイルが死んだか・・・なのね。でもね、経験値の浅い時は伸び伸びでも良い。
そんな事を考えていては緊張するし、楽しく無い。
けれど、逆に経験値が付いて来たら、そんな気持ちになって行くと緊張感が出て来る。
要するに緊張感の大きさに耐える気持ちが向上に繋がるものなのね・・・モノ作りって
言うのは。段々と技術と気持ちのバランスが整う事が上手くなる秘訣なのね。
そんな事も踏まえれば、まず終わらせようと仕込んで来た。
まずここ。何もせずに終わらせよう・・・って気持ちで来たのと、仕込んで来た姿勢。
聞くまでも無いでしょ?これで機能性って話は整った感はある。
では見栄えは?・・・勿体無い・・・この言葉の裏にあるもの。モノを大切にします。
その心掛けにより、何を意識したのか?となれば、終わらせたいからこんなもんかっ・・
と粗雑に切っていない・・・そう聞こえる。つまり切ったパ-ツは観なくても綺麗に
なる方向に向かっている・・・そう言う心掛けがパ-ツに生きるのである。
では良い事と悪い事は背中合わせ・・・。つまり良い事はその姿勢で切れば、同じ
パ-ツを作成の方向になる。では悪い事は・・・?無機質になる事。
幾何学模様なら同じパ-ツの繰り返しでも良い・・・けれど、これは生き物、ふくろう。
段々小さくとか、大きくって出来たとしたら・・・?動いているようにも見せられる。
つまりこれは生きているようにも見せる作り方も出来るのである。それも全く同じ
考え方で、どうやったら生きているように見えるのか?って心掛け1つで、
そう見せるには・・・?と意識すれば、無機質に同じパ-ツにはしなくなる。
つまり最初の頃はそうなっちゃった・・・それが今、そうしなきゃ・・に変わった。
それが出来るのなら、そうする為には・・・と変化させると3つの切り方がある。
ただこれも、3つ目が出来るようになると、今の常連のように、上手くなったがゆえに、
1つ目の、そうなっちゃった・・・の流動的が出来なくなっちゃったのね・・・何故なら
本当の意味の、勿体無いが理解出来るようになって、そう狙って切れるようになったから
・・・・。つまり意識を持っては切れるけれど、無意識の流動的は勿体無いに繋がるから
・・・。これが良い事と悪い事は背中合わせ・・・って表現になる。
ただ後はこれがしっかり理解されれば、そう判って、きちんと出来て無駄にする。
理解してね。そうすると、技術ありきの流動的の出来上がりとなる。
体験の頃の流動的とは全く違うね・・・。そんな事も今後の課題になるのかな。
ともあれ、終わった。良くここまでたどり着いたのね・・・良く頑張ったのね。
細かい事が苦手でぶきっちょ・・・って思っているらしいのね・・・これが作れて・・
おいおい、これはぶきっちょの人の作品じゃないんだけれど・・・。
そんな中、かんすけがカレンダ-を持って来てくれたのね。そこでこれって不器用だと
思う?・・・・と聞くと、苦笑いするのね・・・だってブログをたっぷり観ているものね
つまりこの苦笑いは、またそんな人がいたのね・・・それだけの作品作ってってね。
しかも、かんすけはちょこっとだけ切る写真たてのモザイクを今でも作っているから、
タイルを切るだけでも、これだけ出来るのに・・・と凄い人だと判るのに、本人は
その意識無く、ぶきっちょと言う・・・・この作品を一番理解出来ていないのは本人で
ある。所が目地を入れた瞬間、良いかも・・・と自画自賛。あはははは、良かったのね。
何よりなのね。良かった、良かった。
そんな中、こんな提案して見た・・・・ねぇ、かんすけ・・・ジャズやるべ。
あはははは、映画のセリフだね・・・これでは。
では言い直して・・・・モザイクやるべ・・・俺が教えるから。
でも、何と無くじゃなくて、きちんと切って・・・モザイクをさっ。
自宅で折角やってんだから・・・。もっと続ける為にも・・・ねっ。・・・・はいって。
じゃ、最初は金魚作って貰うから・・・・えっ?あのぉぉぉ、まっいいって。
水面下の話を知っているから・・・びびっているから、大丈夫だよ。折角のびびり。
使わせて貰うよ・・・大丈夫。
と言う訳で、かんすけが参加するみんなで作るモザイク金魚・・・・ユニディとアップル
さん・・・気になったら連絡頂戴。
参加を決めている人はこの意味が判るかな・・・?かんすけはこれからモザイクを
するようなものだからね・・・。何か面白くなって来た・・・。