今日も前回の続きで、下地作成。後から監督母がやって来たんだけれども、正直な話、
上手くすれば今日から張り始めるかと思っていたらしいのね。
その位に前回の下地を画像で見て満足だったらしいのね。そこでその説明となる。
そもそもこの作品は一体どんな事を大事に作らなければならないのか?
これが本人、つまり監督ならばその大事さ加減がやっている本人であるので、伝わるが
母はモザイクも下地もやった事が無い・・・・
そこでこんなニュアンスの説明。過去2回は似ているが全てじゃなくて、いかに自分らしさを前面に出して行くか・・・ここが大事だった。似ているよりもずっと。
そうね・・・カメはカメに見えれば良い。クサガメでもイシガメでもミドリガメでもね。
所がゲルニカは、ゲルニカに見えなければならない。
しかしながら、全部が全部真似したのでは無く、組み替えをした。そこで1つ1つのキャラを似せる事に徹するのは大事なんだけれど、組み替える事で見る人の目線も、
似ている・・・と比べられる事のみにならずに、意表を付いた見せ方になった。
つまり変化球的な作品となっていた・・・・所が今回はと言うと、半身とは言え、
立体のマ-ライオンである事は変わり無い。色以外はほぼそっくりでないとならない・・
つまり直球なのだ。ほぼど真ん中の。だからこそいかに似ている下地を作れるか?になる
それなのに下地は初めてなのである。つまり初心・・・あの時のカメを作った気持ちで
やらなければならないのである。何度も言うが、まだ下地で過去の経験が生かされる、
モザイクには一切入っていないのだから・・・・。そして、更に今度はテクニック論。
経験値の無い人に質問ね。彫刻刀で木を掘ったことある人ぉぉぉ。
ほぼ全員だよね。図工の授業でやった事あるよね・・・じゃ何本入ってた?彫刻刀?
5.6本あったでしょ?なのに今のこの下地、ダンボ-ル切りを1本で後は紙やすりで作って
いるのね・・・ほらこれだけ聞いただけでも不思議じゃない?じゃ貴方はどう考える?
何本もあって便利だね・・・彫刻刀は・・・って考えるのか?、なんだぁ、1本だけで
出来るんだぁ・・・スタイロの下地って簡単なんだぁ・・・と考えるのか?、
1本だけじゃ不便だなっ・・・と考えるのか?、何本も使うと使い方を会得するまで
大変だなぁ・・・と考えるのか?・・・考え方で様々である。ではこれをまとめると、
・・・何本もあって便利と考えた人は、すべて上手く行く前提の考え方である。
不都合は生まれない前提。だから上手く使いこなせれば、大幅なプラス点となり、
予定通りだが、もし思うように使いこなせなければ、便利と思っていた気分は吹っ飛び、
逆に不便さを感じる事になる。心に大幅なダメ-ジを受ける事になる。
逆に1本だけなんだ・・・簡単そうじゃん。と思った人は、確かに1本だけの使い方を
会得すれば良いのだから、何本もの使い方を会得するより簡単だ・・・と思うのも仕方無い事だし、逆に何本も使いこなすのは大変だ・・・と使う前から思う人は慎重だし、
思う気持ちとうらはらな結果になった時・・・これが世に言うストレスの原因。
つまり素直に初めての事なんだ・・・と受け入れる姿勢と思い込まない事が大事で、
思い込んでしまっている自分に気が付く事が大事。そして今自分はどっちよりの考え方で
あるのか?の確認をする。そうすると、結果が思うようにならなくても、心のダメ-ジは
押えられる。押えられれば心が踏み止まった分、大きな失敗には繋がらない。
こんな事を監督には初日に教えたから、まずはいかに似ている下地を作れるか?と
進めている・・・慌てずにね。所が母は終わると判断をしていた・・・こんな差がある。
本人はコツコツまだまだ似ていないし、終わらないと判断しているのに・・・。
この気持ちの違いも良く判る。方や作り手は満足するものが作りたいし、方や老婆心。
終わらないと困るから、それで十分・・・もう先に進めよう・・・ってね。
ただそれだと、何の為に早目の始動にしたのか?になる。つまり早めに始動した理由が、
終わらないと困るから・・・に徹した事になる。
これが逆に増えた分、めいいっぱい使うと考えると、結局いつもと同じに終わる・・・・
つまりいつでも、何でも一緒とはそう言う事。
ただこの考え方、1つの失敗も許されない。何せ過去2回と同じで・・なので、来られない
・・・と体調悪くても、代替を必ず作れないと、何処かグレ-ドを下げる事になる。
だから何処を下げる?と質問しなくてはならなくなる。容赦無くね・・・。
こっちとしても同じダメ-ジを受けなければならなくなる・・・・
そんな事も踏まえて、見守る側にも覚悟が必要で、また始まりますよ・・・夏が・・・
って母にも確認して貰わないとならない。今年が最後だしね・・・。
だから、慌てない、慌てさせない関係を作って、そして俺が終わらせる事を考える。
こんな事が出来ないと、納得するもの何て言うのはほぼ作れないと言えよう。
ただそんな中、のりちゃん母が新作下絵を持ってやって来ると、ちょっとした変化があった・・・それは眼をいじった後に、それまでは凄いね・・・と感想を言っていたのに、
監督母ものりちゃん母も眼が変わった・・・ほら、見逃すなっ・・・これだよ、これ。
今、笑ったろっ・・・グレ-ドが下がったんだよっ。もう一度良く見て直してごらん。
良く見て・・・すると、たったそれだけで2人共さっきより良くなった・・・と言うのね
つまりあのままで完成ならあのままのグレ-ド。しかし、直したから良くなる保障は無い
じゃどうする?これが作り手の切磋琢磨するべき所で、だからこそその結果が上手く行った時に、評価が凄い・・・なんて言葉が聞ける作品となったりするものなのである。
人の評価とはこの位、素直で残酷なのである。ただそれが作り手を育てているのも事実。
それを感じる心も無いと、感受性も育たない。
感性だの感受性なんてもんは、こんな事の繰り返しで磨くもので、ザックリならザックリ
だし、身の回りの体裁の評価では、作り手側の考え方を変えないと、これで良いや・・・
と一体誰の為に、何の為にやっているのか?判らなくなる。しかも、そんな気持ちでは
数ヶ月付き合えない・・・終わらなかったら・・・先生のせいである・・・。
その上、折角得た信頼性まで失うのではね・・・最後の年なんだから、俺も本気で
向き合いたいのね・・・・良い思い出作りたいしね・・・・それが俺の考える情緒。
本気でやるとそんなに甘く無いのが、慶應の労作展。
上手くすれば今日から張り始めるかと思っていたらしいのね。
その位に前回の下地を画像で見て満足だったらしいのね。そこでその説明となる。
そもそもこの作品は一体どんな事を大事に作らなければならないのか?
これが本人、つまり監督ならばその大事さ加減がやっている本人であるので、伝わるが
母はモザイクも下地もやった事が無い・・・・
そこでこんなニュアンスの説明。過去2回は似ているが全てじゃなくて、いかに自分らしさを前面に出して行くか・・・ここが大事だった。似ているよりもずっと。
そうね・・・カメはカメに見えれば良い。クサガメでもイシガメでもミドリガメでもね。
所がゲルニカは、ゲルニカに見えなければならない。
しかしながら、全部が全部真似したのでは無く、組み替えをした。そこで1つ1つのキャラを似せる事に徹するのは大事なんだけれど、組み替える事で見る人の目線も、
似ている・・・と比べられる事のみにならずに、意表を付いた見せ方になった。
つまり変化球的な作品となっていた・・・・所が今回はと言うと、半身とは言え、
立体のマ-ライオンである事は変わり無い。色以外はほぼそっくりでないとならない・・
つまり直球なのだ。ほぼど真ん中の。だからこそいかに似ている下地を作れるか?になる
それなのに下地は初めてなのである。つまり初心・・・あの時のカメを作った気持ちで
やらなければならないのである。何度も言うが、まだ下地で過去の経験が生かされる、
モザイクには一切入っていないのだから・・・・。そして、更に今度はテクニック論。
経験値の無い人に質問ね。彫刻刀で木を掘ったことある人ぉぉぉ。
ほぼ全員だよね。図工の授業でやった事あるよね・・・じゃ何本入ってた?彫刻刀?
5.6本あったでしょ?なのに今のこの下地、ダンボ-ル切りを1本で後は紙やすりで作って
いるのね・・・ほらこれだけ聞いただけでも不思議じゃない?じゃ貴方はどう考える?
何本もあって便利だね・・・彫刻刀は・・・って考えるのか?、なんだぁ、1本だけで
出来るんだぁ・・・スタイロの下地って簡単なんだぁ・・・と考えるのか?、
1本だけじゃ不便だなっ・・・と考えるのか?、何本も使うと使い方を会得するまで
大変だなぁ・・・と考えるのか?・・・考え方で様々である。ではこれをまとめると、
・・・何本もあって便利と考えた人は、すべて上手く行く前提の考え方である。
不都合は生まれない前提。だから上手く使いこなせれば、大幅なプラス点となり、
予定通りだが、もし思うように使いこなせなければ、便利と思っていた気分は吹っ飛び、
逆に不便さを感じる事になる。心に大幅なダメ-ジを受ける事になる。
逆に1本だけなんだ・・・簡単そうじゃん。と思った人は、確かに1本だけの使い方を
会得すれば良いのだから、何本もの使い方を会得するより簡単だ・・・と思うのも仕方無い事だし、逆に何本も使いこなすのは大変だ・・・と使う前から思う人は慎重だし、
思う気持ちとうらはらな結果になった時・・・これが世に言うストレスの原因。
つまり素直に初めての事なんだ・・・と受け入れる姿勢と思い込まない事が大事で、
思い込んでしまっている自分に気が付く事が大事。そして今自分はどっちよりの考え方で
あるのか?の確認をする。そうすると、結果が思うようにならなくても、心のダメ-ジは
押えられる。押えられれば心が踏み止まった分、大きな失敗には繋がらない。
こんな事を監督には初日に教えたから、まずはいかに似ている下地を作れるか?と
進めている・・・慌てずにね。所が母は終わると判断をしていた・・・こんな差がある。
本人はコツコツまだまだ似ていないし、終わらないと判断しているのに・・・。
この気持ちの違いも良く判る。方や作り手は満足するものが作りたいし、方や老婆心。
終わらないと困るから、それで十分・・・もう先に進めよう・・・ってね。
ただそれだと、何の為に早目の始動にしたのか?になる。つまり早めに始動した理由が、
終わらないと困るから・・・に徹した事になる。
これが逆に増えた分、めいいっぱい使うと考えると、結局いつもと同じに終わる・・・・
つまりいつでも、何でも一緒とはそう言う事。
ただこの考え方、1つの失敗も許されない。何せ過去2回と同じで・・なので、来られない
・・・と体調悪くても、代替を必ず作れないと、何処かグレ-ドを下げる事になる。
だから何処を下げる?と質問しなくてはならなくなる。容赦無くね・・・。
こっちとしても同じダメ-ジを受けなければならなくなる・・・・
そんな事も踏まえて、見守る側にも覚悟が必要で、また始まりますよ・・・夏が・・・
って母にも確認して貰わないとならない。今年が最後だしね・・・。
だから、慌てない、慌てさせない関係を作って、そして俺が終わらせる事を考える。
こんな事が出来ないと、納得するもの何て言うのはほぼ作れないと言えよう。
ただそんな中、のりちゃん母が新作下絵を持ってやって来ると、ちょっとした変化があった・・・それは眼をいじった後に、それまでは凄いね・・・と感想を言っていたのに、
監督母ものりちゃん母も眼が変わった・・・ほら、見逃すなっ・・・これだよ、これ。
今、笑ったろっ・・・グレ-ドが下がったんだよっ。もう一度良く見て直してごらん。
良く見て・・・すると、たったそれだけで2人共さっきより良くなった・・・と言うのね
つまりあのままで完成ならあのままのグレ-ド。しかし、直したから良くなる保障は無い
じゃどうする?これが作り手の切磋琢磨するべき所で、だからこそその結果が上手く行った時に、評価が凄い・・・なんて言葉が聞ける作品となったりするものなのである。
人の評価とはこの位、素直で残酷なのである。ただそれが作り手を育てているのも事実。
それを感じる心も無いと、感受性も育たない。
感性だの感受性なんてもんは、こんな事の繰り返しで磨くもので、ザックリならザックリ
だし、身の回りの体裁の評価では、作り手側の考え方を変えないと、これで良いや・・・
と一体誰の為に、何の為にやっているのか?判らなくなる。しかも、そんな気持ちでは
数ヶ月付き合えない・・・終わらなかったら・・・先生のせいである・・・。
その上、折角得た信頼性まで失うのではね・・・最後の年なんだから、俺も本気で
向き合いたいのね・・・・良い思い出作りたいしね・・・・それが俺の考える情緒。
本気でやるとそんなに甘く無いのが、慶應の労作展。