katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

穂竜のモザイク

2016-01-22 01:06:43 | モザイク作家
今日はお教室も無く作家katsu。まっ正確にはかぐやもいるので1人では無いが、ほぼ会話らしい事は無く、ただひたすら携帯が繋がっていて、相手の物音がたまに聞こえて来て・・・・そんな感じだから、自分と向き合う時間となる。

それがかなりしっかりした下絵を描いたので、それ程考えて作っている訳では無いので、手を止めなければそれ相応進むんだけれど・・・・。
それが中々計算づくには行かないモノでね・・・・何がどうダメージになっているか?なのね・・・・。

要するに精神的なモノ。例えばそうね、雨が降るって聞いていたのに降っていなかった・・・・ってだけでも得したって気になるでしょ?
これで何点か?良い気分になる。けれどもしアトリエの池で金魚が死んでいたら?・・・・ほらもうマイナスになった・・・。

これを具体的に晴れてて2点プラスだけれど、金魚が死んで10点マイナス・・・だから今、俺は普段よりマイナス8点みたいな事が判れば、足りない分を補わないと、いつもの自分にならなくなる・・・・。これを簡単に解決方向に向かわせるのなら、新しい金魚を買って安定感の代わりに刺激を入れる。

要するに今まであって当たり前の安定感が無くなり、元には戻れないので新しい刺激で埋める・・・・。

そんな事で埋め合わせすれば、大きなマイナスのままにはならない。こんな事を何と無く出来るようになると、更に今の調子はどの程度プラスになっているか?・・・・って言うのが判る。例えば300プラスなんて事になったりして、100あれば今の俺には十分だとすると200余っているじゃない?

要するにこれがお金なら預金とか投資とかになるでしょ?ただね、気分だの調子なんて預金は出来そうにないじゃない?けれど投資なら出来そうなのね。
それが明日に繋がるような何かをする・・・・であって、今、直接賃金が発生しなくても・・・・・なんて事をやって見たり、そうかと思えば、

考える・・・・って向き合い方をしないとならない事に時間を費やすのね・・・・ただ答えがその持ち時間で出るとは限らないが、もし生活費を稼がないとならないような切羽詰っているような時に、考える事なんてやったとしたら?そりゃきついでしょ?だから余裕のある時に向き合う・・・・。

こんな事を何度も繰り返すと考えてやるのでは無く、考える事無く出来る様になる。ほぼ習慣って言うのは繰り返しなのだから・・・。
そうすると逆も真なり。って事は、ふっと考えるなんて事をしている自分がいた時、あれっ?俺余裕あるの?・・・・なんて気が付いたりする。

例えば仕事なら考える事が仕事なんで当たり前なんだけれど、それが単なる昔の事を思い出したり・・・・みたいな、全くのプライベートな事だったりね。ただこれも果たして余裕から来るものなのか?それとも逆で、追い込まれて精神的に削られて研ぎ澄まされての振り返りなのか?

こんな事もきちんと踏まえて、今の自分は行くのか?行かないのか?・・・・なんて判断材料にしたりする。こんなやり方は確率を上げるやり方なんで弱者がやると結果が出る可能性を上げられるが、ある程度確立したものが出来た人だと、つまらない事になる。

例えば何も考えず、来た玉を打つ、試験だから勉強をする、あっもう昼だ・・・・みたいにその場で対応出来るって言うのは天才か偶然。
これが事前にこっちに来た玉はあっちに打つ・・・・って練習をし続けたり、一夜漬けみたいなものでは無く、こつこつ反復して覚えるとか、

仕込んで、煮込んで・・・・お昼に間に合うように・・・・みたいなものは、全て事前に準備をする訳で・・・。これは恐らく子供の頃に習った、ありときりぎりすの話で、全て準備であり、備えあれば憂いなしって考え。

ただね、これって偶然に負けた時のダメージが大きいのね・・・・あれラッキーみたいなね。だってコツコツやって来たのに、電車でチラッと見た所が出たぁ・・・・では、真面目にやって来た事が報われないからね・・・・。あっけない・・・。

ただこれはまだ確立していないから偶然を引き起こしているんだけれど、ついついやって来たって自信があったりすると、タチが悪いのね。
つまり進級したり、向上するとか、ステップアップしたりすれば、今までよりも更に・・・・にしないと、今まで通りが通用するとは限らないし、

やって来た事に過信があったのでは・・・・なんて事もあるだろうしね。まっ俺の場合は結局の所、裾野を広げて消去法なんで、今の俺には何が残っている?・・・・じゃこれ・・・・って選択するだけなので、割と簡単に決まるようにはなったけれど、それって中々難しかったりするらしい。

ただね、さっきのやり方は結果が全てになるのね・・・・結果が出れば報われるが、思うように出ないと、折角やって来たのに・・・になりがち。
本当はそれで失敗しても、そこまで頑張った自分がいて、次のそんな機会に生かされるもので、次の無い人には用事の無いものになる。

けれどね、それを具体的に教えてくれた人は俺にはいなかったのね・・・・昔は理由や理屈なんてどうでも良くて、ただ走れ、やれっ、ほら立てぇ・・・のみ。全てがそんな感じだった。だからこそ、先生として教える立場になったのだから、そうでは無く根拠ありきで教えたいのね・・・。

ただ難しいのは、何処まで必要なのか?・・・・かぐやなら本気でラリーも出来るだろうが、どの程度教えれば、どの程度の結果が出ればみんなは満足するのだろうか?・・・・と考えると、正直いつも難しいのね。

それは普通先生とはきっと導く人だと思うが、俺はまだまだその器では無い。だからなのか、それともその普通に適わないからなのか?スタイルがその人の望んでいる事へ近づくと良かろう・・・と思い、そうしているつもりだが、上手く続いている人の場合は、確実にほぼ相手の力量だと思うのね。

つまりどうしたい?って言うよりも、こうしたい・・・と自分がある・・・そんな人達だと思うのね。本来の先生は、こっちへ・・・と導くものだろうからね。だからそんな人に助けて貰っていると思っているのね。

そう考えると、先日のサンプルの切らないってスタイルは、普通の先生のスタイルであって、こっちへ・・・って導くやり方であり、
もしかするとようやくその普通ってやり方が出来る自信でも付いたのか?それとも単なる気の迷いなのか?・・・・あはははは。

まっ、こんな事を考える事が多くなるのは、作品作りの時間が多くなったからで、先生の時は生徒と向き合って、作品作りは自分と向き合うのだから、お教室が少ないって事なんだろうね。って意識せずにも意識する。だから切り替えないと、全く違うものなんでね。

ただ、お教室の後、作品を作るって言うのと、作品オンリーでは、単なる時間の長さだけでは無いのね。もっと言えば、今の作品作りは無償なのだから、身の削り方の消耗度は大きいが、その割にはまずまずな感じではある。

もっと言えば、残り時間でメドが立てば結果が伴ってダメージは少なくなるだろうが、大目に残るときついのかな・・・?とも思ったり・・・。
いずれにせよ、振り返りの多い毎日である・・・・。



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