今日は午後からノア教室。まっいつもの通りに金魚や草花の世話で始まるんだけれど、ここの所、氷が張るようになって寒さをグッと感じるようになったのね。外で生きるって言うのは、こう言う環境に耐えて春が来るんだろうな・・・と思いつつもそれにしてもね・・・・。
それが今、アトリエの中にも金魚がいるのだけれど、ここは猫に襲われる事無く、氷が張る事も無く明らかに環境が良い。ただここにいる金魚だってまた今年新しく生まれれば、その稚魚を育てる為に外に出すだろうから、同じ事の繰り返しになるんだけれど・・・・・。
何しろ生きる事に強い金魚が残るって事なんだろうが、金魚だけで無く、俺とて同じ・・・・と思ったりするのね。

さてそれではノア教室。

塀の外にオレンジの木が作りたい・・・・との事。まっほぼキウイとやっている事は同じなんだけれど、果てしないぃぃ・・・と繰り返していたが、出来ない事では無いのだけれど、この繰り返しの凄さはやって見ないと判らないのね。ただ、みどりじゃないが、瓦の下絵を描くまでの間にやるには、
丁度良く果てしない感じで、ここで大きく外すとは思えないので、今年初めてのスタートとしては良いモチーフなのね。
ただその果てしなさに慣れてしまうと、ただ切るだけ・・・ただ張るだけ・・・・と単調になりがちなのね。
そこをきちんとオレンジの木を作っている・・・・って意識出来ると、より良くなるのだけれど、ただの素振りじゃんとか、書き取りじゃんとか、同じ事の繰り返しって飽きるし、これだけしか進まないの?って気になると、雑にもなるし、気分も冴えなくなる。
これが不思議でダンサーとか、バラみたいに大きくメインになるものって言うのは目立つし、存在感は大きい。つまりホームランとかメインデッシュになり得る肉や魚料理だったり、華々しく結果として目を引くものになる。だからこそ難しく感じるし、気も抜けないって感じになる。
けれど細かく同じ事の繰り返しって言うのは、バントとかキャベツの千切りとか、無きゃ寂しいし、あって当たり前みたいな扱いをしやすいのね。
でもそうでは無くて、このダンサーにこのバラ、これらを引き立てるオレンジの木・・・・みたいに、気を抜ける場所じゃないのだけれど・・・。
だからきちんとそう言う意識が無いと、同じ事の繰り返しってないがしろになりやすい。けれど、逆に意識し過ぎると今度は進まない。要するに切る事には困らないのだから、張る勇気が出なくなる・・・・それが自分の作品へのプレッシャーになって来るのね。
しかも簡単に切ったら、切れただけに張った結果が良く無いと、簡単に切った分のダメージは大きい。偉く損した気分になるでしょ?ここなのね。
ついつい無意識に差を付けると、結果で決めてしまうし、気分に左右される。ここで楽なのは切る事のみなのにね。
それを今まで成功していたのに、オレンジの木のバックで失敗なんてしたくない・・・・とか、ノアにとって楽なのは切る事だけであって、張る事が楽な訳じゃないのね。そこを進む事だけを気にしてしまうと、何て事のない気持ちで進むだろうし、意識し過ぎると勇気が出なくなる。
いつも何を作っても、最初の1手は勇気であり、後はそのままの繰り返し・・・・って意識が大事で、オレンジの木・・・を作っているのであって、切ったらパタパタ張って行く・・・・ってもんじゃないのね。まっ、常に新しい事をする時に、舐めないように、舐められないように、
緊張し過ぎずに、今までやって来た自分の作品にふさわしいですか?・・・・と離れて見て見ると良いのね。そうすれば自分が教えてくれるから。
悪ければ、何か変?・・・と思うし、進んで良しなら、良いんじゃないの・・・・とOKが出るからね・・・きっと。
それが俗に言う自分を信じて・・・・って意識の仕方であって、日頃の繰り返しなのね。だから練習は嘘をつかない・・・なんて言うセリフがあったりするんじゃないのかな?・・・・でしょ?きっと。
まっ、確実にみどりの金魚に当てはまるゾーンだから、この悩みの少ない時に、瓦の下絵を終わらせれば、すんなり次へ入れるのね。
いずれにせよ、益々素敵な作品へ向かっているのね。だものプレッシャーが掛かって当然なのね。
それが今、アトリエの中にも金魚がいるのだけれど、ここは猫に襲われる事無く、氷が張る事も無く明らかに環境が良い。ただここにいる金魚だってまた今年新しく生まれれば、その稚魚を育てる為に外に出すだろうから、同じ事の繰り返しになるんだけれど・・・・・。
何しろ生きる事に強い金魚が残るって事なんだろうが、金魚だけで無く、俺とて同じ・・・・と思ったりするのね。

さてそれではノア教室。

塀の外にオレンジの木が作りたい・・・・との事。まっほぼキウイとやっている事は同じなんだけれど、果てしないぃぃ・・・と繰り返していたが、出来ない事では無いのだけれど、この繰り返しの凄さはやって見ないと判らないのね。ただ、みどりじゃないが、瓦の下絵を描くまでの間にやるには、
丁度良く果てしない感じで、ここで大きく外すとは思えないので、今年初めてのスタートとしては良いモチーフなのね。
ただその果てしなさに慣れてしまうと、ただ切るだけ・・・ただ張るだけ・・・・と単調になりがちなのね。
そこをきちんとオレンジの木を作っている・・・・って意識出来ると、より良くなるのだけれど、ただの素振りじゃんとか、書き取りじゃんとか、同じ事の繰り返しって飽きるし、これだけしか進まないの?って気になると、雑にもなるし、気分も冴えなくなる。
これが不思議でダンサーとか、バラみたいに大きくメインになるものって言うのは目立つし、存在感は大きい。つまりホームランとかメインデッシュになり得る肉や魚料理だったり、華々しく結果として目を引くものになる。だからこそ難しく感じるし、気も抜けないって感じになる。
けれど細かく同じ事の繰り返しって言うのは、バントとかキャベツの千切りとか、無きゃ寂しいし、あって当たり前みたいな扱いをしやすいのね。
でもそうでは無くて、このダンサーにこのバラ、これらを引き立てるオレンジの木・・・・みたいに、気を抜ける場所じゃないのだけれど・・・。
だからきちんとそう言う意識が無いと、同じ事の繰り返しってないがしろになりやすい。けれど、逆に意識し過ぎると今度は進まない。要するに切る事には困らないのだから、張る勇気が出なくなる・・・・それが自分の作品へのプレッシャーになって来るのね。
しかも簡単に切ったら、切れただけに張った結果が良く無いと、簡単に切った分のダメージは大きい。偉く損した気分になるでしょ?ここなのね。
ついつい無意識に差を付けると、結果で決めてしまうし、気分に左右される。ここで楽なのは切る事のみなのにね。
それを今まで成功していたのに、オレンジの木のバックで失敗なんてしたくない・・・・とか、ノアにとって楽なのは切る事だけであって、張る事が楽な訳じゃないのね。そこを進む事だけを気にしてしまうと、何て事のない気持ちで進むだろうし、意識し過ぎると勇気が出なくなる。
いつも何を作っても、最初の1手は勇気であり、後はそのままの繰り返し・・・・って意識が大事で、オレンジの木・・・を作っているのであって、切ったらパタパタ張って行く・・・・ってもんじゃないのね。まっ、常に新しい事をする時に、舐めないように、舐められないように、
緊張し過ぎずに、今までやって来た自分の作品にふさわしいですか?・・・・と離れて見て見ると良いのね。そうすれば自分が教えてくれるから。
悪ければ、何か変?・・・と思うし、進んで良しなら、良いんじゃないの・・・・とOKが出るからね・・・きっと。
それが俗に言う自分を信じて・・・・って意識の仕方であって、日頃の繰り返しなのね。だから練習は嘘をつかない・・・なんて言うセリフがあったりするんじゃないのかな?・・・・でしょ?きっと。
まっ、確実にみどりの金魚に当てはまるゾーンだから、この悩みの少ない時に、瓦の下絵を終わらせれば、すんなり次へ入れるのね。
いずれにせよ、益々素敵な作品へ向かっているのね。だものプレッシャーが掛かって当然なのね。