katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

カメレオンと亀有カルチャーの方の新作下地作り

2016-03-13 23:25:59 | 休み?
気が付くと日曜日。とは言っても休むなんて気はサラサラ無く、でも一応日曜日・・・休むフリだけはしたいので、金魚屋さんへ。ほんの1時間でも仕事じゃないから遊び・・・・はい終了、それじゃアトリエへ。金魚の世話と植物の水やりして・・・それじゃスタート。

でもこう言うのってある意味助かる・・・何も考える事無く、手を効率良く動かしていれば出来るから。それ位、もう慣れたのね。
それよりも考えないと出来ない事・・・つまりイベントの下地・・・の方が答えは出ず、ピタリと止まったまま・・・・。

さてどうすっかな・・・・それと一体何個作れば良いんだろう・・・・きっともうトリマーは買わないと壊れるのは間違い無いし・・・・。
そんなこんなの夕方、かぐやの作品の写真が欲しい・・・・って両親がかぐやに頼んでいて、その写真を届けに行って・・・・。

これでも十分休みと言えば、休みで良いやっ・・・・って話。ただ何かきっかけが欲しいのね・・・。

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亀有カルチャーとオードリー教室

2016-03-13 04:14:12 | モザイク教室
今日は亀有カルチャーの日、いつもの4人とご新規の体験1人の5人。まずは1人完成したのね。それがちょいと聞いた話なんだけれど、目地を入れていなかった時にお友達に地味ね・・・と言われたらしいのね。まぁ悪魔な言葉なのね・・・地味ね・・・・って。

ただこんな事は何度も言っているけれど、要するに地味ね・・・・って言うのはその人の感想であって、その人が派手なものを好むとしたら?ってだけの話なのかも知れないって事だったり、薄味ね・・・って言われたような感じであって、濃い味が好きな人の感想かも知れないのね。

だからそれをしっかり判った上で聞かないと、ついつい自分が間違っているような気になってしまう事があるのね・・・・。しかもモザイクをやった事の無い人の感想を間に受けて・・・・。これが例えば、ここで長くやっているような人の感想だと、先輩の感想なんでそれはアドバイスにもなったりする。

例えば、その地味ね・・・の感想の人の感想を変化させるだけなら、エンジの花をピンクに変えれば、多分少しは変わると思うのね。他には白い花をもっと増やすとか・・・・けれどね、この方の趣味趣向なのだから、エンジをピンクに変えるのは有り得ないのね。

そんな事が簡単に変えられる人なら、黄色い花だって上絵の濃い黄色も使えるだろうし、そもそもがピンクとエンジほど違う悩みなんて事は起きない。
つまりこの方は完全にシックを狙いに行っている事になる。例えば、白はピンクを選ぶ人にも似合うだろうから、白を地味とは言われていないはず。

ならば、それ以外の事についてになる。それが恐らくエンジをピンクにするって事になる。しかもここがモザイクの決定的な話で、絵のような色を混ぜられる分野の人には理解出来ない話になるが、色を混ぜられない分野のモザイクは決められた色の中での選択になるのね。

しかも更にぺきぺきって種類は色数が少ない。つまりピンクかエンジか?くらい極端になるのね。だから地味かシックか?みたいな表現になっちゃうのね。
その感想がね。ただこれも聞き飽きたと思うが、良い事と悪い事は背中合わせ・・・みたいな話で、地味もシックも同じものを見た感想なのね。

つまり地味って表現の持つ意味は、悪い意味に聞こえて、しかも何が悪いか?って言うのも、その表現をした人が派手好きだったとしたら?そして自分はシックを目指していたとしたら・・・・紙一重な話になっているって事になるのだから、シックを目指せば、地味って感想は付いて来ても仕方無しになる。

ただね、この方の場合は特殊でね、そんな簡単な事では無さそうなのね・・・それがステンドもやっていたりするのね・・・・。ここなのね。仮にもしその感想を言った人もステンドをやっていたとする・・・・。じゃ別に一口に派手好きな人とは限らない・・・・。果てさていかに・・・・。

ここに何があるか?恐らくだけれど、そもそもその分野をしっかり踏まえれば想像は付くのね。要するに、ステンドって言うのはガラス工芸って言い換えても良いだろうね。しかもそのガラスって素材は光を通すものだったり、マーブルだったりして華やかになる・・・そんな特徴がある。

しかしながら、共通点があってステンドもモザイクも人が作った素材をチョイスするだけ。つまりこの方の作品の感想を言った人がもしステンドをやっている人だったら?・・・噛み砕いて言えば、色のチョイスが華やかじゃないわね・・・・って言った事になる。

ここまで判ればほぼ簡単な話で、単色の色合いだったりする事も理由の1つにもなるって事ね。ステンドにはマーブルって言って、最初からモヤモヤって混ざっている色合いがある。つまり混ぜられなくても混ざっている。ここね。ただ勿論、ガラスタイルを使えば一緒なんだけれどね。

こんな事が想像されるのだけれど、こう言う感想に迷わされると、自分の作りたいものから離れて行く事もあるのね。それが証拠にオードリーを始め、みんなが目地をしたのを見て、良いぃぃ素敵ぃぃって言っていたのね。ただこれとて、そんな同じ教室の生徒さんや、先生は悪い事は言わないわ

・・・・って言う人もいらっしゃるだろうが、俺は生徒に心ある先輩なら、きちんと人の評価は心を鬼にして違うと思う箇所は言ってあげて・・・と教えている。簡単な話で経験者は自分も以前同じ悩みを抱いた事がある・・・と言う事なのね。だからその人の感想と経験の無い人の感想では、

全く質の違うものになる。それを嫌われたくないとか、傷付けないようにとか、我関せず・・・な場合、相手の喜ぶ表現・・・単純に素敵ぃぃと言えば無難になる。って事は、地味ね・・・って言った人は、かなりこの方とは親しい人でもある・・・とも言える。

何故なら地味ね・・・と言われて嬉しい人は少ないから。恐らく無難な表現ならシックね・・・・とした方がその場の雰囲気は壊さないだろうね。
あはははは、感想を聞く場合、しっかりと上手い人を選んだ方が、同じ迷うのなら幅が広がる提案をされると思うのね。

いずれにせよ、まだ始めたばかりの方の作品なのだから、十分過ぎる完成度だと思うのね・・・俺は。ではご新規さん。


ここは色選びのみ。何を張っても切る事は無いのだから、色を選べば張るだけ。しかも、初めてなのだから何も判らずに完成したのがこれなら、何の問題も無いでしょ?予定通りの完成度なのね。これを生徒さんの1人が少し大きめのものでやると・・・・



こうなるのだけれど、同じような事をやってもニュアンスが違うのは、まず体験の人は切らなくて良い。つまり切る技術は問われない。これをいつもの生徒さんは切る事を選択したのね。ただ固い1cmタイルとは言え、この枚数なら何とかなる。これで切る事を逃げ切ったとする。

ただ問題なのは切ったと言う事は細かくしてしまった・・・・と言う事。これを切らなければ数が増えるだけで体験の人と条件は一緒。ただ色んなサイズのタイルを使った事で、入らなくなったりしたから切らなければならなくなったのね。

つまり体験の人は切らなくて良いから色だけを選ぶ事で完成をし、いつもの方は色んなサイズを入れる事で切らないとならないし、その事で配置を考えなければならなくなった・・・ほら何かハードルが上がっているでしょ?単に好みの色の選択と、形を合わせて入れ込む・・・って違い。

その上で、色になるのだから、考える事が完全に増えているし、切るって技術も上乗せになる。じゃそこをクリアーして、後は張るだけになると、
条件は一緒な感じがするでしょ?勿論、これがいつものボンドなら、生徒さんは経験値の分手馴れているのだけれど、このボンドはいつもと違うのね

・・・・つまり条件は一緒。ただね、それは単純過ぎるのね・・・実は。そんなに簡単なものじゃないのね・・・人の心理と言うものは・・・。
慣れと言うのも、さっきの良い事と悪い事は背中合わせで、生かされれば良い事になるが、生かせないと悪くもなる・・・・。

きっといつものボンドなら何の問題も無かっただろうけれど、このボンドは固まるのが早い。だからいつものボンドのようなやり方では、モタモタしていると固まって直せなくなる。だから手際良くが肝心なのね。ただ、いつものボンドを知っているから・・・せわしく感じるのね。

これが体験の人の場合、比べるものが何も無い。良くも悪くもね・・・こんな違いがある上に、細かくした事になる・・・・。当然難易度は上がるのね。だからきっと大変だったと思うのね。しかも張る段階になれば、条件は一緒で張るだけ・・・と思っていたとしたら?ね。

こう言う心理が働くから、みんなが同じ事をするサンプル教室が嫌なのね・・・・それを目先を変えれば色が違う・・・って誤魔化す事も出来るが、同じ事をすれば簡単に比べやすい。そう言う点では、同じようではあるけれど、難易度はきちんと変わっているのね。

しかも比較って話だったり趣味趣向だったりすると、さっきの地味とシックのような話で、見る人側の感想になるが、こうして技術の違いを解説して置かないと、単なる趣味趣向の問題にされては困るし、いずれにせよ、こうして完成してしまうと、判っては貰いずらいが、色々頑張っているのね。

道具や素材に慣れる・・・これも1つの技術でもあるのね。そう言う点では、生徒さんの中でこのボンドを使ったのは初めてだったのだから、良い経験になったと思うのね。こう言う経験は明日の糧になるからね・・・・続けて行けば。後は2人連続に・・・・



ここはKAMEYAさんの2人なんで、ここで広げる話では無いくらい何も無いのね。そんな中、体験の方が目地を仕上げるまでに、乾き待ちの時間に切るって言うのも体験して貰うと・・・・・


こんなのを作ったのね。まっ駆け足だったけれど、ひとまずこんな事をする場所・・・・って事は伝えたつもりなんだけれど・・・。そんな中、教える側の問題では、この大きさの写真たてとこの鏡の目地2つ、そして5人をオードリーと2人であっても、かなりきつきつなんだな・・・2時間では。

って良く判ったのね・・・・完全に時間オーバーしてしまったのね。まっそれでも何とか終わった・・・って逃げ切った感じ・・・。
そんな後、アトリエに戻ってオードリー教室。そうね、しばらく振りにじっくり向き合ったが、落ち着きはある・・・けれどね、



親って言うのは欲目があって、期待をついついしがちになる。もっと出来るのに・・・・ってね。ただ、人って言うのはそう言うプレッシャーを心地良い人と、そう言うのが極端に嫌いな人がいたり、1歩前に出る人と、下がる人がいたり・・・・こんな違いがあったりする。

そうね、今のオードリーは若さのみで押すような姿勢は無くなったので、1つ良くも悪くも無くしたのね・・・・つまり最低でもその若さと言う武器を無くしたのだから、何か1つは得ないとバランスが取れない。その代わりになるようなものを掴めば、またバランスが整うのだけれど、

あえて弟子と師匠と言う関係から見て言えば、若くは無いが歳でも無い。辛くも無ければ甘くも無いし・・・・これを晴れでも無ければ雨でも無い・・・ってものなら、曇り?・・・・って想像出来るだろうが、普通・・・?なんて言葉で解決しようとすると、混乱するだろうね・・・頭の中が。

でもね、俺はそう言う悩むって行為こそが、プロセスであって、答えありきの選択なんて悩みでは無い感じがするのね・・・・悩まず答えが出せるのは、余程の腕前か?投げやりか?こだわりが無いのか?・・・・そんな感じに思えてしまうのね。それを悩んでいる・・・そんな姿勢なら、

その姿勢で持っての選択なのだから、例え理想と違ったとしても、趣旨さえ曲げなければそこにたどり着こうとして行くものな気がするのね・・・。
何せ偶然では無く必然になるから・・・・。ただ、その趣旨が間違っていたのなら・・・・そもそもたどり着いても理想とは違った事になる。

ある意味常識と言えば常識である・・・・。ただそう言う葛藤している姿を見ると、大人になってるんだな・・・・って思えたりもする。
ただそう思えているのなら、大人になったオードリーと向き合える自分を向上させないと、きちんと向き合えば切られるって事になるのね・・・・。

そう言う点では、今日のオードリー教室・・・しばらく振りに良い教室だった。成長している・・・そんな気にさせて貰った。


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