今日は午後から棟梁教室。それまでは根付風味の小物を1つ・・・。
先日決まったニクオンなるイベントは肉と音楽って事もあって、丁度音楽に関係する下地があったんで、それを優先して・・・。って、それでは棟梁教室。まずこの1か月、病気だ怪我だの繰り返しで絶不調・・・そんなだった今日は一体どんな感じなんだろうか?・・・。
無理をしてやって来たのか?それとも復調の兆しがあるのか?まず見た目・・・ここはまずまずだったのね。笑顔に見えたのね。次は声の張り。そもそも精肉店を女性で切り盛りしていた位だし、棟梁ってハンドルネームの由縁も実家が大工さんだった・・・なんて事もあり、完全に威勢が良さそうでしょ?
つまりキビキビしているのね。だから、具合が悪い時は、笑わないし、トーンがダウンするし、キビキビしなくなる。もっと言えば、歩幅も狭くなるし、下を向く・・・そう言う事から、どれも該当しないから、本調子では無いにせよ、まずまずには見えたのね。
ここまでは、単に洞察力みたいな話と、観察力みたいな話で、いつもと何が違うか?・・・ってその人を良く見ていれば判る事なのね。次は想像力を使うと、何を話すか?になる。つまりそこは中身・・・すると、先生バックの良いアイデア考えて来たんですけれど、聞いてくれますか?・・・って。
ちょっとストップ・・・まずこの文章に隠されている事を質問したいのね・・・それは何か?って言うのは、見た目の時にそこそこ回復しているようには見えた。その上に、この文章で想像するに、とても前向きに進めようとしている事が伺える。しかも、具合の悪い時の過ごし方を判ったのなら?
この質問はかなり洗練された事を言うかも知れないけれど・・・そう、けれど・・・でも逆に調子に乗っていたら?復活に寄って気分が大幅に良くなったとしたら?完全に何かを吹っ切ったように・・・不良債権を0にしてのスタートみたいな、過去を忘れて始めようとするはず・・・さてどっち?
それはどう言う事か?と言うと、病気だ怪我だって調子が悪い時に、何も出来ない・・・って後ろを向きがちになるのは仕方無いのね。しかし、それもいつしか慣れるし、いつしか痛みも当たり前になるのね。だって痛いのが普通になるんだもの。それらに慣れて来ると、元に戻りたいになるのね。
これが人の欲。ただいつも言うように折角戻れないのね・・・折角を付けると文章として不自然にはなるが、前向きにはなれる。そう考えられれば、折角いつもと違うのだから、いつもしない事が出来るのね。つまり棟梁が絶好調なら、色んな分野の制作ばかりをするだろうね。
しかし動けないとなると、全ての制作が出来なくなる。それを棟梁は何も出来ない・・・と言っていたのね。そうね、サンプルありきの習い事なら、そうかも知れないが、もしオリジナルを作っているとしたら?・・・考える良いチャンスなんじゃないのかな?
本来本気で良い物を作ろうとすれば、制作の前に構想って考える事が増える訳で。じゃ棟梁は制作の時間と構想の割り合いはどんな感じかな?って聞かずとも、ほぼ制作のみで、フィーリングで作っていたのね。だからその日の気分が大事になる。それが陶芸だの古布での制作のように、ひらめきで作る・・
みたいな場合とモザイクの大作や仏像彫刻のような何年掛かるんだろうか?って物を一緒にして、ひらめきで作れば気紛れなんかも起こって来る。それでは制作初日とは大幅に変わってしまい、一体何が作りたかったのか?本末転倒になって当たり前なのね。
って事を踏まえて、声の弾んだ質問の意味する事が、良いアイデア?・・・ここね。今までだって十分に良い仕上がりになっているのだから、それ以上何があるのか?って話なのね。となると、簡単に質問返しをするのなら、色の話?形の話?って聞けば、ほぼすべての内容が判るだろうね・・・。
つまり形の話なら、絶対に良いアイデアとして聞けるが、もし色の話だとしたら?それは、気分が良くなり、いつもの気分以上に晴々したんだろうね・・・だからいつもの棟梁以上にしようとすれば、確実に間違いない事を言うはずなのね。勿論、何を使いたいか?は判らないが、これは嫌って事は
大体想像は付くのね。調子の良過ぎの棟梁が嫌になった部分・・・それはバラのはずが無い。って事は1つ・・・縁取りの窯変って言う地味なキラキラタイル・・・良く言えばシックにお洒落。ただ嫌な人には、くすんだ汚れにも見えるだろうね。モヤモヤってした柄がね。
そうなると、折角バラが上手くいったんだから、その気に入ったバラを晴々した気分で、晴々した爽快な感じに仕上げたいと思えば、邪魔なものを払拭する為に華やかな色を触りたくなる。ただ棟梁も付き合いが長くなったから、きっとこの相談は一筋縄では行かない事は判っているのね。
って事は、調子が良くなっても、その相談の前に聞かれる事・・・そう再確認として、このテーブルはどんな感じだった?それはアンティーク。つまりそれを判っているのに、やりたい事はそのアンティークって選んだ窯変タイルが邪魔だ・・・なのね。だからもう触りたくない・・・。なのね。
あはははは、判りやすいのね。ただ、ただ・・・そこを責めるつもりは無いのね。ただ、以前の考え方を捨ててしまっては、もう以前の自分はいらなくなる・・・それを進歩だ進化と言うのなら良さそうにも聞こえるが、もし今日の気分で進むだけのアイデアだとしたら?・・・。
要するに今までやって来た事と今日のアイデアを天秤に掛けたとしたら?聞かなくても以前の方が大事だと思うのね。そんなに人は急には変われないから。ただね、何も出来ない・・・と言い訳にも思える発言から、考えて来たに変わった事だけは評価に値する。とても前向きだし期待は出来る。
そんな説明をしてもう1回振り返り・・・じゃ、今の気分では嫌な窯変タイルをどれだけなら我慢出来るか?ってやって見ようか?要するに使わない・・じゃなくて、使うとしてどの位の割り合いなら使えるか?ってね。その意味は簡単でアンティークにしたい・・・と始まったものが、では一体ここまで
作って何処がアンティーク?となった時に、全て・・・と答えたのなら、はぁ?って話で、そこが思い込みなのね。そんな人はバラまでアンティークに見えちゃっているのね。では窯変タイルを外して、ブルーの1cmタイルにして青空を作って見よう・・・バラがアンティークに見えるかどうか?
見えるはずが無いじゃん。つまり窯変タイルがあるから、バラのマット感がアンティーク寄りに見えただけで、窯変が無ければ、ただの綺麗なマットのバラにしか見えない。つまり窯変を嫌っている以上、もうアンティークにはならないって事なのね。
しかも、この後ほって置けば、確実に華やかなタイルを使うはず・・・もうたった1周の窯変では威力も無く負けて行くし、もっともっと邪魔になるはず。だから取るじゃなくて、増やす・・・そこだけ気になるじゃなくて、気にならないように・・・ただ人それぞれなのね・・・分量は。
だから、どの位までなら・・・と最低限探し。そうね、じゃ想像すっかね。例えばアンティークってどんな感じ?って言うと、洋風な感じで、そうねぇ・・知っている食器で言うと、ウェッジウッドなんてどう?じゃ確認・・・Google先生で。そんな感じね。すると見て違うなぁ・・・って。
はい、消去法・・・消えた。じゃ、思い込まずに和風だったとしたら?・・・えっ?って。そうなのね、和風だとアンティークって感じじゃ無くなって、骨董品的になっちゃうと違うわ・・・って確認すらしないと思うのね。では、薄っぺらな俺の知識で、オールドノリタケって調べて見ようかね?
どうかな?・・・これです。これ。だよね・・・きっとこんなのをイメージしていたんだよね?つまり西洋だとピッカピカの金の縁取りに真っ赤なバラみたいな感じなのね。大袈裟に言えば・・・でもオールドノリタケとなると、くすんだ金の縁取りでマットな色合いみたいな・・・。
じゃそれ見て、程良く窯変入れてみ・・・となると、きっと最初の2.3倍は入れる気になっているのね。ほらね、やっぱり。そもそも好きにしたいのなら、聞かなくてもこの程度の作品なら、元気な棟梁ならチャッチャと出来るだろうね。タイルさえ決まれば。つまり1人で出来る。
けれど、アトリエに来るって言うのは、聞きたい事があるから。けれど、聞きたい事が自分の聞きたい事だけ・・・って言うのなら、質問をする為に考えて来ないと、どうすれば良いですか?では、質問じゃなくて丸投げ。勿論、初心者だの2.3年みたいな人なら、来るだけで十分だけれど、棟梁・・
当然、上手くなりたい・・・良いものが作りたい・・・となると、大事なのはもう切る事じゃなくて、考える事。構想なのね。それを気分で作っていたら?・・・もし気分で作りたいのなら、20cm程度の大きさで3日以内に作れば、思いつきのみで完成する。
けれど、時間を与えれば、あぁだの、こうだの・・・って考えれば、考える程、何が良いか?その日の気分が変われば変わる程、いくらでも変更したくなる。なのに時間を掛けても20cm程度なら、棟梁では悩んでも終わってしまう。けれど、テーブルとなると失敗したく無い・・・になる。
まっ、プレッシャーなのね。だって失敗したくないもん・・・ってね。当然大作ならもっとね。一番大事なのは最初の気持ち・・・アンティークに見えるように・・・・・まず見えるようにしてから、残りのスペースが気分でやって良い場所になる。それを自由を勝手に・・・と変換してしまうと、
インチキ臭くなってしまうのね。いずれにせよ、元に戻りつつある。そんな風に思えたのね・・・棟梁は。上手くなったと思うのね・・・ただ、その分、気持ちのグラッと感が見劣りする。けれどね、理解して貰えれば、自分が本当はどうしたかったのか?ってたどり着けるものなのね。
それを嫌いだから排除・・・って言うのなら、最初から使わなければ良かったし、アンティークなんて言わなきゃ良かったでしょ?ここも折角なのね。折角使っていたのね・・・じゃそれを活かして、もっとより良くするには・・・・そこが腕の見せ所なんじゃないのかな?
いずれにせよ、次が楽しみなのね。
先日決まったニクオンなるイベントは肉と音楽って事もあって、丁度音楽に関係する下地があったんで、それを優先して・・・。って、それでは棟梁教室。まずこの1か月、病気だ怪我だの繰り返しで絶不調・・・そんなだった今日は一体どんな感じなんだろうか?・・・。
無理をしてやって来たのか?それとも復調の兆しがあるのか?まず見た目・・・ここはまずまずだったのね。笑顔に見えたのね。次は声の張り。そもそも精肉店を女性で切り盛りしていた位だし、棟梁ってハンドルネームの由縁も実家が大工さんだった・・・なんて事もあり、完全に威勢が良さそうでしょ?
つまりキビキビしているのね。だから、具合が悪い時は、笑わないし、トーンがダウンするし、キビキビしなくなる。もっと言えば、歩幅も狭くなるし、下を向く・・・そう言う事から、どれも該当しないから、本調子では無いにせよ、まずまずには見えたのね。
ここまでは、単に洞察力みたいな話と、観察力みたいな話で、いつもと何が違うか?・・・ってその人を良く見ていれば判る事なのね。次は想像力を使うと、何を話すか?になる。つまりそこは中身・・・すると、先生バックの良いアイデア考えて来たんですけれど、聞いてくれますか?・・・って。
ちょっとストップ・・・まずこの文章に隠されている事を質問したいのね・・・それは何か?って言うのは、見た目の時にそこそこ回復しているようには見えた。その上に、この文章で想像するに、とても前向きに進めようとしている事が伺える。しかも、具合の悪い時の過ごし方を判ったのなら?
この質問はかなり洗練された事を言うかも知れないけれど・・・そう、けれど・・・でも逆に調子に乗っていたら?復活に寄って気分が大幅に良くなったとしたら?完全に何かを吹っ切ったように・・・不良債権を0にしてのスタートみたいな、過去を忘れて始めようとするはず・・・さてどっち?
それはどう言う事か?と言うと、病気だ怪我だって調子が悪い時に、何も出来ない・・・って後ろを向きがちになるのは仕方無いのね。しかし、それもいつしか慣れるし、いつしか痛みも当たり前になるのね。だって痛いのが普通になるんだもの。それらに慣れて来ると、元に戻りたいになるのね。
これが人の欲。ただいつも言うように折角戻れないのね・・・折角を付けると文章として不自然にはなるが、前向きにはなれる。そう考えられれば、折角いつもと違うのだから、いつもしない事が出来るのね。つまり棟梁が絶好調なら、色んな分野の制作ばかりをするだろうね。
しかし動けないとなると、全ての制作が出来なくなる。それを棟梁は何も出来ない・・・と言っていたのね。そうね、サンプルありきの習い事なら、そうかも知れないが、もしオリジナルを作っているとしたら?・・・考える良いチャンスなんじゃないのかな?
本来本気で良い物を作ろうとすれば、制作の前に構想って考える事が増える訳で。じゃ棟梁は制作の時間と構想の割り合いはどんな感じかな?って聞かずとも、ほぼ制作のみで、フィーリングで作っていたのね。だからその日の気分が大事になる。それが陶芸だの古布での制作のように、ひらめきで作る・・
みたいな場合とモザイクの大作や仏像彫刻のような何年掛かるんだろうか?って物を一緒にして、ひらめきで作れば気紛れなんかも起こって来る。それでは制作初日とは大幅に変わってしまい、一体何が作りたかったのか?本末転倒になって当たり前なのね。
って事を踏まえて、声の弾んだ質問の意味する事が、良いアイデア?・・・ここね。今までだって十分に良い仕上がりになっているのだから、それ以上何があるのか?って話なのね。となると、簡単に質問返しをするのなら、色の話?形の話?って聞けば、ほぼすべての内容が判るだろうね・・・。
つまり形の話なら、絶対に良いアイデアとして聞けるが、もし色の話だとしたら?それは、気分が良くなり、いつもの気分以上に晴々したんだろうね・・・だからいつもの棟梁以上にしようとすれば、確実に間違いない事を言うはずなのね。勿論、何を使いたいか?は判らないが、これは嫌って事は
大体想像は付くのね。調子の良過ぎの棟梁が嫌になった部分・・・それはバラのはずが無い。って事は1つ・・・縁取りの窯変って言う地味なキラキラタイル・・・良く言えばシックにお洒落。ただ嫌な人には、くすんだ汚れにも見えるだろうね。モヤモヤってした柄がね。
そうなると、折角バラが上手くいったんだから、その気に入ったバラを晴々した気分で、晴々した爽快な感じに仕上げたいと思えば、邪魔なものを払拭する為に華やかな色を触りたくなる。ただ棟梁も付き合いが長くなったから、きっとこの相談は一筋縄では行かない事は判っているのね。
って事は、調子が良くなっても、その相談の前に聞かれる事・・・そう再確認として、このテーブルはどんな感じだった?それはアンティーク。つまりそれを判っているのに、やりたい事はそのアンティークって選んだ窯変タイルが邪魔だ・・・なのね。だからもう触りたくない・・・。なのね。
あはははは、判りやすいのね。ただ、ただ・・・そこを責めるつもりは無いのね。ただ、以前の考え方を捨ててしまっては、もう以前の自分はいらなくなる・・・それを進歩だ進化と言うのなら良さそうにも聞こえるが、もし今日の気分で進むだけのアイデアだとしたら?・・・。
要するに今までやって来た事と今日のアイデアを天秤に掛けたとしたら?聞かなくても以前の方が大事だと思うのね。そんなに人は急には変われないから。ただね、何も出来ない・・・と言い訳にも思える発言から、考えて来たに変わった事だけは評価に値する。とても前向きだし期待は出来る。
そんな説明をしてもう1回振り返り・・・じゃ、今の気分では嫌な窯変タイルをどれだけなら我慢出来るか?ってやって見ようか?要するに使わない・・じゃなくて、使うとしてどの位の割り合いなら使えるか?ってね。その意味は簡単でアンティークにしたい・・・と始まったものが、では一体ここまで
作って何処がアンティーク?となった時に、全て・・・と答えたのなら、はぁ?って話で、そこが思い込みなのね。そんな人はバラまでアンティークに見えちゃっているのね。では窯変タイルを外して、ブルーの1cmタイルにして青空を作って見よう・・・バラがアンティークに見えるかどうか?
見えるはずが無いじゃん。つまり窯変タイルがあるから、バラのマット感がアンティーク寄りに見えただけで、窯変が無ければ、ただの綺麗なマットのバラにしか見えない。つまり窯変を嫌っている以上、もうアンティークにはならないって事なのね。
しかも、この後ほって置けば、確実に華やかなタイルを使うはず・・・もうたった1周の窯変では威力も無く負けて行くし、もっともっと邪魔になるはず。だから取るじゃなくて、増やす・・・そこだけ気になるじゃなくて、気にならないように・・・ただ人それぞれなのね・・・分量は。
だから、どの位までなら・・・と最低限探し。そうね、じゃ想像すっかね。例えばアンティークってどんな感じ?って言うと、洋風な感じで、そうねぇ・・知っている食器で言うと、ウェッジウッドなんてどう?じゃ確認・・・Google先生で。そんな感じね。すると見て違うなぁ・・・って。
はい、消去法・・・消えた。じゃ、思い込まずに和風だったとしたら?・・・えっ?って。そうなのね、和風だとアンティークって感じじゃ無くなって、骨董品的になっちゃうと違うわ・・・って確認すらしないと思うのね。では、薄っぺらな俺の知識で、オールドノリタケって調べて見ようかね?
どうかな?・・・これです。これ。だよね・・・きっとこんなのをイメージしていたんだよね?つまり西洋だとピッカピカの金の縁取りに真っ赤なバラみたいな感じなのね。大袈裟に言えば・・・でもオールドノリタケとなると、くすんだ金の縁取りでマットな色合いみたいな・・・。
じゃそれ見て、程良く窯変入れてみ・・・となると、きっと最初の2.3倍は入れる気になっているのね。ほらね、やっぱり。そもそも好きにしたいのなら、聞かなくてもこの程度の作品なら、元気な棟梁ならチャッチャと出来るだろうね。タイルさえ決まれば。つまり1人で出来る。
けれど、アトリエに来るって言うのは、聞きたい事があるから。けれど、聞きたい事が自分の聞きたい事だけ・・・って言うのなら、質問をする為に考えて来ないと、どうすれば良いですか?では、質問じゃなくて丸投げ。勿論、初心者だの2.3年みたいな人なら、来るだけで十分だけれど、棟梁・・
当然、上手くなりたい・・・良いものが作りたい・・・となると、大事なのはもう切る事じゃなくて、考える事。構想なのね。それを気分で作っていたら?・・・もし気分で作りたいのなら、20cm程度の大きさで3日以内に作れば、思いつきのみで完成する。
けれど、時間を与えれば、あぁだの、こうだの・・・って考えれば、考える程、何が良いか?その日の気分が変われば変わる程、いくらでも変更したくなる。なのに時間を掛けても20cm程度なら、棟梁では悩んでも終わってしまう。けれど、テーブルとなると失敗したく無い・・・になる。
まっ、プレッシャーなのね。だって失敗したくないもん・・・ってね。当然大作ならもっとね。一番大事なのは最初の気持ち・・・アンティークに見えるように・・・・・まず見えるようにしてから、残りのスペースが気分でやって良い場所になる。それを自由を勝手に・・・と変換してしまうと、
インチキ臭くなってしまうのね。いずれにせよ、元に戻りつつある。そんな風に思えたのね・・・棟梁は。上手くなったと思うのね・・・ただ、その分、気持ちのグラッと感が見劣りする。けれどね、理解して貰えれば、自分が本当はどうしたかったのか?ってたどり着けるものなのね。
それを嫌いだから排除・・・って言うのなら、最初から使わなければ良かったし、アンティークなんて言わなきゃ良かったでしょ?ここも折角なのね。折角使っていたのね・・・じゃそれを活かして、もっとより良くするには・・・・そこが腕の見せ所なんじゃないのかな?
いずれにせよ、次が楽しみなのね。