katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

昨日に引き続きリピーターさん教室と色んな下地

2021-11-06 00:24:05 | モザイクタイル教室

今日は昨日に引き続き、ウォンバットのリピーターさん教室が午後から・・・って事で、それまではトラの絵馬やら、diybaseのワークショップの下地のペンキ塗り。

これでひとまず今の時点の下地にメドが立って・・・そんなこんなでリピーターさん教室。色々と検討した結果、バックはシンプルにリップルの白で・・・。一見簡単そうに見えるんだけれど、ここが意外と難しいのね。

ただ理由は簡単なのね。それは今まで細かく切ってしっかり作って来たからなのね。ここもいつも通りに文字のままの解釈すれば、答えは出て来るのね。そもそも細かく・・・ってどんな感じか?って言うと、細いとか小さいとか、繊細とか、

明らかに小難しくなって行くイメージ。そんな風に切って来たとしたら?それをどんな風に張る?となると、ガバッと目地幅を取って張るかな?そんな事は無いのね。つまり割と細めな目地幅になるのね。自然と。この細めな目地幅が普通になったのね。

その感覚で、ウォンバットが細く、文字は細かくって感じに、ずっとやっていたのだから、もう本人にすり込まれているのね。そこに来て、リップルを選べば、タイルは大きいし、リップルの特徴でもあるレロレロってラインはキチンとは、

張れずに目地幅が統一しずらい。その時に、目地幅の一定を重視して合わせようとすると、太い目地になり過ぎてしまうのね。そうすると今まで痩せてない?って目地幅、つまり細目だった所へ、相撲取り参上ってなれば、太過ぎるでしょ?

今度は逆に、今まで通りの目地幅をキープしようと、細目にすると、上は空いているのに、下はくっついちゃうなんて事になり、ピッタリ過ぎれば、目地が入らない・・・ってな事になる。つまり丁度良いって表現になるには、目地がギリ入る側に合わせて、

どちらかが空いてしまっても仕方無し・・・ってな感覚でやって行くのね。ただ仕方無し・・・この感覚が、ここまでキチンとやって来た人は、キチンとに思えないし、最後の最後で・・・って気分になるし、検討して決めたのに・・・。

どれもこれもが正しくない気分になるのね。何しろ今までを覆す感じになるからね。これがどんなにテクニックが身に付いても、解決しない事なのね。何しろ気だからね・・・そんな気分ってのは。目に見えない事を説明するって言うのは、

難しいし、それを理解するって言うのも、今自分の中にそんな気持ちがあって、そんな気持ちから、自然と目地幅を自分で決めてしまうんですよ・・・って言っても、果たして理解出来るか?となると、はぁ?心療内科や易者か?ってなるでしょ?

だって心の中を読んでいるような話なのだから。ただ深層心理ってのは必ずあって、良くそんな事は考えていないなんて言う人がいるが、正確に言えば、自分の考えている事に気が付いていないだけだったりするのね。

ここもまた気の話。考えていないなんて事は無いのね。何故なら考えなきゃ、ここにはサンプルが無いのだから。オリジナルが考え無しで出来るはずが無いのね。もしそれが本当なら、誰の真似してるの?って事になるのね。

だって何かしら見たものを思い起しているだけなのだから・・・そう無意識にね。意識無く、考えていないって言うのは、大抵そんな事なのね。つまり楽譜や図面、レシピと言った目に見える資料では無くて、今まで見て来た何らかの記憶でね。

ここが理解出来れば、オリジナルの基本である、感じ取る事だったり、記憶の中から、ここに合うと思われる何らかのきっかけを思い起こす、自分の頭の中の引き出しから見つけ出すなんて事が、出来たりするのね。

そんな事を普通はしないし、その事を何て呼ぶ・・・なんてお医者さんじゃ無いから知らないし、興味も無いから、普通は無意識に何と無くそう思ったから・・・って感に頼った的な表現になってしまうのね。でも感にばかり頼っていたら、

そりゃ確率を下げると思うのね。だって腕はきちんと切ったり張ったり、反復練習で身に付くのに、後は何処まで行っても感だのみ。それじゃそれ以上は上手くはならないし、となると感が上手く働いた時はラッキーって事になるはず。

そもそもが、普通は結果によって、結果が良いとラッキーで、結果が悪いと、どうしてこんな事になったんだろう・・・の繰り返しで、もっと言い方を変えれば、その結果を決めるのも自分の人は、じゃ一体何点設定なんだろう?なのね。

勿論、大抵はそんな事は一切決めて無い・・・なんて事になるだろうし、でも決めていなかったら、結果なんて気にする必要は無いし、でも結果で一喜一憂したりする。それなら考えるべきなのね。ただ体験なら、初めてなら未熟でしょ?

ただやって見たかった・・・ってだけなら、出来たぁ・・・で嬉しいし、楽しいのね。けど、上手くなりたいとか、素敵なものが作りたいなんて事になって行くと、当然素材に凝ったり、制作に時間を掛けたりする。

それが大作で、一体何時間掛かった?当然いくら掛かった?って事になるから、それ相応の仕上がりが欲しくなるのも当たり前なのね。ただこの文章は、たどり着いた人の結果の話で、たどり着けない人もいっぱいいたりするのね・・・。

最後までたどり着くのが難しいから、たどり着いた人は凄い作品になるのは当然だし、出来ない人が多いから、凄く見えるのも当然なのね。逆に誰でも出来るものは簡単だし、その簡単な事を習い続けたい?って事なると、それも難しいのね。

続けられるって言うのは、その先の自分を見て見たい・・・そんな人だったりするんだろうし、オリジナルで考えるって事を続けると、今まで感じなかった事を、より繊細に考えられるようになると、物の見方が変わったりもする。

まぁそれも良し悪しだけれどね・・・いずれにせよ、後少しで自分超えの1枚目になる作品が完成するのね。つまりこれが普通になるのね。この腕になって、次に何を作るのか?もうこの腕の人と認知されたのだから・・・。

今、丁度そんな人がローラなのね。バラの作品を地元の同級生のタイル業者の社長に、凄いって言われた後の2作目が終わろうとしている。しかも、その作品をキウイに凄いと言われた・・・同じ凄いと言われても、一度もモザイクをした事の

無い方と、達者な人の表現とでは重みが変わって来るのね。言われた事自体は変わらないのだけれどね。つまり作品を見なくても、どの程度の仕上がりか?の判断は付くのね。キウイの眼で凄いなら、まずまずだな・・・と。

勿論、最後は好みなんてもんで左右もするから、例えば女の人にお花の作品を見せるのと、ヤモリの作品を見せるのとでは、例外はあるものの、大抵はお花の方を評価する。でも腕のある人は、好みでは決めないから、質を見てくれる。

こんな2作目になると、結果も満足するし、1作だけじゃ無いから、まぐれでも無いのね。ただ大作の辛さを知らなかった1作目と、知ってしまった2作目とでは、意識をしっかり持たないと、またあれやるのかぁ・・・みたいになるし、逆に、

もっと・・・って事になると、その差は大きく、飛躍って単純にこんな差だったりするのね。まぁいずれにせよ、もう先は見えたんで、後は時間が解決する。そんな後、またコーナンに行く事になったのね。それは、今日も予約が入ったのね。

これで20日は満席。たった3日で埋まっちゃうとは・・・判らないもんなのね。そんな訳で行くと、あれ平日なのに、混んでるのね・・・ただ、1人気になる人がいたのね・・・しかも昨日もいたのね。しかも更に女の人・・・。

俺と同じでトリマーフル回転。ただもんじゃ無いな・・・ただね、こっちからは声掛けづらいのね。何せ俺なんだから・・・不審者よりもマシ程度な風貌。そんな中、あっと言う間にブースの中には、昨日に引き続き2人になって・・・

掃除をしようとした時に、声を掛けられたのね・・・katsuさんですか?って。まぁ今日の作務衣は名前入りだったけど・・・するとどうやら、昔unidyでお話した事があるらしく、覚えてくれていたようで・・・しかも、diybaseの方とも

知り合いらしく、先日diybaseさんでも、同じ事を言われて2人目・・・昔からコーナンでやってましたよね?って。確かに木を切る人はいても、木を彫るってトリマーばかりの人は、何処へ行っても俺しかいないだろうし・・・。

しかもよくよく聞くと、地元江戸川の人だし、やっぱり木工でお教室をしているような方だったのね。やっぱりね、何しろトリマーで2日間もこの時間までやっているってのは、ただのdiy好きの人じゃない・・・って思っていたのね。

これが木を切っている人なら、そこまで思わなかったけど・・・。更にインスタも見て下さっているらしく・・・きちんと宣伝効果があったようで、何よりだったのね。


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