今日は午後からさくら教室。って事で、その前に昨日のデイ・サービスのサンプル目地入れ。
そうね、例えばパイナップルにすると、葉っぱの尖った所を切って置かないと、切らないデイ・サービスでは厳しいだうし、プルメリアの場合は、花びらを10枚切って、しかもペンキで黄色やオレンジを塗らないとならず・・・どっちが良いか?ってのは、悩みどころなのね。
更にその後、カワウソを下地に写して・・・
次の準備をして・・・そんなこんなでさくら教室なんだけれど、ちょっとさくらの用事があって、それをやってから・・・プチッとお教室。そうね、さくらの場合、何がとか何処がみたいな、考える時に、勿体無いとか、一見正しい事のように思う事と、一際綺麗にやりたいって言う難易度みたいな
相反するような事の折り合いの付け方が凄い苦手で、まずはそこの考え方の説明が大事だったりするのね。ん・・・そうね、何でも良いんだけれど、例えば、じゃテーマをお中元なんて事にして見る。しかも、贈り物はビールだとする。何も考えずに済むパターンは、お金を気にせず相手も気にせず
送れば良いだけなら、バラの包みや、ライオンの門番がいるあそこら辺のデパートから送る。そうすれば、格式だったり、色んな面がカバー出来るから。では相手がカジュアルやフランクと言った人だったら?そんな気取らないで・・・みたいになり、場合に寄っては質より量的な発想だったりして、
それなら近所の安売りの所から買って量を増やす・・・なんて考え方もあるかも知れない。こんな両極端な事はいくらか判って来たようなんだけれど、じゃどちらでも無い場合は・・・みたいになる時、さくらは何も考えずに前者を選ぶ人だったりする。
一見あっているように思えたりするが、それはお金のある人の考えになる。これが理解出来ないって言うと、さじ加減を理解出来ていない事になる。つまりこれをモノ作りに当てはめると、プレセントだろうが、大作だろうが、小物だろうが、一緒の作り方になる。
そしてもし自分の力量よりも難しい事をやっいているとして、全力で・・・ってやっているとしたら、一見あっているように思えるが、何を正解として、何処に向かっているのか?の方向性が定まらずに、でも考えずにお金で包を買う・・・そう買うならそれも良いのね。
でもモノ作りは作るなのね。しかもサンプルの無い事は考えて生み出すなのね。しかも正解は無いのに不正解はあるものだから、何が正解となった時に、フォワード的に、これで良いじゃん、良い、良いって思える場合は、それで良いと思うのね。所がさくらは典型的なディフェンダーなのね。
つまり成功したい・・・では無くて、失敗したくないの方向なのね。つまりこの考え方を選ぶのなら、常に消去法になるのね。あれこれ想定される事を集めてトーナメントのように消して行く。そして残ったものが自分の正解になる。この考え方を理解出来ないと、常に迷う事になる。
例えば前者の場合なら、人に何を言われようと押し通す事が出来る人だと思うのね。この場合なら、ある意味俺も要らない事が多々あるだろうね。つまり自分の好きにやり、つまづいた時にだけ必要になる。こんな感じね。だから店員さんのようになるから、いらっしゃいませ・・・だけ言って、
様子をチラッと見る感じになる。これが数回来て、お互いに慣れると、こんな事かな?と先読みする事も出来るだろうし、その選択があったのか・・と気が付いて貰えると、それが信用に繋がったりもする。全て何がしたいのか・・・に向かうのね。所が後者の場合、失敗したく無い・・・だから、
まず何が失敗に思うのか?になるんだけれど、例えばこうした文字のような場合、既に先人達がやり尽くしているから、そうした方が綺麗ってルールがあるのね。つまり自分で決めるでは無くて、規則や決まりみたいなものがあるのね。だからその通りにすれば結果は良く見えるものなのね。
所がこれが必ず例外はあって、先日の体験の方の鶴田さんって表札を見て、上手い・・・って言うのね。この表現で判るのは、何で自分は出来ないんだろう・・・に繋がっているのね。ただあれは文字自体が非常に特徴があって、一定の太さじゃ無くて、マチマチなのね。そこが強みなのね。
それと文字が達筆で個性的だから、きちんと輪郭線さえ守れば良く見えるのね。つまり例え上手く行かなかったとしても、こっちで使えるわって、失敗した気持ちにならずに進める事が強みなのね。所がさくらの場合、一定の太さをキープし、止めだの払いだのって書道ルール的な要素が加わるから
えぐったりしないとならず、しかも文字を作っていると言うよりは、白を埋めている感覚になりがちなのね。そして更に性格として、勿体無いって気持ちが、この失敗パーツ何処かで使えないかな・・・って思うから、ここに入ったぁ・・・的に使おうとすれば、能率効率的に使う事になり、
美しさからは遠のく事になる。こんな感覚が繊細と言うのであれば、いつでも何処でも誰にでも・・・みたいに一本しか無い人は常に全力となり、それしか出来ない・・・って感じで、押し通す事になるのね。でも上手くなると、そのパーツの己の限界に向き合う事なのか?これは小物のコースター
って言うのなら、この辺かな・・・とか、使い分けが出来るようになったりして、それがメリハリにもなるんだけれど、さくらの考えはそれを手抜きにも感じてしまったり、そこにたどり着けない事を卑下したりして、自分を追い込むパターンがあったりする。自爆的なのね。
勿論、そうなるにも原因はあって、常に簡単な話で、全ての人は心の容器があって、嫌な事がそこに溜まるのね。つまらない事から、凄い事まで。例えば洗濯しようとしたら、まさかの雨だわっ・・・みたいにね。これが乾燥機でもあればカバーして、嫌な気持ちは少なくて済む。
しかしながら、あれこれ予定があったとして、そんなカバー出来る機械が無ければ、次回に持ち越すか、無理やりの部屋干し。これでどの位、嫌な気持ちになるか?は人それぞれ。そこに、ゴミの日を間違えたとか、電車に乗り遅れた、傘を忘れた・・・そして卵が売り切れ・・・。
こうやって日々のダメージが蓄積されると同時に、体力も疲労するのね。心技体って言うのなら、2つダメージを受けている事になるのね。これは日常の分なんだけれど、そこに非日常の分が加わると、洗濯機が壊れた・・・とか、子供が具合悪くなったとか、受験が・・・とかになる。
勿論これはダメージ分であって、生きていると良い事もあるから、今日はお弁当が要らないって言われたとか、電車が1本早く乗れたとか、座れたとか、卵が安かったとか・・・何でもちょっとだけでも気分が良い事があったりするのね。その時は、その良い事分だけ、容器からすくい取る事が、
出来るのね。そうやって心の容器のバランスを意識せずに取っていたりするのね。あくまで意識せずに。だからそんな人の場合、思いも寄らずに得したような気分の時には、ラッキーとして、逆に悪い結果の時には、何でこんな事になっちゃったんだろう・・・って事になるのね。
でも本当は気が付いていない、意識していないだけで、実は全部必然だったりするのね。もしそこを意識していたとしたら、げっ、悪い点20ポイント入っちゃったよ・・・何か気分が良くなる事しないと・・・って、こっそり独りアイスだったり、非日常をする事で、リカバリーしたり出来る。
でも意識が無いと、リカバリーをしようでは無く、日々の生活に追われるから、マイナスポイントをリカバリー出来ない。つまりいつもより早く容器がいっぱいになるから、何でこんな事になっちゃったんだろう・・・を思ったよりも早めに言わないとならなくなるだけなのね。
まぁこの程度なら、お坊さんの説法を聞かずとも、俺程度でも説明は出来る。要するに心技体の心の部分的な説明になるのね。そして技なら、伝統だったり格式なんてもんは、既に先人が作っちゃっているから、良い所はそれを真似れば良いだけだから、何の何処が良いか?を盗む事なのね。
後はそれを反復して体に覚えさせる。体は健康であり、無事これ名馬って言う言葉があるように、大きな記録を残さずも走り続ける事が出来る事自体が名馬の資格があるって事になるから、継続は力なりって事で立証できるはずなのね。恐らく何とか流なんてのは、こんな事を所作なんて呼ぶんじゃ
無いのかな・・・俺は習った事が無いからさ。いずれにしても、さくらの容器がどんな感じか知る事が大事になるんだけれど、弟子だから付き合いもお互い古いし・・・限られた時間の中で何をするかとなると、甲乙丙丁って事でトリアージをしないとならないのね。どの順番になるか?って。
理想は全部良くなりたいだろうが、そうも行かない。1個一番重要な事を解決するのか?中間2つなのか?みたいに、順位付けして向き合わないと、ただ時間だけが過ぎて行く事になるのね。まぁ俺の今日の役目はこれかな・・・って言うのは解決したとは思うんだけど・・・。