今日は久しぶりに高洲公民館でのサークル。しばらくここでは無い所でやっていたのね。では早速お母さんから。ここは何も心配要らないんだけれど、ちょっとだけ言うのなら、お花を作るって言うのは、タイルを切る時に直線ラインを無くす事がコツなのね。何しろ植物に直線って言うのは、
似合わないのね。ただ厄介なのは、意識としてお絵描きタイルはなるべく切らない・・・って思いたくなるのね。ただここが考え所で、切らずにスマートなラインにはならないし、でもなるべく切らない・・・完全に相反するのね。その時になるべくって・・・どんな感じ?
このニュアンスを自分なりの解釈を具体的にすれば、判りやすいんだけれど・・・それを例えば、お絵描きタイルを全方向切らないとか、二方だけとか、そんな決まりを作る事で、そのある一定ルールが何となくでは無くなる事で、適当さ加減が変わって来ると思うのね。
それをその都度となると、切る事が得意になって来た人は、きちんと切りたくなるし、逆に得意を超えちゃった人は、なるべく切らない意識が強すぎて、なるべくを取って、切らない色が強くなってしまうのね。ではキウイ。
ここは全く放置でも問題無く、まず切る事に一切心配が要らない。その上、ぺきぺきだから、徹底的に好きな形に切れる。一切心配が要らない人が徹底的に切れるぺきぺき・・・全く問題が無い理由はそこ。これがもしお絵描きタイルなら、なるべく切らない・・・ってニュアンスに困るかも知れないから、もしかするとお母さんと同じ悩みが起こるかも知れないのね。ではタピオカ。
本人も言ってたけれど、髪のガラスが終盤になったせいもあり、雰囲気が出て来た・・・って。全くその通りなのね。そしてこう言う下絵がある作品って言うのは、楽譜だレシピだ図面だって側のスタイルで、そっくりに・・・って意識を持つ。その時に、素材の選択で難しさは大きく変わるのね。
例えば、ぺきぺきだと色数が極端に少ないから、グラデーションなんて事は難しい。しかしながら、タイルが大きい分、ステンドっぽい雰囲気にはなる。ただステンドはマーブルと言った混ぜこぜな色合いがあって、とても高級に見えるのね。それからすると、とてもチープな感じになる。
ただ逆に可愛い雰囲気は中々のもので、ステンドには出せなかったりするのね。それが1cmタイルとなると、それを切るのだから、数ミリ単位のパーツになるから、とても大変さが増すのね。そして硬さも増すから更に大変。しかしぺきぺきと違って色数は多く、照りもあり、雰囲気がある。
そして高級感と言うのなら、やはりガラスタイルは中々なんだけれど、非常に切る事が難しく、繊細さには限界もある。その点を縁取りには1cmタイルを使って、中身をガラスタイルで・・・ってタピオカの作品は、完成度は高く、しかもかなりの繊細さ、そして本物に似ている・・・。
それがキウイはぺきぺきとは言え、やはり繊細さが高級感すら感じる完成度に繋がっていて、二人共にかなりの達者な事が伺えるのね。そしてお母さんにしても、なるべく切らない・・・なんて、腕を封印されてしまいそうなタイルで、この雰囲気を保つって言うのは、中々のつわ者感があるのね。
そして最後はキョンキョン。
新作で、ウエルカムボードを始めたんだけれど、ここからは判らないけれど、立ち上がりの側面にも六角形のタイルが張ってあるのね。まずタイルを張るって言うのと、タイルを切るって2つを比較した時に、普通意識無く、張る事を下に見る傾向があるのね。その最たる例が、後は切るだけって言う?そうは言わないのね。でも後は張るだけ・・・って言いがちなのね。
その無意識の意識が、大きければ大きいほど、そのダメージは大きいのね。何故なら、後は張るだけ・・・・そんな意識は、簡単って感じにも思っているから、戸惑えば、気が付いた時には、変な汗が出て来るのね。舐めてしまった分ね。ただそんな事の無いように隣に座っていたのね。
更に難易度が増すのは、四角いタイルだとしても、立ち上がりを合わせる・・・って言うのは難しいのに、六角形・・・そうね、俺もやった事は無いなぁ・・・。ただ理屈は一緒なのね。では何処から張るか?となると、側面からなんだけれど、側面の何処から?となると、上下の平では無くて、
左右のどちらかの角度のキツイ所から張るのね。理由は、上下平らな部分は目地幅を好きな分取れるのね。適当な好みにね。でも左右の角度のキツイ部分は、キツイ分、目地幅が広くなりがちなのね。しかも上下の緩やかな部分を目地幅を狭くすれば、パックリと左右の目地幅が広がったようになり
一定の目地幅には見えずに美しくないのね。しかもそれだけで無く、側面の立ち上がりのままに上のタイルを張る事になるのに、適当にやると、目地幅が合わなくなり、ずれて行くのね。そもそも張る事が簡単ならタイル屋ってほとんど張るだけになるのね。だから簡単なはずは無いのね。
ただこんな事を踏まえると、結構へこたれたりするもんなんだけれど、難しいぃぃと言いつつ、何とか乗り切ったし、まずは第一関門突破って感じ。これで次回文字って事になるんだけれど、そこを1cmタイルの紺でやるって決まっているんだけれど、じゃどう切る?
その時にキウイやタピオカは、文字のコピーを見て、しっかり感じる・・・って事が出来るのね。その答えが、お洒落な文字だから・・・と感じれば、羊羹のように細長く切るし、可愛くするって言うのなら、四角く切るだろうし、まずはどんな雰囲気?って事を決める事なのね。
この意識って点は、モザイクの技術とは一切関係の無い話で、技術では無く、あくまで意識の問題だから、この後の夕方からの中学生でも同じ話になるのね。そしてそれがオリジナルって話になるのね。それが考える・・・って構想の話。そんなこんなで、その後夕方から中学生教室。
そうね、こっちはオリジナルの大作って事になるから、ウエルカムボードの大きさでは無い分、考えるって構想がとんでも無く増えるのね。その時に直接表現なら、僕は人間になるんだけれど、吾輩は猫である・・・となると、比喩となり、猫になる。そこが難しくなるのね。
その時に淡く明るい色を使えば、若葉なんて言葉は読んで字の如しだから、若い自分に見えるし、渋い色を使えば年配にも見えるだろうから、未来の自分の比喩にもなるかも知れない。そんな事を踏まえて、テーマを決めて、テーマに沿ったモチーフを入れて行くべきで、何となく好きだから・・・
と加えると、内容がチープになる。勿論そのチープが小物であるなら、可愛くも見えるし、ポップにも見えるし、場合に寄っては、カジュアルなんて事にも繋がるかも知れないのね。ただもし、格式とか伝統とか、フォーマル側にしたいのなら、常に意味のあるモチーフを入れると良いのね。
まだ日は浅いけれど、この会話の仕方に慣れて来ているようで、ニュアンスって微妙なやり取りが上手くなって来ているのね。その初歩が不慣れな関係性なんだから、表情に出すとか、ん・・・とか、えっと・・・だけでも、完全な納得では無いな・・・って伺えるし、言葉が無くとも違和感だけは
伝わるし、笑顔とは言わずとも、明るい表情は近寄ったって感じには思えたりもするし・・・何しろ良い夏にしてあげたいものである。