今日は午後から闘牛士のリピーターさん教室。それまでは・・・と言いたい所なんだけれど、昨日のまんまだったから、ちょっと片付けて、今月残りの時間に何が出来るか?の確認をかぐやとして・・・何だかあっと言う間に終わってたのね。そんなこんなでお教室。
そうね、最近小学校の問い合わせがあって・・・結論からすると、流れちゃったのね。まぁ良くある話だと、問い合わせって色々あって、丸投げって場合、日にちと時間と人数と値段みたいな事だけで、見積もりなんて話になるのね。その時に卒業記念なんですけど・・・なんて話だと、
大抵は数日で終わる作品となり、一人あたりどの程度参加出来れば良いか?なんて考えたり、その下絵に合うタイルはどれ?とかあれこれ考えて、こちらは一体何人位必要か?なんて事になって行くのね。所が今回は長期に渡っての依頼で、恐らく体験の7回分位に相当する時間だったのね。
つまり簡単な事なら、鍋敷きを1人7枚作れちゃう事になるが、学校に永年残すものが楽しいだけって言うのは、責任ってものが無さ過ぎるのね。置いて行かれる側にもならないとね。作る側はそれで良いだろうが、思い入れはどんどん薄れて行く。だから縁があって、その後の人達にも興味を持って
頂き、しかもそれなりの完成度が求められるのね。つまり沢山張るでは無くて、急いで作るでも無く、話半分にしても、一人3枚分の鍋敷き位の大きさが必要になり、それが20数名分となれば、軽く畳一枚なんて大きさになるのは、簡単に想像が付くのね。そこに今回の話は高速を使うような距離。
交通費が何万も掛かって来るのね。更に材料なんだけれど、モチーフが決まらないと、色や形で値段も違うから、大体って言うのがザックリとなってしまうが、畳一枚分のザックリとなると、最低倍は見とかないと、何が起こるか判らない。これにこちらの人数x日にちとなり、見積もりが出る。
ただ大抵は値段しか見ないから、値段の擦り寄せの為に、じゃ小さくすれば・・・と思ってしまうのね。では車、小さくすると安いかな?そうなのね、走る為の部品はほぼ一緒だから、高級車との違いはエンジンは勿論だけど、装備品の豪華さだったりするのね。しかも、高級車が軽自動車の大きさって
見た事無いでしょ?つまり、あれこれやれば高級には見えるようになるけれど、大きくなる。それが例えば校章だけなら、小さくもなるが、果たして1人20時間持つか・・・となると、恐らくその前に終わるかも知れないし、小さくなるって事は細かく切るって事になるから、果たして出来るのか?
にも繋がって来るのね。こんな話どうでも良さげでしょ・・・そんなの関係無さそうでしょ・・・所がなのね。所がウチの生徒さんの大多数はこの話が他人事では無いのね。勿論、初めての中学生でもね。だってこの話って単なる見積もりの話に聞こえる人には、モザイクとは関係無いじゃんと、
思うだろうけれど、何も無い事から想像力、洞察力、観察力なんかを使って、この位の事をこの位の値段で・・・察しの良い人なら、もう判ったかな?実は構想なんかにも役立つし、自分の作品を作る時に生かされるのね。一体自分のやりたい作品は、このモチーフなら、この位の大きさで、この
タイルを使って、こんな時間が掛かるであろう・・・とね。更に俺はこうやって考えたりしているんだよ・・・って話でも、興味を持っている人もいる中で、また違う視線でも見る人もいて、それはkatsuとしての今後なんてものも興味を持ってくれるのね。ただ流石にブログには決まった話のみになるが、アトリエではオフレコの話も出来たりして・・・流れた、決まったの話に一喜一憂して貰えたりもするのね。
いずれにしても、この方は全て興味を持って下さるので、全力で話す事になるのね。0から1にする・・・こんな話は、大抵物事には2つの道があって、一つは伝統や格式のようなものがある方は、古典落語、歌舞伎、クラッシック、仏像彫刻・・・と言った分野で、そこには所作のようなものまであり
決まり事だらけなのね。ほぼそうじゃ無いといけない事ばかりで、図面、レシピ、楽譜と言った決まり通りに進んで行くスタイルと、正反対のオリジナルに分かれるのね。こちらは、新作落語、スーパー歌舞伎、木彫・・・みたいに、自分で考えるってスタイルになるのね。
んで、仮に俺にタイル屋になりたい・・・って教えて欲しい場合は、前者のようにある程度決まり事ありきで進むんだろうね。でも後者の場合、俺は別に習った訳じゃ無く、自己流なんで、経験値から指導するのね。その時にその人になって・・・って気分でね。
ここが難しいのね・・・例えば、心技体の心って部分はね、その日の気分で大きく変わるのね。気ね。目に見えない事は、中々難しいのね。それでも、そこを心療内科の箱庭療法的に考えれば、あぁいつもと違ったこんな色を使った・・・とか、根気が短いとか、その人の作品に反映されるのね。
いつもよりも慌てていたり、逆に進まなかったり・・・それが安定感が出て来ると、気で余り変わらなくなって、いつも通りを続けるなんて領域に入って来るのね。そこまで来ると、ほぼ教えると言うよりは相談相手程度になるのね。聞き方がこれとこれについては想像付くんだけれど、他には?
みたいに試して来るような・・・自分の考え方に無いものはあるか?みたいにね。それが先日の高洲ならキウイやタピオカ位になると、そのレベルなんで、裾野を広げるような提案が無ければ、どっちかを選ぶんだろうね。だから、使われない前提で、3番目以降のアイデアを何個か出す事が俺の役目。
あの位になると、もしかすると、3つ4つ持っているかも知れないし・・・だから手強いのね。こっちとしては、それもこれも持っているのかぁ・・・って中で、トリッキーなのを考えないとならないかも知れないし、意外と王道なの残っていた・・・なんて事も、稀にあったりもする。
こうした話はオリジナルを作るには、良い練習でね、やって見ないと判らない・・・では無くて、やる前から想像が出来るって話になるのね。そうした中から、これ・・・って始める時に、やって見たら、あぁこんな所に難しさがあったのかぁ・・・みたいな時に、やって見ないと判らないな・・って
話な訳で・・・良くあるやって見ないと判らないって言う話とは、大きく違うのね。いずれにせよ、こんな話が教室として成立する人だったりするのね・・・この方は。そんな中、ここが難しくて、でも今日は進みたい気分だから・・・こっちにしましたって。それよ、それなのね。
気付きってそれなのね。難しい所が判って、でも自分の気持ちが今日は進みたい・・・あっちこっち手を付けて・・・なんて人は、これを終えてからこれ・・・みたいな考え方になり、問題を1問目から順番にやる考え方だったりする。そして、5問目にえっと・・・えっと・・・なんだったっけ?
って時間を取ったりするのだけれど、ハイ飛ばして6問目・・・みたいに判断の早さで、次々って考え方もあったりするし、将棋のようにここはじっくり・・・と時間を取っても考える・・・って事だったり、それを自分の気持ちと折り合いを付けて、方針を決めるなんて・・・お見事なのね。
そもそも切る張るなんて技術は、この作品が終わる頃にはある程度身に付いているはずなのね。じゃ足りないのは?考えるって目に見えない事だったりするのね。もし考える事を捨てるのなら、この作品の後は、また何か写真を見つけて真似をすると良いのね。そしたら今より上手く切れるはず。
でももしオリジナルを作るとしたら?いくら切る張る技術が向上しても、考える事を怠っていれば、そんな上手くなってから、また1から考える教室を始めないとならなくなるのね・・・でも切る張ると平行に考えるって話に慣れれば、考え方は自然と身に付くのね・・・ただのお茶飲み話でもね。
自分はこう思う・・・とね。ただそう思っても、それには見えないな・・・って言う事の繰り返しが大事で、押し通すなら聞くまでも無いし、聞くって事は必ずしもそれが通るとは限らないのね。大事なのは、まずは伝わるか伝わらないか?なのね。別に良いじゃんの人は、聞くまでも無いでしょ?
なら一人で進めば良いのね。それをここにいる人達は、腕利きだったり、目の良い人達がいたりするのね。その目を判断材料にも出来るなんて話になると、非常に恵まれていると思うのね。何しろ裾野は広がるのだから・・・でも自分の中に無かったものは違和感だったりもする。
その違和感は良くも悪くも無かった事・・・そうやってワクチンを作る事が出来ると、自分の成長にも繋がったりもする。何しろ予定調和は安心安全、気分も良いが、進歩は一切無い。それは馴れ合いにもなるし、楽にもなる。良い事と悪い事は常に背中合わせだったりする。
冒険、チャレンジ・・・こんな事は、予定調和、保守、古典、・・・こんな中には中々無くて、自分の性格が保守か革新か?で指導は大きく変わるし、何を望むかでも、1回切りの体験だったり、大作だったりでも、これもまた大きく変わって来る。いずれにせよ、新しい事はワクチンに繋がるのね。
だから、知らない話は何でも刺激になるのね。こっちはこっちで勉強させて貰っているのね。毎回、毎回。