katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

杏さん教室とカットTBの看板取り付け

2025-01-14 05:02:16 | モザイクタイル教室

今日はまず杏さん教室。そうね、見ての通りいよいよネモフィラも終わろうとしているのね。何か終わる頃に持って見ると、少し重みを感じたのね。これは

儀式みたいな感覚で、例えば、コップに水滴をスポイトで毎日入れ続ける。するといつか溢れるのね。でも入れ続けても、溢れるまでに時間が掛かる。

でも溢れる日が突然来る。さっきまでは、今まで平気だったのに、・・・なんて事になる。これが容器が透き通っていれば、確認出来るから、そろそろだな、

なんて判るが、容器が中身の見えないものだったら?突然って事になる。じゃ杏さんのように大作をしている人って、どうなんだろうか?・・・って事になると

こうして見れば、まだネモフィラが終わっても、バックがあるじゃん・・・って事になるから、容器は見えている・・・って話に思えたりするのね。

じゃそんな人の場合、自覚があるんだから準備万端って事になるはずだよね?それなら何も起こらないはずなのね。でもね、人には目では無い感覚ってもんが

あるのね。それが目に見える事だけで無く、感覚的な事なのね。例えばタイルを張る時に、目で見て揃える事だけで張る人は普通なのね。それは視覚のみ

で張ろうとしているのね。でも上手い人は親指で下地とタイルが平らになっている触覚で感じながら視覚でも確認する。つまり2つ使っているのね。

ではそんな感覚で言うのなら、今日いらした時にテーブルに出した時の重さと、持ち帰ろうとした時の重さの比較って事になった時、あれ?って違和感を

感じる事があるのね。それはまるでコップの水が溢れるような感覚。急に重く感じる・・・そう感じたのね。これが終わりの儀式的な感覚なのね。そろそろ

終わるんだな・・・ってね。この感覚が判るようになると、大作の終わり方って言う話が判るものなのね。例えば、何でも良いのね。ほぼ全て一緒だから。

物事全て、始まりがあれば終りがある。こんな事は俺が言わなくても、誰もが知っているのね。でも判っていても、人は忘れるし、まさかね・・・って思う。

だから、何々ロス・・・なんて事が起こる。しかしながら、ドラマなら、後何回・・・って数字で判るし、最終回です・・・って言ってくれるから自覚にも

繋がるけど、こんな作品作りの場合、最終回はいつ?ほら、終わって見ないと判らない・・・ってな事になる。最初は期待と不安を背負いつつ、でもやって

見よう・・・ってチャレンジしたのね。所が余りの果てしなさに、心が折れたりするのね。それも立て直しが出来ると、また進んで・・・とうとう犬が

終わった・・・なんて事になると、1つクリアーした事で、警戒心や心が簡単に折れなくなると、傾向と対策なんかが出来て、大人の階段を登ったような感覚

になる。一人目を生んで育てたような・・・そして2人目のネモフィラ。犬では無いから、男の子じゃ無くて女の子なのかもね・・・でも1人育てた実績が、

ある。そして2人目も終わろうとしている・・・じゃバックとなった時、バックってどんな事をする?そして犬やネモフィラのように3人目の感覚なの?

ここ。もしそこまでの重みが無ければ、孫感覚だとしたら?育てるでは無く、面倒を見る・・・的な、いくらか重みからは開放された感覚だとしたら?そこまで

大変では無かったとしたら?もしかしたら楽しむ領域に入ったとしたら?気楽、気持ちが楽になったとしたら?ペースが上がるかもね・・・それがロスに繋がる

ものなのね。終わりは見えているのに・・・。残りのスペースは見ているのに。勿論、それが果てしなく模様を作ります・・・って言うのなら、3人目となる。

しかしながら、色や素材を決めただけなら、まだ何をどうするのか?漠然なのね。でも、油断しないように・・・まだこんなにある。って、しっかり準備

していればいるほど、思い込むって事になるのね。良い事と悪い事は背中合わせで、自覚している、準備している・・・って、思いが強ければ、油断しては

いない・・・と思える。がしかし、厄介なのは、自分が何をしようとしているか?漠然としているのに、そんなに簡単には終わらない・・・と決めていれば

いるほど、もしバックはクラッシュで・・・なんて事になったら?進み具合は大きく変わるのね。しかも本人が自分があの頃より上手くなっている自覚が、

無いのね。ただ毎回一生懸命やっているだけで・・・。つまりこんな条件が揃っていればいるほど、あっけなく終わった時、えっ?・・・ってなるのね。

これがロスの仕組み。つまりそうならない為の儀式的な感覚が、持って重いって思えた時・・・そこが、いよいよ終わりが近いな・・・って思う瞬間なのね。

これが判ると、これから離陸体制に入ります・・・となるのね。ただ今まで通りに油断しないで頑張るから、いきなり着地感覚になるから、ロスになる。

でも本当は着陸態勢に入り、降下して行くものでしょ?それが段々と・・・とか、少々とか、アルデンテとか、火加減とか、・・・あんな感覚なのね。

勿論人生もね。種を買うとか、から始まり、プランターや土、栄養剤を揃え、植えて、補助の木を付けたり、水、日光、風など気配りをして育てる。

その育てたものが実を付けたり、花が咲いたりすると、そこが全盛で、段々と衰退して枯れて行く・・・じゃ何処から?ってな話。病は気から的な話ね。

気持ちの作り方の話ね。そんな後は、大家さんとカットTBの看板取り付け。

そしてもう一つ。

って事で無事に終了。これで看板が取り付いたのね。じゃさっきの感覚の話で考えると、看板って一体何?・・・どんな感じ?これが大作を作っている人達との

会話なのね。俺にはこれが、前菜終了。って感じ。ただ取り付けた時はそうだったのね。でも最後の画像、電気が付いているのね。つまり用事があって、

また伺ったのね・・・それは、窓の周りの部分にピエロが入る下絵だったのに、雨除けは取らない事になって、デザインの変更となったからなのね。

本来はこれだったのね。雨除けが無いし、看板も無いから文字も入れて、看板も含めた絵だったのね。でも外さないから看板を別にしたのね。しかも、

これではピエロの顔が見えない・・・すると、オーナーさんから、ガラスに張れませんか?・・・って。今の状況では、広い場所は下の方で、顔が下に来る。

それじゃ勿体無いから・・・って。ただ仮に張れたとしても、裏側が丸見えだから、裏を隠す必要がある・・・つまり大きくデザインの変更と、やる量が増える事になる・・・

それとガラスと下地を平らにするには・・・って、下地を簡易的にでもお金を掛けずに何かしないとならず・・・モザイクでも増えているのに、更に下地も

・・・となると。ん・・・まっ、検討するって事で持ち帰り、描き直し。

はてさて・・・。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする