katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室と新作金魚の壁画の下絵

2022-09-17 08:00:00 | モザイクタイル教室

今日は午後からキウイ教室。それまでは新作の金魚の壁画の下絵・・・何せ1mx1.7mもあるからアトリエにいっぱいな大きさ・・・何か果てしなさもいっぱいなのね。

これで3匹目・・・後2匹。そんなこんなでキウイ教室。本来なら今までの事を考えたら、これっぽっち・・・と思うかも知れないけれど、後少し・・・って時、後少しだから・・・と思う場合、そこで早くなるようなら、今まで余力が

合った事になるし、それがいつも通りなら、スピードなんか上がらないのね。要するに火事場の馬鹿力的なもので、危機感でいつもよりも力が出るのは、普段そう言う機会が無い人達の場合であって、アスリートは常に危機感的になる。

追い込まれているからね。そんな人達はいつも通りの早さにしかならないと思うのね。恐らくそれを起こそうとするのなら、練習の時とは違う大声援や大歓声みたいなもので、アドレナリンが・・・なんて事になれば、自己ベストなんて

もんになるんだろうね。ただ物作りって中々みんなの前で作るような事は無いから、ライブ感なんて言うのが無い以上、常に一定なんて言うのをキープして行く方が正しいと思うのね。って事は、いつも通りの進み方なら特に問題は

無いと思うのね。ただ終わりが見えて来た・・・って言う感覚で言うのなら、16年だったかな?・・・何しろ掛かった年月がその位だとしら?そんな作品作りを見た事が無いし、それを終えるって言うのは俺にも判らない領域なのね・・・

きっと果てしなかっただろうし・・・。きっと嫌になっちゃう時期もあっただろうけれど、それが終わる感覚は、子育てが終わるとか、定年とか、何かをやり遂げた・・・って位の時間にしては、余りにも膨大な時間を費やした事になる。

それは鍋敷きやコースターとは全く違う感覚であって、趣味と言うのなら一緒のくくりであっても、重みが全く違っていて、見る者を威嚇するような迫力さえ感じられるのね。じゃ作っている本人は?と言うと、趣味だから・・・と、

ひょうひょうとやって来たけれど、流石にそれが終わるって言うのは、中々のものだったりする。そこを後少しだし・・・チャカチャカっと・・・って出来るか?って言うと、やはりここで失敗は嫌だし・・・となれば、いつも以上に

慎重にもなる。技量は違えど、高洲のサークルのキョンキョンも同じ感覚かも知れないのね。初めての大作が終わりを迎えている・・・これで良いのかな?張ったらおしまいだけど、これで良いのかな?みたいに悩む・・・。

ここで大きな違いは、キウイの場合は俺への質問として、候補がいくつかあって、それが単なる色決めでは無いのね。例えばお弁当作りとする。色々入れたらおかずのスペースが空いている・・・どうしよう?って質問されたとする。

何て答える?それを何でも良いじゃん・・・これは教える気一切無いでしょ?じゃ無難に、今まで入れたおかずの量を多くしたら?つまり品数を増やすんじゃ無くて、量を増やす事で考えずに済む。更に例えば、色どりを考えて見るとか、

フルーツなんて無いの?とか・・・相談相手としては当然この程度は考えるだろうね。しかし相手は16年ものベテランなら、その程度の事は考えていると思われるのね。つまり有り得ないような予定調和を崩すようなアイデアだったり、

逆に当たり前の答えを聞いて、だよね・・・と確認したりするんだろうね。これがいつもの展開だとしたら、彫ってあるスペースの中での場合、もう限りがあるから、普通に色決めみたいになりがちなのね。その時に、どう考えるか?

なのね。例えば、額を作っている・・・って言うのなら、思い入れ的なものはあっても薄い。だってメインは絵であって、より良くってものだから、主張をしに行くものでは無い気がするのね。って考えもあるって事は、全く逆の、

金でデコッてゴージャスに、絵に負けないくらいの・・・なんて額は美術には良くある話なのね。そうやって考える時に、先日のジャニーズの中で誰が好き?みたいな質問の時に、なおみぃぃのようにニノって答えられる人は良いのね。

だってこの先、増えようともニノだから、迷いが無いから決定でしょ?でも、えっと・・・って考える人は、今消去法を使って、どっちかな?ってやるのね。もっと最悪なのは、ジャニーズ好きじゃ無いし・・・これね。

まずニノって簡単に一番を言える場合、最初から好みが決まっているのだから、相談はそれに相応しいバックダンサーだったり、舞台だったり、照明の当て方とか、それ以外を考えてあげると良いと思うのね。それとは全く逆で、これっ

って言うものが無い人の悩みは、例えばこんなくくりの中だったら?と裾野を広げて、トーナメントを勝ち抜くような感覚で、落として行けば、残ったものが正解になる選び方になるのね。しかし、この場合、キンキのどっちが好き?

みたいに裾野が2人では、余りにも少ないし、それなら単なる好みの問題で、質問する意味が無くなるでしょ?だから、提案は裾野を広げるその人が考え付かない事を一緒に考えてあげる事になるのね。そして残った最後・・・。

私ジャニーズ嫌い・・・これね。これは最悪で、それはあくまで趣味趣向を聞き出そうとしているんだけれど、フルーツでも良いし、車でも、歌でも、何でも良いのね。分野なんて何でも。その趣味趣向なら、こんな事もあるよね?

であって、本人が気付かなかった事を気付ければ良いだけなんだけれど、最初に好きか嫌いかとなると、そもそも話づらくなるのね。例えば学校で何が好き?って聞いたら、学校嫌い・・・って言われたら、動物にしようかな?みたいに

質問を変えないとならなくなる。それじゃ質問の質問を考える事になるから、先に進めないのね。しかも相手は単なる色を聞いているだけだから、ただ正解を求めているだけなんだろうが、正解なんて無いのね。そもそもその人の思い描く正解なんて当たるはずが無いのだから。

つまり単に丸投げなだけなのね。だからそんな場合、じゃそれで・・・みたいに何と無く決めると、蕎麦だったらうどんの方が良かったな・・・みたいな事が起こるのね。その時に茹でるんだけど、蕎麦、うどん、スパゲッティの3択。

どーする?みたいになると、1つ先に進めるのね。その後に、蕎麦なら、めんつゆと胡麻どっち?みたいにトーナメントを勝ち抜くように進めるんだけれど、こんな話どっちでも良いわ・・・って人は、必ずやっぱりあっちだったかな?

になりがちなのね。それはどうして起こるか?はオリジナルだからなのね。選択権がある・・・これを例えば、蕎麦屋に入って、やっぱりスパゲッティだったな・・・って有り得ないでしょ?入る前に選択から外れているんだから。

しかも丸亀に入って、蕎麦だな・・・も有り得ない。つまり店に入っても蕎麦とうどんの選択権がある店だから悩むのね。だから悩む事になるのね。しかも更に暖かいのと冷たいのってね。これが真夏とか、真冬と設定すれば、かなり

決めやすくなるし、もっと悩むのなら、クーラーギンギンのなべ焼きとか、こたつに暖房でアイスみたいな感覚は、予定調和を崩す考え方になる。要するにオリジナルって言うのは、上手くなったら考える事が大事で、タイルを切ったり

色を選んだりするものじゃ無いのね。だから難しいのね。まっ考え方ってこんな事が1つの例だったりして、金魚の作出にしても、あれとこれを掛けて・・・って思い通りになるか?みたいな実験だったりする。しかも正解は自分。

何でも人のやる事は一緒なのね。理屈は。後はどう選択を選ぶか?スポーツだってそうなのね。上手くなったらって言うのは、一通り打ち分けられるって事になると、一瞬の判断で何を選ぶか?になるのは、オリジナルなのね。

それをバントの指令に従ってやるのは、楽譜、図面、レシピと言った決まり事の遂行になる。どちらも難しいけれど、考えてはいけないのと、考えなきゃいけないって反対のスタイルだから、これが理解出来ないと指導って言うのは難しいのね。

そこに人は気紛れって機械じゃないものだから、何でそれ?なんて事も起こるもので・・・。それが気分。まぁこんな事は言わなくても判っているから、何も言わずに終わりの時間を共有するって感じになるものだったりする。

そんな作品も後少しなのね。そんな後も金魚の下絵・・・


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