今日は棟梁とおかみさんの相席教室。一見、小物だらけで何にも教える事は無さそうに見えるけれど、実はこれだけあると話は大きく広がるのね。ちなみに順番としては、トイレ、音符、そして干支・・・こう言う順番に作った・・・それを頭に入れて貰って進めるとね、見た人はどう感じるか?
例えばトイレの文字、ポップな文字で可愛い。ただ可愛いものって言うのに騙されてはいけないのね。かなり綺麗に切ってあると思うのね。そして目地幅・・・きちんと揃っているから、更に上手さが際立つ。つまり昨日今日の人が作ったものでは無い事が伺われるのね。その証拠に次の音符。
こんな細さや細かさをきちんと入れられる・・・しかも偶然じゃ無いのね。何個も作っているのだから。つまりトイレでは、文字のデザイン性でポップなんて事が出来て、更にきちんと安定した目地幅の技術があり、そしてこれ以上は人間業では無理って細かさを切る技術を持っていて根気が相当ある。
そんな人物と思われるのね・・・そしてそんな人がこの干支の文字の幅の中にどんな事をやらかすか?・・・と考えた時、ありとあらゆる事を出来る権利を持っている人なのだから、どんな事をするのかな?と思えないかな?・・・所が、所がなのね・・こうして結果としてはこんなに素敵に出来たけれど・・・
最初はこんなに狭くちゃ何にも出来ないですよねぇ?・・・はぁ?この人何言っちゃってんだろう?実はこんなやり取りの中、始まったのね。つまり結果から言えば、こうして出来たのだから、何にも出来ないですよね?って言う気持ちだから、何にも出来なくしちゃうのは棟梁自身だった事になる。
いい加減にその気持ちを何とかさせないとならない・・・・棟梁に教えるのは今後もこれだけなのね。腕なんて何も教える事は無いのね。しかもなのね、良く見てみ・・なのね。棟梁のネイルを今まで見ていれば、俺にはこの干支のデザインがそのネイルにしか見えないのね。
つまり結局、棟梁自身がちゃんと自分自身で気が付けば、自分らしく作れる位上手くなっているのに、その腕を活かせる自分を気持ち1つでダメにする。だから、棟梁に取って気分って言うものは、自分の持っている腕を台無しにする・・・じゃ気分の良い時にしか作らなければ良いじゃん・・・になる。
もっと言い方を変えれば、気分を良くしていられれば良いじゃんとなる。しかし、しかしながら大人を毎日やっていれば、必ず誰かと関わる事になる。勿論、家族なんて単位のモノも、例え健康であっても、いざこざや悲しみなど色んな事が起きたりもする。しかしながら自分だけでは味わえない喜びもある
・・・いずれにせよ、簡単言えば1人で孤独に生きるも良し。それなら黙って一生家に閉じこもってモノ作り。寂しいと言うのなら、人と関わる。しかしながら必ず良い事ばかりは起こらない・・・ただそれだけ。その繰り返しを死ぬまで続ければ良いだけ。まっ、簡単に言えばモノ作りを真剣にやれば、作品
と向き合うって言うのは、今の自分自身と向き合う事になるものでね、つまり楽をしたければ、この腕なのだから誰かのデザインを真似すりゃ考えずに済むし、人よりもきちんと切れるから、もしかするとその人よりも繊細に仕上がるかも知れない・・・ただそれで楽しいか?ただそれだけ。
楽って言うのは、ラクとも読むがたのしいとも読む。紙一重なのね。上手くなった人が楽しもうとすると、結果として良いものが作りたくなるのが常。そうすりゃ、当然どうしようかな?と考える。所が腕が良くなればなるほど、考える、想像するって事が見劣りして行くのね。だって欲張るから。
しかも、自分の腕に気が付こうとしないから、こんなに狭くちゃ何も出来ない・・・って甘える。その癖、音符のような細かさを平気で量産出来る。更に言えば何も考えられないのなら、toiletの文字もブロック体でやれば何も考えずに済むのに、こうしてポップな仕上がりに出来る。
考え方1つでね。更に音符の細かさなんてもんは、流石にどうにもならないから、色だけ選んで入れるだけ・・・そうこれこそ何にも考えずに済むのだけれど、本来腕の足らない人であれば、四苦八苦で済めば良いが、出来なくてただ時間だけが過ぎて行く事だってあるのね・・・。
そんな腕にまで努力で勝ち取って、けれどそこまで行って気分・・・・気分だ気持ちだって・・・。こらぁぁぁぁぁなのね。座禅なら肩がミミズばれになってアメフトの選手になるまで叩いてやるわっ・・・って話なのね。しっかりしなさいぃぃぃなのね。しかも、しっかりすればこんな出来になる。
腕は裏切る事は無いけれど、気持ちなんてアテにならない。しかもそれが人の気持ちならともかく、自分・・・自分なら自分を磨けば腕に劣らない自分になれば良いだけ。棟梁にはずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅとそれしか教える事は無しなのね。
そんな中、おかみさん。
実はカルチャーの時に張り終わっていたんだけれど、あの時は大道芸の日だったんで慌てていて見逃したんだけれど、この背中の緑のパーツがハートになっていたのね・・・でもクリームの目地で見えづらくなっちゃったんだけれど・・・これも後で回収するとして・・・。
本題は金町湯に掛けるお休みプレートの件なのね。二転三転したけれど、5mmのシナベニアでやる事が決まって、さぁ今日は下絵を描いて来ます・・・の日。描いてあったんだけれど・・・それを棟梁に見せて、これ棟梁ならどれ位掛かる?って言うと、1日やっても終わらない・・・って言うのね。
ちなみに棟梁の1日って言うのは、腰を痛めてしまう位座り続けるのだから、最低10時間位が1日。それでも終わらない・・・つまり男女共にを考えると、最低20時間位は掛かる事になる。それを一切自宅でやらないとすると、おかみさんの場合、カルチャーとkameyaさんとここの3か所。
そう考えると全てを使ってやったとすると・・・2か月掛かって来年最初の頃に完成って感じになるけれど、当然最低って話だから、少しでもこだわれば、3月頃?・・・なんて事も大袈裟では無いんじゃないのかな?・・・何故なら今度は棟梁とは逆だから・・・。
何しろ今までのおかみさんの作品・・・こんな狭いスペースになんでこんなに細かくして作るのかな?・・・もっと大きなスペースで作れば見事な作品になるのに・・・ってものばかり。つまりどんな小さなスペースでも何かをして来る可能性が大いにある。しかも模様の繰り返し・・1枚入れれば、
何個いれなきゃならなくなるか?しかもそれを2枚・・・何処にもラクなんて無いのに、あんまり時間を掛けないで・・・って本人は言うのね。それを指摘したのね。勿論、棟梁にも言われたのね・・・何処にもラクに終わる事が無いし、むしろ大変だって。けれど良いモノが出来るってね。
そうなのね、そもそもラクから入ると、勝手に自分の中でラクだと思っただけだから、ひとたびその自分の中の制限時間を超えたり、向き合い疲れしてしまったり、さっきの気分なんてもんが加われば、何でこんな事になっちゃったんだろう・・・になる可能性は大。けれど、そうなのかぁ・・・って、
きちんと思って始めれば、割と早く終わるかもね。要するに心構えとか気持ちとか気分とか、眼に見えない事が全てなのね。ここまで上手いとね。それなのに眼が肥えるって言うのは厄介で、より良いモノが作りたくなるのね・・・なのに時間は掛けたくない・・・もはや矛盾なのね。
それが最初に戻ってウーパールーパーの小物なら、あぁハート見えなくなっちゃったかぁ・・・だけで済むのね。でもね、これ6時間近く掛かっているのね・・・サラッと流せる時間なのかな?とも思うし、その程度ならサラッとです・・・なのか?それもまた今日の気分なのかな?あはははは。
いずれにせよ、この2人、先日のリバティさんと俺では無いが、自分に無いものを持っている同士だから、得る事がいっぱいあるのね。けれど、ひとたび後ろ向きになった瞬間、嫉妬にも思えるものがあったりして・・・気持ちが滅入ったりしてしまう事にも繋がるのね・・・。
少なくともリバティさんは一瞬俺にためらったので、そうじゃない・・・って言って気分を持ち直しさせたけれどね。ずっと付き合って行く上で、気持ちや気分なんてもんで腕が振るえないようでは、大作で簡単につまづいてしまう事になるのね・・・何せロングランなのだから。
そんなこんなの教室の後は、デイ・サービスの追加下地・・・今回は10人らしく・・・ホームズへ。その後、ペーパー掛けとオイル塗りで完成。ひとまず間に合ったんだけれどね・・・ちょっと忙し過ぎるわっ・・・そんな感じ。