katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

一回目ワクチン接種とさくら教室

2021-07-21 07:40:12 | モザイク教室

今日は午前中に一回目のワクチン接種。ここは広げると色々ありそうだから、お知らせ程度にして、午後からはさくら教室。何だか進まないなぁ・・・と言ってたが、大作ってものはこんなもん・・・と知っているから、左程は問題無くちょっとした愚痴かなとも思われる。

何しろ労作展の子達のような時間を大人は取れない。しかも月に1回では、果てしなさは尋常じゃ無くなる。これが元気なら、サラッとまでは行かなくても、はぁ・・・ってな具合な感じだけれど、何か他の事で上手く行かない事があったりすると、

それもこれも上手く行かない・・・と言った具合になったりもする。でも実はどちらであっても、モザイクはモザイクであってやる人も変わらないのね。だから気持ちの問題になる。でもその気持ちって言うのも、例えばカレーを家で食べるのと、

みんなでキャンプで作って食べるのとでは、気分ってものが違って来る。恐らく出来栄えとしては自宅の方が、いつもの安定した熱量と便利だったり使い慣れた場所の方が作りやすいはず。逆に忘れ物があったり、まっ良いかってな事になるかも知れない環境や状況では、

作る方として考えれば、どちらが良いか?は簡単な話。ただ食べる方となると、自然の中でみんなで・・・となると、浮世離れした非日常は、その至らなささえも味にするってな感じになったりもする。それが気分なんて話ね。

って事が本当なら、気分なんてもんを変えれば良い。つまり元気であるならチャレンジ、そうで無いなら守りに・・・みたいな。それをいつも意識してやってんのね・・・俺は割と。例えば、さくらの場合、いつも調子が良く無いって言うだろうけど、

それでも割かし・・・なんて時だったり、さぁ新作って感じの時は、やる気って感じになるし、意気込みとか、いずれにせよ、気が張るみたいになるから、それなら緊張感のある眼なんてどうだろうか?になる。ただ左目をそんな気持ちでやったとして、

今の右目は小さい。あれから何か月経ったかな?になると、ちょっと時間が経ったと思うのね。当然2個目の眼って気持ちもあるだろうし、最初の1個目で掛かった時間とか、参考になる事が手に入った中での2個目・・・。

でもね、そんな単純じゃ無くて、2個目と言えど小さい・・・難易度は上がっている訳で。当然パーツが小さいって事は、持つのも大変って事になると、細かいパーツを持ち続ける大変さが増してしまうのね。

その時に2個目なのに・・・1個目よりも時間が掛かっているとか、グレードが・・・とか、自分を自分が責めたりすると、気分が落ち込んで行く・・・こんな事が起こったりする。それは今の自分の気分を把握して進まないから。

ってこんな事を踏まえて、自分の事よりも他人事ってので考えて見ると・・・まずこんなの。

実は銘木でロゴを切って見たのね。今までは銘木を・・・と来ると、彫っていたのに、銘木を切って見たのね。そもそもインスタで海外の人達の作品を見ると、作品自体が大きいのと、タイルもぺきぺきみたいな大きさのタイルを使っているのが支流だったりして・・・

でも日本のタイル事情や、部屋の大きさを考えると、作品を小さくしがちなのね。しかも、こうしたロゴすらも細かくなると、そこそこの腕が無いと、難しく時間も掛かるし、質も上がらない。そこでロゴを銘木にしたら?

になるんだけれど、何しろ安い木は建築材で厚みがあって、厚みがあると小さい作品に野暮ったい感じになる。しかし銘木となるとそこそこの値段はするし、今度は薄くても硬いと、難易度は上がり刃が折れる・・・。

ただ海外の人達はスイスイ切っていたりもする・・・見るからに柔らかい木。丁度良い具合の木を探していたんだけれど、1つは柔らかい木を見つけたのね・・・それはアトリエにあった端材・・・あっあれ確か柔らかいって。

それがSURFの方ね。それが割と上手く行ったんで、もう1つ試したい事があって、それが以前営業がてらに行った銘木を扱っている会社で、何か買って帰らないと・・・と買った銘木があって、でも良い使い方が見つからずにお蔵入りしてたのね。

もし上手く行くなら全部ありじゃん・・・ってね。そしたら今度はALOHAがこのグレード。これなら何とか見栄えも保てるし大きさも丁度良いのね。これでハワイの民芸品チックな小物を作れそうな感じになって来たのね・・・。

って事を話を戻すと、本来はこっちが先なのね。

数枚残していたんだけれど、もしこっちを終わらせていたら?終わったけどどうする?ってプレッシャーが掛かる。でも終わらせないで、次をこうして用意して、安心を手に入れてからの・・・張り終わりってのは、箸休め的にもなるし、

充分に気分転換にもなる。しかも次の用意も出来ている訳で。つまり順番にとらわれなくても、仕事では難しくても、自分の作品の場合、臨機応変で、ルールは自分で作る訳で・・・こうしないと・・・こうするべき・・・みたいな縛りはいらない。

ただね、ルール通りに生きて来たさくらに、ルール無用は、フェスの先頭にいきなり連れて来られたようなもので、乗る事も出来ないし、キョロキョロして何が何だか?ってな具合になりがち。ただいくらか慣れては来たようだけど・・・。

でもまだ体調に寄って、あっちをやろう・・・って言うような気にはならず・・・じゃあそう言ってよって感じなんだろうけど。でも困ったって経験値も経験なんで、それもまた勉強になるし・・・まぁ気持ちが折れては困るが、しなやかに曲がっているくらいだと良いんだけれど・・・。


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出張デイ・サービス教室

2021-07-20 07:22:29 | デイ・サービス

今日は月に一度の出張のデイ・サービス教室。色んな事を考えて変更したサンプルだったのね・・・このかき氷。例えば、いつものように色んな色が入っていると、シロップとして判りづらくなるし、でも既にランダムで入っているぺきぺきの選別もいかがかな?

とも思う自分側の問題に、タイルを切るって事がかなり難しくなって来た・・・って、やる人側の問題も踏まえて、そんな気がしたのね。だから切る事を半分にして、シロップは1cmタイルで・・・と。ただそもそもカキ氷にすると、シロップ的に

赤のイチゴ、緑のメロン、黄色のレモン、青のブルーハワイ・・・こんな感じになるから、最低限の選択は出来るし、多少は同じ仕上がりにならなくなるかな・・・って思ったりして。基本考え方としては、同じもの同士にならないように・・・

を目指しているのね。それは参加した人が、上手いとか早いとか、美しい事とは別の次元の話をされると、正直それなら何しろ簡単だけを重視すれば良いし、でも余りに早く終わっても手ごたえも無ければ、それもいかがなものか?と思うし・・・

何しろ、誰かに見せた時に話が膨らむようなものが望まれると。出来れば、その作品を欲しいって言って貰えたり、自慢出来たり、次は何作るの?なんて質問されたり・・・出来れば作った人が報われるような仕上がりなんてのも考えたりする。

その1歩目が、同じように見えない・・・比べずらい・・・そんな事にこだわったりする。だから、正直、今回はかなり難しいかな?とは思っていたのね。何しろ個性が出しづらいからね。

結果はこんな感じで10名。やはりサンプルがいちごの赤だった事が影響したのね。6人が赤だったのね。そんな中、1人青を選んで、かなり目立っていて、良いんじゃないの・・・と思っていたら、まさかのこれ私の?って・・・。

どうやら自分は赤を選んだつもりだったらしく、でも一人一人に聞いて渡しているから、間違いは無いんだけれど。まぁ色んな事が起きたりするのね。ただ仕上がりとしては、一見同じようではあるんだけれど、張り方1つで大きく変わる。

例えばきちんと張った場合、目地幅が無いから色がハッキリする。逆にきちんとしていない場合は、目地幅が広くなるのね。そこが狙いだったんだけど・・・四角い1cmタイルは、斜めに張った時点で、目地幅が広くなるのね。

だから白目地を入れると隙間は白くなる。だからシロップがまばらに掛かったように見える。もしこれをぺきぺきにしてしまうと、みんな何とかピッタリ入れようとしてしまうだろう。このピッタリを目指す事が難易度をアップさせてしまうのね。

勿論時間がエンドレスならそれも良いが、仕上げまで2時間弱。恐らく1時間ちょいが制作時間。だから、この斜めに張るって言うのは結構良い作戦だと思ったんだけれど・・・10人を廻ると、困っている人がいたりするのね。

そこでこんな感じに・・・なんて事をしていると、ほんの数分眼が行き届かない事があって、そしたら最初に配ったタイルが足りない・・・って思ったんだろうね。置いてあった1cmタイルの容器から勝手に取って赤だらけにしちゃったのね。

何度もそれはシロップ・・・全部張ったらシロップだらけになるよ・・・って言ったんだけど。勿論、白いタイルも同じで、ついつい裏を張ってしまったりもする。良くある話なんだけれど、角度が裏の方が入るなんてパーツの時があるのね。

これは初心者あるあるで、切って入れる事に夢中だと、入った・・・で喜んで張っちゃうなんて事が多々ある。しかもお母さんだったとしても、見間違えなんて事もあるから、細かくすると余計そんな事があったりするのね。

まぁ色々あるにはあったが、掛かった時間で考えると、最近の数回の中では一番早く終わっている事を考えると、これを基準にサンプルを考え直した方が良いのかも知れない。それが、参加される方が半分くらい初めての方になったのね。

まぁこちらは初心者なんで、どんな具合か?は未定なんで、おいおいになるが、常連さんって感じの名前を覚えている方が、段々とあんなに切れたのに・・・って思う位になったりして。たった半年くらいで・・・。

そうなると、この位は大丈夫・・・って思っていた事が、上手く回らないと、全員初めてみたいになると、流石にヘルパーさんと2人では厳しいのね。そんなだから、あれこれと毎回考えているのね・・・質では無い事も・・・。

あんまり無理せず、そこそこの結果・・・そして心も体も怪我せず無事に・・・まぁ毎回勉強なのね。

 


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中学生教室2組

2021-07-19 07:37:37 | モザイク教室

今日は午前と午後の中学生教室。最初はぺきぺきで作っている子から・・・何しろネタばれしないように見せるのが難しく、前回何処アップしたっけ・・・になるんだけれど、モチーフによっては、何処を写しても判っちゃうものもあって。

今回の2人は中々壮大なスケールの構想で、何か思い付きってモチーフの決め方じゃ無いので、あれこれと作らないとならないのね。例えば、メインがカレーやパスタなら、1点に集中って感じになるけれど、そこそこ気取った御膳となると、色んなモノが必要になる。

それが今回二人共、御膳って感じのモチーフなのね。だから、これが朝の御膳なら、魚がいて、たまご、のり、みそ汁、小鉢・・・って具合に色んなモノが必要になる。それを魚の種類、たまごも生のままなのか?出汁巻きにするのか?とか、

みそ汁の具は?って感じに、同じお題だとしても、考え方1つで大きく変わって来るのね。そこを決めるのは自分達だし、こちらとしては、やれる時間からして、どれだけの事が出来るか?とか、それをやるにはどの位の時間が掛かるか?の予定を立てたり、

単なる技術指導だけじゃ無かったりするのね。そんなこんなで話は戻って、だいぶぺきぺきに慣れて来たのね。だから、もうこうして切って・・・とか、こうして張って・・・と言わなくても良くなったのね。こうなると、どんな形が適切か?

みたいな話が出来たりする。そんな中、見なくても上手くなった・・・と判る話が、後ちょっとだったのに・・・とか、欠けちゃうんですよね・・・とか、そんな事を言うようになったのね。まさに上手くなった証拠なのね。

そもそも最初良くある話は、切れるのかな?の不安の中、数枚切ると、あっ切れる・・・と安心する。こんな事が普通なのね。それが手慣れるのなら、楽勝な感じになるのが順当なのに、手慣れてから、欠けちゃうなんて言う事になる理由は、

こだわりのパーツを切るようになったからなのね。勿論、言わないで、楽勝って終わるのならそれはそれでも良いのね。ただそれは終わった・・・って作品になるだけなのね。例えばさっきの御膳の話に戻ると、たまごは生のままと、焼くのでは手間が違うのね。

焼くってどう焼く?ってこだわりが増えて行くのに対して、そのまま・・・つまり狙って切らなくても、割っただけでも作れるのだから、どちらもモザイクです・・・なのね。ただ、どう違うか?はやればやるほど判るものなのね。

まっ、これだけの丸を特訓のように切れば、タイルを切るって行為に慣れるモノで、この位になると、先日の話のように、ストライクばかりを投げずに、狙ってボールを投げるようにする・・・って意識しないと、全部ちゃんとになってしまうのね。

いずれにせよ、次回あたりが1回目のヤマかな・・・そこがこの先どうしようか?の判断する所になると思うんだけど。そんなこんなの午後の子は・・・

こちらはリップルで立体なのね。これはモチーフがリップルに合っていたからなんだけれど、立体は平面と全く違うのは、下地の段階でそれに見えないと、いくらモザイクが上手くても、そこそこの見栄えにしかならないのね。

まっ簡単に言えば、幼稚園の子が作った下地に俺がモザイクしても、グレードは上がらないみたいな話。つまり平面なら、コピースタートも出来るが、立体の下地をそこそこのグレードにしないと、この先辛い目に合うって事なのね。

ただそこはクリアーして、こちらも切る張るって事に慣れては来たものの、何しろ立体に張る行為の難易度は高いし、量も多いから、そこそこ果てしないのね。勿論、これだけを完成させても十分作品として問題無いのだけれど、構想的に、

物足りなさを感じてしまうだろうね。例えばカメです・・・はい見えました。良く出来ましたなのね。つまりそっくりに見えるのを目指す・・・この場合は、工芸品になるのね。それでは泣けないしね。感情移入が出来ないから。

それを芸術側にするには、浦島太郎の1コマ的に作ると、いじめから助ける場面なのか?竜宮城に連れて行って貰う海の中なのか?みたいな場面場面で、登場人物が増えるし、陸なのか海の中なのか?も問われる事になる。

それにしたって、そもそも浦島太郎って話を元に作ったのだから、オリジナルからは遠い。それを例えば、子供の頃に買って貰ったミドリガメが、あれから10年で20cmになってたとするじゃない?って事は、100年で200cmになっちゃうかも。

みたいな発想で、作ったとしたら?同じモノでもストーリーがあるのね。想像するって言うのはこんな事だったりすると、見た人が感情移入した時、工芸品とは全く違うものになる。これが芸術性なんてものに変わった瞬間だと思うのね。

そうね、そもそもが労作展の趣旨がいかに?ってのが問われるし、そんなの単なる宿題じゃんって言うのならねその程度のものを提出すれば良いのね。だから黄身がプルンとしなくても、たまごはたまごって感じで良いのね。

それはそれで結果を受け入れれば良いだけだから。でももしやる気側でやろうとすると、えっ?って思うような、有り得ない凄いモノがごまんとあって・・・何処を目指すのも自分の勝手なのね。そうね受験と一緒なのね。

高校なら何処でも良いって言うのなら、スーパーのたまご。でもこだわると、生みたてとか、ブランド、産地、保管の仕方、料理法、単なる卵掛けごはんでも、醤油にこだわったり・・・キリが無くなる。

何でも同じなのね。その人が何にどうこだわるか?になる。まぁ無敵なら一夜漬けって手もあるし、誰が見てもお母さんの趣味で作ったものを持って来たな・・・ってのも毎年あるし、証拠も無いからそれはそれでも良し。

ただ、一生懸命作った奴と同じ場所にあるのはどうかな?と思うけど・・・それは個人的な意見。いずれにせよ、俺は折角俺の所に来てくれたんだから、その子の描く、それ相応の形に持って行けないと・・・って責任はある訳で。

それと労作展は制作日誌があるのね。これはモノつくりに集中すればするほど、詰まんないし、めんどくさいし、最後適当にやれば、作品は凄いのに・・・になりがち。そう言う点では、そろそろそっちも気に掛けないと・・・。

7月も終わっちゃうしね。そんなに時間はある訳じゃ無いし・・・。


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プルメリアのモザイク

2021-07-18 02:16:53 | モザイク作家

今日は1日プルメリアのモザイク。まぁ何しろ作るってだけなんで、広がる話も特に無いんだけれど、ちょっと思う事があって・・・それは昔から思っていた事なんだけれど、例えばユーミンや布袋さんが、まだ日本が洋楽が流行りの頃、つまりアメリカ音楽の全盛の頃にイギリスの音楽を聴いていたり、

達郎さんのように5.60年代の音楽の影響を受けていたり、まだネットが無い時代に宮崎駿さんが、その道の長けていないと絶対に知られていない場所だったり、動物の名前やら、一般の人が知り得ない情報を持っていたりしていたのね。

こんな感じに人よりも前に行く人達って言うのは、人と同じなんて事を選択していなかったりする・・・って前提で、じゃ俺も・・・とやろうとしても、普通は基本なんてもんが欲しくなるから、昔は海外のモザイク本を見たりしたのね。

でも、それって当たり前の事で、普通なのね。それで・・・?ってだけの事なのね。そこで結局、たどり着いたのは、モザイクやるのに、モザイクなんか見てても何ら変わらないって事になったのね。だから、ネットがいくらか使えるようになっても、

余り人のモザイクを見る機会が無かったのね。そして最近、インスタを始めるようになって、人のモザイクを見る機会が増えたのね。これはこれで、モザイクを職業にしているのだから、見つけたら、いいねは押したりもする。

そんな事をしていると、いつしか海外のモザイクの人達も見る事になり、そこもまた、いいねを押したりしていると、ちょっと思うのは、それで・・・?なのね。これがね、難しい話なんだけれど、ネットってね、使う奴がしっかりしないと、

頭が良いんだか?悪いんだか?何しろ気が利くんだか?利かないんだか?って感じなのね、俺はね。例えば昔だと古本屋に行くと色んな本屋さんがあって、動物、植物に特化していたり、洋書だったり、芸術だったり・・・分野があって。

そこを選んで入ったのね。つまりパソコンでも、同じで何を探したいか?はっきりしていれば、簡単に見つかるから便利なんだけれど、何かお店で偶然見っけ・・・みたいなレコードのジャケ買いみたいなものが無いのね。

もっと言えば、無かったのね・・・今までの俺には。何しろ使い方が不慣れなもんで。ただね、言わせて貰うと、そもそもこんな話なのね。つまりお母さんが何食べたい?って聞いた所でね、料理に詳しかったり、食べる事が好きならね、

じゃあれ・・・みたいに名前が出ると思うのね。けどね、モザイク以外に余り触れて来なかった俺では、ありきたりの名前しか出て来ないのね。カレーにシチュにとんかつに・・・ってこれでは、新しい事のきっかけにならない。

って言っても、カルチャーでのお教室内にあったりする分野位は、割と知っていたりしても、そんなメジャーな場所にあるようなものは、既にもう流行っていたりするもので、ユーミンの例えからしたら、イギリス音楽を知っているって、

ビートルズって言っているようなもので、逆に知っていない方がおかしくなる。そうじゃ無いのね。もっとマイナーな・・・いやもっと言い方を変えれば、まだ日本では知られていなかったりするもの・・・。って感じの。

それが今の80年代のシティポップが外国で流行っている・・・って現象だと思うのね。当時高校生だった俺が聴いていた、杏里さんとか、角松敏生さんとか、松原みきさんやら、達郎さんに竹内まりやさんとか・・・。

これらは海外の音楽を取り入れて、当時お洒落だって聴いていたものだけど、当然、40年以上も前の音楽だから、古臭く聞こえるべきなんだけれど、当時その人達は、海外の音楽に影響を受けていた・・・それが日本では埋もれて行く。

もっと言えば、コアなファンが聴き続けているか、懐かしいとして聴かれている程度に・・・ただ今のネット社会では、それを海外の人達が簡単に探せて聴けちゃうのね。そしたら聴いた事が無いのに、自分達の国の音楽に似ている・・・

しかも日本語で・・・良く判らない言葉で・・・まるであの頃の俺のように。それはあの時の俺よりも受け入れやすいのね。だって自国の音楽に似ているんだもの。こうして売れた事の仕組みは判ったのね。自分なりに。

だから仕組み的には、モザイクって分野は、海外のもので、しかも海外の人達のモザイクはタイルのパーツが何しろ大きい・・・つまり俺のモザイクは繊細に見えるはず・・・しかも今まで余り影響を受けずにやって来た・・・。

相当変わっているように見えるはずなんだけど・・・。若冲の時代のように見つからないかな?・・・海の向こうにまさかのモザイクやっているおっさんがいて、自分達のモザイクとは違っているんだけど・・・でもモザイクだってね。

そしたら、真夜中のドアや、プラスティク・ラブみたいになれると思うんだけどな・・・。まっ、それはそれとして、あの頃のアーチストさん達のように、海の向こうの人のテイスト頂かないと・・・1つ見つけたから、やって見ようと、

ホームセンターへ買い物にも行ったのね・・・上手く行くと良いんだけれど。


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ローラ教室とプルメリアのモザイク

2021-07-17 08:01:47 | モザイク作家

今日は午後からローラ教室。自宅で進めているんだけれど、1cmタイルの水色の縁取りをやって来たのね。これだけ安定した幅で揃えられるようになったのかぁ・・・が素直な感想で、かなり上達して来た感じがある。

そもそも余り上手くない状況の場合、先生が横にいるアトリエの場合、すぐに聞けるし、常に見られている事で、ちゃんとしなきゃ・・・と意識が働くのね。そうすると、大抵は誰でも自分の感覚よりも上回ったちゃんと感で進めるのね。

でもそれを持って自宅で進める時に、俺の眼は無い事で、あぁ楽になった・・・とアトリエよりも楽な気持ちになった場合は、当然そこに俺は出て来ないのね。つまり指導的な事は薄まる。この薄まり方が作品に左右される事になるのね。

全く出て来ないって事は、全く前回の指導は出て来ないって事だから、当然質は上がらないし、楽に進んでいる分、ペースも上がるだろうが、量で満足出来ても質が下がるのだから、何か・・・って気持ちになる可能性は大きいのね。

これがいちいち俺が出て来ちゃう・・・こんな場合は、やれニッパーの持ち方だったり、バイクに乗ってる・・・これは指導の時に言われる事の1つで、脇が空いている事だったり、小指は柄のギリギリなんてのもある。

こんな切る前の動作だったり、タイルの持ち方だったり、成功パーツを基準にする為にそばに置いて、見ながら切るとか、単純で当たり前の事だけど、何しろ最後はそれって美しい?って自分に問い掛ける・・・そんな事の繰返し。

ただね、確かにそれってうっとうしいのね。言っている方も言われる方も。だって楽しく無いじゃん。そう言う点では体験教室ってこんな事言わなくて良いし、出来たら嬉しいし、続ける前提って訳でも無いから、くどい指導はいらない。

だからお互いに距離感があって、踏み込まないし、踏み入らない・・・これが個人レッスンとなると、こうしたい、あぁしたいとやりたい事は難易度がアップして、それが上級者ならともかく、始めたばかりで要望が多くなったりする。

まぁ当然なのね。金額も時間も全てが増えるのだから。それと同時にやる気だって違うのね。そもそもアトリエまで来る労力なんて、やる気以外の何物でも無いし、知らない所に行く勇気なんて、ハードルが上がるだろうし・・・。

そんな事を踏まえれば、何とか理想に近づけてあげたい・・・と思うのは、先生なら当然の事。ただ、上級者ならある程度の経験値で、自分のやりたい事の大変さを知っているから、簡単には出来ない覚悟があっての事なんだけれど、

初心者ってそんな事も知らずに、頑張ります・・・だけで、乗り切ろうとするのね。こんな場合、労作展のような強制力的なものが働けば別だけれど、一般的には、まさかこんなに大変だとは思わなかった・・・って事になったりする。

その時に頑張りますを同じように言えればまだしも、何もやっていない時の頑張りますって言うのは、逆に言えば、やり始めてたら、大変なんで頑張れません・・・って繋がって行くのね。良く言う事なんだけれど、頑張っているか?どうか?

なんてもんは、自分が使う言葉じゃ無くて、人が頑張っているね・・・って使う言葉であって、一生懸命なんてのも同じで、そんなもんも一生懸命やってたよ・・・みたいに他人さんの評価だったりすると思うのね。

つまりおてんとうさまが見ている・・・ってあれね。要するに見られていようがいまいが、同じ事なら良いのね。つまりアトリエの時と一緒ならね。その時に無理して頑張っている人は、無理からの解放になるから、自宅で楽をする。

けれど、アトリエでもこんなの無理って言う人は、自宅でもそんなの無理だから、安定して無理でしょ?ほら変わらない。それなら結果は一緒でしょ?そしたらずっとそのままで進んで行ける。それで終われば無理しなかった作品になる。

ただそれが1作目なら出来て嬉しいでしょ?でもね、何作もやるとそうも行かないのが、人の欲。上手くなりたくなるのね・・・増して何年も習っている事になれば、当然その努力が報われる事って、上手くなったって自覚・・・。

そうね、一見お門違いな話に聞こえるけれど、大きくは離れていないこんな話ね。例えば、仮に全くの素人がタイルを売っているのを見た。興味なしって人は、話に乗らないんだからスルーして、眼を引いたものは何?って想像して見て。

例えば色だったりすると、全50色。おぉ綺麗ってな事にならない?これはモノ作り好きな人にはたまらない魅力があるでしょ?じゃ例えば形。ハート、クローバー、丸、葉っぱにランタン・・・こうして形が眼を引く事になるでしょ?

じゃみんなひっくるめて、同じ値段だとする。何が欲しい?・・・それをそんなの人の好みだから・・・って反応が鈍い人は置いといて、自分だったら?って事になると、何かそれに決めた基準があるのね。自分が気が付かずにね。

例えば、四角いタイルを中心に買う?それとも色んな形を買う?大抵は素人なら色んな形の方を選ぶだろうね。だって可愛いし・・・四角は普通だしってね。増して同じ値段なら特にってね。この文章に当てはまる場合、まず最後の同じ値段なら・・・。ここ。

お得な方って言っている感じしないかな?四角いタイルよりも変わった形の方が高い感じがする・・・そんな匂いのする文章。つまり何も知らない場合は、即使えて可愛いとなると、形の変わったものが使いやすいのね。

だって1枚張っただけでも可愛いから、ピヤス、画びょう、ピン止め・・・1枚でも簡単で使いやすい。けど四角いタイルは?となると、1枚張っても可愛くない・・・つまり更なる工夫をしないとならないから、考えないとならない。

では四角はダメか?となったら、沢山張れば可愛くもなる。それが箸置き、フォトスタンド、机なんかの縁取り・・・ほら1枚の時とは変わったでしょ?つまり使い方で変わって来るのね。ただ問題はこの後なのね。

例えば3000枚1cmタイルを買ったとする。えー凄い量と思うだろうが、3m分とするなら、普通の食卓のテーブル1周分も無いのね。一体張るのにどれ位の時間が掛かると思う?まさか何年も・・・とは言わないでしょ?

つまり初心者でも、ただ数の多さに、料金にビックリはするだろうけれど、いざ張って見ると、左程時間も掛からず終わってしまうのね。もしこんなペースで、張るだけのモザイクをやって行ったとしたら・・・1年も掛からず家の中はタイルだらけになる。

しかも1年も掛からずに・・・って事は、上手くない状況で終わってしまうのね。これが失敗の原因なのね。ちゃんとじょうずに進めれば、上手くなるのだからじっくり行かないと・・・そうすれば素敵な物だけ手に入るのだから。

それを焦って早く作りたい、ノリで今すぐってやればやるほど、飽きるのも早い。中々、そんな事を教えてくれる人はいないし、俺すらも習っていないのね。ただ手狭なアトリエで活動していれば、自然とそうなっただけなんだけれど。

話は戻って、要するに張るだけって言うのは、大抵は好きな色を選んでいる時が楽しいだけで、楽しく張っておしまいのスタイルだから、楽なのね。つまり楽を楽しんだのね。勿論、それを楽しみ続けられるのならそれも否定はしないのね。

ただ、そこに習い続ける魅力を感じるか?とか、お金を払えるか?となると、話は別になると思うのね。つまりどうしても切るって技術が欲しくなる・・・。まっ、包丁使う料理と使わない料理って言う話ね。

そこに更に味付けなんて話も加わるから、人が奥深いなんて表現をする訳で。そう考えると、ローラはやっと切るって事に慣れて来たと思うのね。俺が見ていなくてもこれだけの安定感。この幅を一人で揃えられるようになったのは大きい。

それは技術もそうだけれど、気持ちの問題なのね。それって美しい?・・・それが出来るようになったって事なのね。こうなると、ようやく本気で技術指導が出来るのね。この包丁の使いっぷり・・・これなら味付けの話も出来るのね。

それと同時にストライクを目指すんじゃ無くて、ボールを投げる・・・こんな指導もあるのね。不慣れな時は基本に忠実に・・・となるから、うどん、きしめん、そば・・・じゃ無くて、どれかに絞って、均一にになる。

キャベツの千切りじゃ無いから不揃いでも・・・なんてのは美しくないのね。それを不慣れな時に、味なんて言う人もいるが、それは味じゃ無くて不慣れだから下手なのね。味ってのは上手くなった人の技術の事だから・・・。

話を戻して、そうやって慣れて来ると、ローラのように均一になって来る。しかも、俺が見ていようがいまいが。それは完全に身に付いた技術なのね。例えばお母さんが横にいて料理が出来た・・・じゃ無くて、1人暮らしで作った料理。

しかも同じように・・・いても居なくても。ほら上手くなったって感じでしょ?そうしたら、見に付いちゃったのね・・・何が?ちゃんとが・・・。ちゃんとが、ちゃんと見に付いちゃったのね。そうなるとどうなるか?ちゃんとしちゃうのね。

何もかも・・・。何が悪いの?消して悪くは無いのね。ただ融通が利かなくなるのね。きちんとちゃんとが普通になっちゃったから。下手の時はルーズが普通だったって事なのね。つまり相当きちんとしないと、普通で良いよなんて言ったら、

とんでもなくルーズになるのね。それがこれだけきちんと出来るようになると、基準値が相当上がったのね。つまりこれが普通になったのね。そりゃ美しく見えて当然なのね。所が、その弊害もある。それが基準値の高さ。

例えばオールスター。何でも良いのね。思い浮かべて。例えば180以上ある人達の集まり。179だと小さい?数字を見ればね。でも実際は判らない。じゃ185では?恐らく余り変わらない。ほらこんな大きいと200以上無いと群を抜けない。

これではメリハリは付かないのね。つまりきちんと、ちゃんとが身に付くと、相当意識しないと、150なんて入れられなくなるし、どうしても200が欲しくなる・・・もうきりが無いし、果てしない。そうじゃ無くて、この位まで来たら、ボールを意識する。

150を切る。美人の中に子供を入れたり、お婆さんとか、狙って入れる。こんな意識を持つ。そんな意識を持ってからの、バックはコロにしたのね。理由は簡単。クラッシュで入れるから、コロは数mm大きいから、持ちやすいし可愛い。

しかも大きい分、クラッシュにしても切り落としみたいには見えない。そんな中、今の考え方を意識すれば、クラッシュが切りやすくなるはずなのね。きちんと狙ってきちんと切るのでは無く、きちんと狙ってルーズに見せる。

偶然では無くて、必然でね。そのさじ加減に今度は慣れる事。クラッシュのコツは、同じ形や四角くしない。いびつ角形。慣れたらなるべく大きい形にする。コロは角が無いから、切りっ放しにせず、軽く面を落す・・・

後はあみだくじみたいに。こんなのが思い浮かべば上手く行くはず。次回はどんなになって来るか?楽しみなのね。そんな後はプルメリア。

結構掛かっているね。


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プルメリアのモザイクアート

2021-07-16 07:44:44 | モザイク作家

今日はプルメリアの小物・・・って言ってたけれど、流石にこんなに時間が掛かって来ると、小物とは言えなくなって来たのね。まぁ経験者の人なら判る話だけれど、今使っているぺきぺきってタイルはとても柔らかいのね。だから切りやすい。

ただ良い事と悪い事は背中合わせで、柔らかいって言う事は、もろいと言う事。つまり繊細な形に切ろうとすると、途中で欠けてしまったりするのね。これと並行に、どんな時?って事になると、ぺきぺきの大きさが15cmx7.5cmなのね。

だから大きなパーツを切れるのね。そこで大きく細くとか、大きく鋭利な角度とかになると、そう言う事が起こりやすいのね。これとは逆に、1cmタイルとか、ガラスタイルとなると、既に決まった小さい四角い形からスタートになる。

だからその四角いものをどう切るか?なのね。しかも硬いのね。この違いでどんな事が起きるか?となると、仮にこの波を四角い小さいタイルやガラスタイルで作ったとすると、恐らく台形に切って繋ぎ合わせるって事になると思うのね。

では四角いものを台形にとした時、両サイドを斜めに切る事になる。この場合、2か所を切った事になる。でもぺきぺきの場合、まず大きなタイルを何と無くの大きさに切る。そこから使う形に切って行くのね。つまり全辺を切る事になる。

柔らかくて切りやすいけど、けどね、もろくて全部の辺を切らないとならないのだから、こうして波にするってのはどこもかしこも合わせようとすると、時間が掛かるのね。所がそれをクラッシュって言って、どんな形でも良いけど、色合いごとのブロックの中の輪郭だけを守る・・・

こんなルールだと、初めての人でも出来たりするのね。ただその差はテクニックの話なんで、経験者じゃ無いと判りづらいのね。これを踏まえて、当然上手くなって行くと、ぺきぺきは何だか初心者のものみたいな気分になったりする。

ただそれも判るんだけれど、最近何個か作った、300角でのタイルonタイルって作品の中に、プルメリアあったでしょ?大きさは似たようなモノなのに、このぺきぺきの方が時間が掛かっているような気がしないかな?

つまり、作り方こだわり方1つで、例えぺきぺきであろうと、時間は掛かるし、難易度は上がる訳で・・・。ただ理不尽なのは、どうしてもぺきぺきの仕上がりは可愛くなっちゃうのね。どんなに精密に切ったとしても・・・。

ここが是正出来ると、ぺきぺきの見かたも変わって来ると思うんだけれど・・・。きっとどちらでも見る人からしたら、一緒になっちゃうんだろうし・・・まぁ何しろ何でも一緒なんだけれど、売り手と買い手みたいな関係性で考えると、

一般的には、新車、新築、新曲、新メニュー・・・って提案側としては、どれも良かれとして発表する。きっとどれも検討に検討を重ねた結果だろうから、最新の提案となる。しかも同じ分野にライバルがいて、値段をも切磋琢磨する。

これがタイル屋だった頃なら、スバ抜けて巧い訳でも無く、恐ろしく安い訳でも無く、丁寧だった、あてになったって言うような、同業者にしか判りづらいものでしかアピール出来無かった頃と比べれば、こんな悩みが出来る事が良い事。

何をどう改善すれば・・・とか、最新なんて事の提案が出来るって言う発信が出来る権利があるって事自体、チャンスがあるって事だったりもする。それは事実で有難い話なんだけれど、どうして?何故?って言う事の繰返しは疲れるモノなのね。

そんな中、最近インスタを始めた事もあって、海外の人からフォローされたりもしていて、こちらも相手の作品を見る機会があって・・・木を扱う人達のを結構見るんだけれど、ビックリするのね・・・凄いわっ。

以前、木は日本の文化だと思っていたけれど、やっぱり世界は広いのね。正直、えっ・・・って愕然って感じに思えたけれど、けれどね、って事は、モザイクは海外のモノって思っている世界の向こう側の人達に、今度は日本にもこんな奴が・・

って思われれば同点だわって思ったりもする。これはどう思われても良いんだけれど、大抵は大口叩いて・・・って人達なのね。少なくとも以前俺の身の回りの人はそんな人ばかりだったのね。でもこれでひるむと、ガラスの仮面にはならないのね。

それでは当たり前の予定調和しか起きないのね。有り得ない事にするには、身の丈身の程って事に潰されちゃダメなのね。それにはきちんと整理して考えないとならないんだけれど、それにはまず、自分を知るって事が月並みだけど必要で。

ただその月並みの言葉では理解出来無いのね、普通は。大事なのは、自分が自信を持てる側なのか?持てない側なのか?から始めると判りやすいのね。もし自信が持てる側なら、大抵は親に愛されている自信を持っているから、中々諦めない。

そんな人は、えっ?どうして・・・何で?なんて言葉を多く使うと思うのね。ほら厄介な感じでしょ?つまり愛されている側の人は、こんな言葉で色んな事が上手く行って来たのね。だって諦めないんだもの。当然諦めないから結果が出る確立が上がる。

結果が出れば自信になる。これが良い事なら、悪い事は自信は知らず知らずに過信になる。それはやがておごりになる。つまりそうならないように・・・と自分を知ると是正が出来る。これが逆に、愛されている自信が無い側となると、大抵が、身の丈身の程なのね。

つまり何度もそんな事を言われて来たから、聞きもせずに自分で自分にストッパーを掛ける。無理だってね。しかも、そう言う回数が多かったから、危険察知能力が優れているから、明らかに出来る事の方へ行き、確立の低い事は選ばない。

こうなると、どうせ出来ないし・・・とか、無理ですよね・・・みたいな、結果を自分で決めてしまう訳で。つまりこっち側の場合、謙虚なんだけれど、行き過ぎると卑屈になって行くのね。この差は大きいのね。

方や無謀な事さえもチャレンジするから、大きな成功も得られる。しかも当然大きな失敗もあるんだけれど、成功の数が多いから、その失敗を引きずらない。ん・・・こっち側は、競馬の当たった話ばかりをするような感じね。

それが逆な場合、チャレンジはしない。安全安心に思われる事だけに、恐る恐る手を出す。これによって大きな成功も無く、大きな失敗もしないから、そこそこの成功が手に入る。こちらは競馬なら外れた話ばかりになる。そんな感じ。

勿論、もっと言い方を変えれば、そんなリスクのある賭け事はしないだろうけど。単純にどちらか?ってスタートすると、是正の仕方が判ったりする。ちなみに俺は後者の卑屈側の人だから、守っていたらダメなのね。

でもね、それがそう簡単には直らないものなのね。ただきっかけと言うのなら、考え方として悪いイメージが出て来るのだから、それと同じように良いイメージも出来るとバランスが良くなる。当然前者の人側も同じで、良いイメージが出る分、

失敗するってどんな事?なんて思えると、大きな失敗が小さな失敗で済むかも知れない。ただ厄介なのはこうして是正をしてしまい過ぎると、大きな成功を収める人は大きなリスクを抱えるモノなのに、小さなリスクにしてしまうと、大きな成功では無く、小さな成功になってしまう。

それが逆の場合は、今まで成功したと思っていなかったりすると、何故成功して来なかったか?の理屈が手に入るから、わずかだけれど、成功事例が手に入る事で、小さな喜びの自信が手に入る。このきっかけがやる気に繋がったりする。

これは簡単な理屈で、その分野が成熟していないからなのね。例えばサッカー、野球なら、はっきり目標の人物がいて、上手い、凄いが判りやすく、人口も多いから比べられるし、切磋琢磨も激しくなる。

でもそれがもし、セパタクロー、カバティ、ラクロス、そしてモザイクとなると、人口が少ない分、比べるモノが少なくなる。ただ少ないと流行らない分、そこから無くなるかも知れない訳で・・・。

そうね、発信する側になるってのは、先駆者として責任があるのね・・・簡単に出来てしまう、こんなもんか・・・そんなものばかりだと、簡単に飽きられる。そうして消えて行った分野を山ほど見て来た。

先生なら、教える事が上手く、出来るようになって、上達したって思えたりするようになったり、そんなのやって見たいって提案が出来たりするものだし、作家としてなら、素人とは全く違うぶっちぎり感を出さないとならないし・・・。

とは言っても、テクニックなんてある程度の練習で何とかなっちゃうもんだし・・・それは労作展見れば判るでしょ?例え初めてでも、200時間位あれば、立派に見える作品になるってね。ただね、プロってのは売ってなんぼなのね。

プロが200時間掛けたものは一体いくらなの?ってな話になって来る。タイル屋さんのような職人さんなら、8時間で2.3万稼げるよ・・・じゃ200時間なら?って事なのね。でもここが違うのは、作家なんてのはあっても無くても良いのね。

もし認められれば神扱いにもなるし、認められなければゴミになる。そんな世界。タイル屋ならゴミにはならずに済む。しかも下手だったとしても、いくらかにはなる。実績が小銭に変えられる。それは必要な業種だから。

そっちにいれば、営業もしなくて良いし、ただタイルを張るだけで良かったけど、大博打を初めて選んだのね・・・この仕事で。だものそう簡単じゃ無くて仕方無いのね。ただ何も考えずに指くわえてんのは嫌なのね。

やっぱストライカーなら、虎視眈々と常に狙って無いと・・・。ただどっちかって言うと、キーパーなんだけど・・・そんな事を考えたりする1日だったのね。何件かの電話に出て・・・。

 

 

 


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リピータ―さん教室と棟梁分と体験下地作り

2021-07-15 07:35:20 | モザイク作家

今日は午前中はリピータ―さん教室。その前に画像は撮り忘れなんだけれど・・・ちなみに外に駐輪禁止の看板を作りたいとの事で、アルミ板を買ってあったのね。しかしボンドが外用とか、色々考えちゃったのかな・・・?すると、木でも良い事になり・・・

急きょ下地作り。ただ40cmもあると、いつもいつもある訳じゃ無いんだけれど、それがあって、それなら単なる丸なんで、スイスイと作れるのね。ただある意味、片付けの方が大変って感じなのね。木っ端が出るからね。

そんなこんなで禁止のマーク作りなんだから、車の運転している人なら判るだろうけれど、赤い縁取りに斜線みたいな感じなのね。だから1cmタイルで縁取りをしたのね。ただ下絵を忘れちゃったらしく、自宅で写すとの事。

そんなこんなで次回から本題に・・・。そんな中、問い合わせがあり、内容はタレントさんが体験をする取材って話なんだけれど、どうやら来週のデイ・サービスにダダ被りなのね。ん・・・そちらの予定より1時間早くして頂ければ何とか・・・

みたいな話になったんだけれど、折り返しの電話で流れたのね。正直、最近そう言うの無いし、刺激としても良いかなとは思ったけれど、デイ・サービスを辞めてまでやる事じゃ無いな・・・と思ったのね。そもそも1週間を切っている緊急な話。

それでも1時間の変更も無理って言う状況では、折り合いが付かなくても仕方ない。ただね、こう言う話って、例えば100万円貰える・・・みたいな例え話なのね。例えばいきなり100万円貰える事になった・・・これはえっ?って嬉しい。

それはそんな事考えていなかったから。でも逆に貰えるよ・・・って言われてからの取り消しだとしたら?同じ何も無かった話なのに、ショックは大きい。それは期待してしまったから。こんな事が目に見えない気分の話。

今回は正式に決まった話じゃ無いから、そんな気分は少ない。ただ心のどこかで、やっぱデイ・サービスを中止にして置いた方が良かったかな・・・って気分が残る。それを0にするほど大人じゃ無い訳で・・・。

こんな時には丁度良いのね・・・下地作り。さっきの丸では、どんな時でも恐らくそんな大きな失敗はしないだろうが、彫るとなると、そうは行かない。何しろ毎回ほぼ1点モノだったりするから、慣れる事が無いのね。

しかも丸なら丸くないと駄目ってだけで、それは丸いか?丸く無いか?って話だから、根本的に誰でも判りやすい。けれど1点モノの場合、出来てからどうか?って事になる。何しろ比べるモノが無いからね・・・。

そんな丁度良い緊張感は考える事を忘れられるのね。夢中でやらないとならないから。そんな事を踏まえて・・・

ってこれが完成なんだけれど、もう1つアトリエ用の体験用サンプルも作ったのね。それがこれ。

例えば誰が見てもヤモリの方が難しく見えると思うんだけれど、このモンステラも狭く細くなった部分は難しかったりするのね。つまり難しさの量の話なのね。簡単に言えばヤモリが10難しい所があるとしたら、モンステラは2みたいな。

例えば文字なんて、接近しているから、あっ・・・って言ったら、文字が繋がってしまうのね。当然、指とかも同じなのね。逆にモンステラの場合、真ん中の葉脈を残さないとならないのに、途中で欠けちゃったら・・・って話。

まぁこんな事を数時間やっている最中は、他の事を考えずに彫る事に集中する事になり、今度は夜にモザイクをするって事になると、このモンステラのクラッシュに全集中はしずらい・・・何しろサンプルは突飛な事よりも普通にと思うから、当たり前な色になる。

それなら緑っぽいのを用意したら、後は輪郭に沿って切るだけ。ここに大きな失敗は、丸く木を切るって言うのと同じで、恐らく少ない。つまりその余裕な分、考える・・・って事の時間を作ってしまうのね。

勿論これが大作なら、その余裕な時間を作って、考えながら進むなんて有利な事になるが、逆に自分の力量以下のモノの場合、制作が楽になり手応え無く終わる事になる。当然満足度は少なくなる。ってここまでは、ただの自分の気持ち。

所がこうした1点モノの下地の場合、必ず気に入ってくれるとは限らないのね。たまたま、いつも気に入って頂いているだけで、今回もまた・・・とも限らない。これが丸や四角なら寸法通りかどうか?だけ。それが楕円となると、きちんとした絵が無いと、人それぞれになるのね。

だから難しさは大幅に変わるのね。何しろ単なる好みだから。そんな事を踏まえて、ヤモリの表札って言葉で作るってのは中々難しく、ただ棟梁との付き合いの中で、好みをいくらか知っている・・・それを踏まえての制作になるのね。

しかも出来れば1点モノに・・・と思うから、デザインもいくらか変えて・・・と下絵からやる事になるし、こちらとしても練習って言うのは何だけれど、出来れば良くも悪くも次の何かに繋がるきっかけになるような事をして見たいとも思うのね。

まぁ欲張りと言えば、欲張りなんだけれど・・・。いずれにせよ、色々あったが、いつものようにやるべき事だけは終わっているのは何よりだったが、プルメリアに戻ると、刺激は少なく、進み具合が急激に悪くなったのね。

勿論、深夜ではあったけれど・・・。

 


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何だかあっと言う間に・・・

2021-07-14 01:39:22 | 休み?

今日は寝坊からスタート・・・まさかの布団も引かずに寝てて・・・どんだけ疲れてんだか・・・。ただ最近割と早く起きるようになっているので、何とか立て直し。そんな中、大谷さんがホームランダービーに出ている事を知って、ちょこっと見て・・・さてそれでは、と昨日の続きをしていると、

棟梁から連絡があって、下地の話・・・プレゼント用の下地を頼まれていて・・・それじゃと、下絵を描く事にしたのね。すると、更に追加の連絡があって、材料に関してのお得な情報・・・そこで急きょ仕入れって事になり・・・。

そんなこんなで帰って来ると、夕方になって・・・そんなこんなで、棟梁の下絵の続きをやって、更にかぐやが、アトリエ用の体験下地も必要って言う事になり・・・それもついでに描いて・・・。

これについては明日アップと言う事で。


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プルメリアの小物

2021-07-13 09:14:30 | モザイク作家

今日は朝からワクチン接種の予約の事で何だかんだあって・・・何とか予約日が決まって来週1回目を受けられる事になったのね。そんなこんなでプルメリアの小物となったんだけれど、悪くは無いんだけれど、ビックリする程の変化は無い。

ある意味、いきなりテーブルにしなくて正解って感じ。まぁこれはこれでやるとして・・・何かテーブルは別なモチーフにしようかな・・・って思ったりするのね。何しろ自由ってのが苦手で、好きにして良いって言う時に、例えば依頼品なら、

無理しても材料にこだわったりしても、頂ける金額がありきで進められるが、わざわざ取り寄せて作品を作れる程余裕も無いし、もっと言えば、こう言う自由な時は練習って事で、何か試すって感じになる。だから常に手持ちの中で・・・。

そんなだから今回買ったものだって、額に使った端材のみ。ただ、この大きさのぺきぺき作品は久し振りだし、それだけでも珍しいんだけれど、流石に新鮮さは無いが、初めて使っている色もあったりするから、何とかやっているんだけれど。

やっぱり刺激が足らないのかな・・・トラックの大きさからすれば小さいし、モチーフのプルメリアも近々の2度目。更にぺきぺき・・・良くロスなんて言葉があるが、まぁタイル屋さんの女将さんと言い、今回のトラックと言い、大作続きな事も

あるんだけれど、いずれにせよ気持ちの立て直しが必要な感じ・・・。


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中学生教室と新作小物下地

2021-07-12 06:32:56 | モザイク教室

今日は夕方から中学生教室。それまでは、デイ・サービスの下地の仕上げのペンキ塗りをした後、ちょっとやって見たい事があって・・・それは先日のテーブルなんだけれど、そこにプルメリアを作ろうとしているんだけれど・・・。

ただつい先日にもプルメリアを作ったのだけれど、床に使える様にとリップルを使ったのね。と一旦置いといて、最近インスタを始めたんだけれど、海外の作品を見る機会があって、傾向として大きなパーツで作っている事が多いのね。

まぁ簡単に言えば、一番小さくてガラスタイルの2cmから切っているのね。しかもあくまで一番小さくて・・・なんで、大きいパーツを取れるって事は、イメージとしてはぺきぺきで作っているような感じなのね。

そうなると、完成はステンドみたいな感じになるのね。それが支流となると、花びらに線が少なくて済む。そうね、もっと判りやすく説明するなら、プルメリアの花びら1枚を白と黄色の2パーツで仕上げるのと、10パーツ以上になってしまうリップルでは、雰囲気は大きく変わる。

これが葉っぱなら葉脈に見えたりもするが、プルメリアの花びらは、ツルンとして1枚に見えたりする。要するに細かいと上手く見えない・・・もしこんな感じに見えるのなら?その是正として、ぺきぺきでやると・・・って考えたけれど。

いきなり1点モノのテーブルで試すってのもね。そこで様子が見たいので、その下地作りから。先日ホームセンターの端材の中に見た事の無い木があったので、購入したのね。そんなこんなでこうなったのね。

そんなこんなでお教室。何しろ立体なんで張るだけでも難しいのね。きっと本人も何が何だか判らずにやっている感じだと思うのね。例えば木を作っているとするでしょ?でも葉っぱだろうが、枝だろうが、幹だろうが、ただ色を決めて切るだけになる。

最初はそんな事で精一杯。それが上手く切れるようになると、意識の問題になる。例えば、縦ボーダーと横ボーダー。そんなのどっちもボーダーじゃんって言う人は、キリンを作る時に、パーツを縦向きに張るのか?横向きなのか?なんて関係無しで張る。

けれど繊細な人は、どっちが良いかな?と考える。この差が大きいのね。人と違うなんて言うのを、ついつい目に見える事、つまり切り方としてのパーツが細かいなんてものを繊細としがちなのね。それは全く違うのね。

本当の繊細って言うのは、眼に見える事だけじゃ無くて、眼に見えない事を考える事なのね。これを普通は色に頼りっきりになるのね。だから、色を選んで後は切るだけ・・・みたいになる。これが普通の考え方になる。

これを繊細に作ろうとすると、例えば、キリンとかカラーやネギみたいにひょろっと長い特徴ってものを作るとすると、ひょろっと・・・って言葉に沿って、横のでぶっちょパーツよりも、縦に長いパーツの方がひょろっと感が出るかな?

って考えられると、いかにその特徴にあったものが探せるか?になるのね。一般的に先生が良く見て・・・なんてセリフは、実は良く見て・・・の前に、その特徴を・・・って単語がはしょられていると思われるのね。

まぁそれは伝承って言う話に繋がるんだけれど、要するに美大だったりすると、へたっぴはいない。つまり試験に受かったエリートだらけ。しかも先生もエリート。この関係性の場合、先生もその先生もエリートからエリートへの伝承になり、

その事でスタートからエリートスタートになる。これがパソコンを作ったビルゲイツさんの話みたいになるのね。何しろエリートの人は、まさか俺のような人が使うとは思っていなかっただろうね。有り得ない判らなさって。

つまりエリートスタートは、まさかこんな人がいる前提じゃ無いのね。所が公立のような場合、試験に受かったある程度の基準に達している普通のエリートに教える訳じゃ無いのね。とんでも無い差があるかも知れない中での話なのね。

つまり出来る人は、たまたま試験を受けなかったとか、高校から受けるとか、いずれにせよ、きっとその場所では出来る人側になる人。所が逆にパソコンの環境は?と聞かれた時に、午後から西日が当たる・・・なんて言ってしまった俺の場合、

もし試験があるなら、受ける以前の話になる。こんな差があって、でも同じようにモザイクをしたい・・・となった時、みんな同じスタイルって無理でしょ?つまりこんな差を見つけて、それならこんなやり方、それならこんなやり方と、その人に合った指導になるのね。

個人レッスンって。ただ難しいのは持ち時間だったり、モチーフの内容もあるのね。いきなり甲子園に出たいとか、東大に行きたいって言われてもね・・・でもね、労作展の子達ってみんな初めてなのに、大作を作りたいのね。

でも体験じゃ無いからある程度時間が掛かるのね。その目安が、今までの子達は、最低100時間位から・・・になるのね。これをえっ?って言う人もいるんだけれど、単純に学校の授業だとして、1日6時間で割ると、17日って感じ。

勉強なら夏期講習でしょ?しかも勉強なら基礎があっての話。けれどモザイクはみんな初めての初心者。たった17日で発表会に出るって話なのね・・・だから特訓講座って話になるでしょ?これがただ出来ただけで良いのなら、もっと早くなる。

でも各々が思い描く仕上がりがあるのね・・・そこにどうやったら近づけるか?の手助けが、役目なんだけれど。いずれにせよ、試験が終わってくれないと、本気で教えた所で、試験優先だし、モザイクをやられても困る訳で。

だからやっと試験が終わってくれたから、ここからが本番なのね。そろそろ本気にならないと・・・俺。


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