戦争の悲劇は、ただ、戦時中だけでありません。
中津市出身の関東在住の知り合いの方から便りをいただきました。
この便りを読みながら、終戦を迎えても
「戦いが終わらない」
ことを痛感します。
そして、多くの尊い子どもたちの命が失われたことに胸が痛みます。
神奈川県逗子市の話です。
その便りの中に、このような内容のことが書かれていました。
「私が所属している中の小さな会「逗子の歴史を学ぶ会」主催が講演会(対談)を開催しました。
1945年10月20日。終戦となり2カ月が経過し、子ども達の中に安堵と安らぎが生まれつつある中、逗子小坪小学校にとって忘れられない大事故が発生した。
当時、子どもたちが、運動会の予行練習が終わって午後は憲兵隊たちがいない砲台の中で遊んでいました。
暗いトンネルの中はほとんど「火薬」でした。
大人がロウソクを灯して奥まで行って「ロウソク」が短くなったのでポイと捨てた!そのロウソクの火が火薬に引火して、入口近くで遊んでいた子供たちは爆風で飛ばされ15名の尊い幼い命が亡くなったという事故がありました。
私たちの小さな会はせめて「慰霊碑」建立に向けて小さな歩みを始めました。
そこで、逗子市内のホールで「講演会」を開催しました。行政の携わる方々、藤沢・鎌倉・逗子・横須賀の教育関係の方々などをお迎えしての意義ある講演会になりました。
戦争が終わってもなお悲劇が続く・・・平和への願いを込めて「慰霊碑建立」まで少し忙しくしています・・・(略)」
この事故は、報道管制下で報じられることがありませんでした。
公になったのは31年後の昭和51年。
外務省が公開した戦後外交機密文章で、記録が明らかになりました。
秋には、きちんとして慰霊碑が爆発現場付近に建立されるそうです。
悲惨な歴史をきちんと整理し、後世に残そうとしています。
中津出身の方が、こういった活動をしていることも誇りに感じます。