川本ちょっとメモ

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安倍研究(6) 東京育ちの長州人――敗戦で滅びた明治維新型日本のリメーク版をめざす

2015-04-11 18:06:06 | Weblog



<長州人意識と松陰の弟子意識>

安倍晋三首相の衆議院選挙区は山口県第4選挙区で区域は下関市・長門市です。晋三の父、晋太郎は故郷で育ちました。

安倍晋三首相は東京で生まれ、成蹊小学校、成蹊中学校、成蹊高等学校、成蹊大学法学部政治学科を卒業しています。山口県で生まれ育ったのではありません。

それでも長州の血統であることには違いなく、長州人であることに誇りをもっています。吉田松陰を先生と呼んで尊敬していることも多くの人が知っています。

<戦後レジームからの脱却――万世一系の天皇を戴く「瑞穂の国」>

安倍首相は、第1次安倍内閣のときから、日本国の現状に深刻な危機意識を持っていました。当時、それは「教育の再生」というテーマに顕れていました。

これは1945年(昭和20年)敗戦とそれにつづく米国中心の占領体制の間に、天皇中心の良き日本の伝統が失われてしまったという危機意識によるものでした。だから「美しい日本」を取りもどさねばならない。「戦後レジームからの脱却」です。

「万世一系の天皇」です。万世一系の天皇を戴くところがほかの外国と違うところだ、と安倍首相は言います。それが彼にとってのあり得べき日本の姿です。安倍首相は次のように話しています。

 日本というのは古来から絆を大切にし、地域の絆、家族の絆、そして国の絆の中で、助け合っていろんな困難を乗り越えてきたわけでありまして、それぞれが抱えている問題についてもお互いが協力し合って乗り越えてきた。その中で地域のコミュニティも強い結束の中で育ってきたわけでございます。
 よく「国柄国柄」と、こういうことを議論することがあるんですが、私たちの国柄は何かと言えば、これはもう、古来からの長い長い歴史の中において、日本人の営みの積み重ねの中に自然に出来上がってきたものが、私は、「日本の国柄」ではないかなと思うところでございます。
   ―― 2009(H21).2.11. 平成21年建国記念の日奉祝中央式典 於・明治神宮会館

 この長い歴史をそれぞれの人々が個々の歴史を積み重ねる中で、全体のつづら織ができあがってきたわけでありますが、やはり、真ん中の中心線というのは、わたくしはそれはご皇室であろうと、このように思うわけであります。
(大きな拍手)
 そしてそれはまさに、一本の線で、ずーっと古来から今日までつながっている。ここが諸外国とは大きく違う点であろうと、わたくしは思います。
   ―― 2009(H21).2.11. 平成21年建国記念の日奉祝中央式典 於・明治神宮会館


古代から南北朝に至るまで、天皇家を巡ってはいくつも争乱がありましたし、古代には殺された皇子も天皇もいます。

河内王朝や継体天皇、南朝と北朝に分かれた歴史を考えに入れると、万世一系とも言えません。安倍首相が言う「一本の線」は何度か断ち切られて、そのたびに他所から持ってきた線でつなぎ合わせて、血統を修復した跡が見えます。「継ぎ合わせた一本線」です。

安倍首相が美しく語るほどに、天皇家の歴史は美しいものではありません。下品に仰々しく言えば、古い時代には血塗られた歴史という側面もありました。

そもそも日本各地の各級支配層や農民・民衆がいつの時代も天皇中心を意識してきたわけでもありません。

安倍首相が「おくにはどこですか?」と尋ねられたとしたら、きっと「長州」と答えることでしょう。安倍首相の事実は東京生まれ東京育ち本籍山口県という長州レプリカなんですけれど…。

日本では「おくにはどこですか?」と問われて、「日本」と答える人はいません。今の十代、二十代の人がどうなのか不安が残るところですが、現代日本人ならおそらく、生まれ育った土地か、長く住んでいる土地を答えるでしょう。

このことは封建時代の分国が現代人の意識する「くに」であり「ふるさと」であることを示しています。封建時代民衆の生活のうえでの中心は天皇ではなく、国守・地頭・領主などであったでしょう。

徳川時代には日本の国王は外国から見て徳川将軍でした。大多数の人々にとって「くに」を司る中心が天皇であった時代は永らく途絶えていて、幕末になって徳川将軍に対置される日本の中心に浮上したというのが実情ではありませんか。


<憲法改正――天皇、国防軍、教育>

安倍首相の「戦後レジームからの脱却」とは、憲法を改正することでもあって、憲法改正の主眼は自衛隊を「国防軍」にすることと、天皇を象徴でなく「元首」にすることです。もうひとつの主眼は教育です。安倍首相のことばを下に転記します。

 わたくしは残念ながら、この占領下にあって、日本はその姿かたちを占領軍の手によってつくりかえられたのだろうと、このように思うわけでございます。憲法ができ、そして、教育基本法ができたわけでございます。
   ―― 2009(H21).2.11. 平成21年建国記念の日奉祝中央式典 於・明治神宮会館


その一方、今の明仁天皇は即位後の記者会見で、「私にとっての憲法は日本国憲法であり、憲法を守りたいと思います」という主旨のことをお話になっています。

明仁天皇のこれまでのスピーチや昭和敗戦ゆかりの場所への重なる訪問から想像するに、明仁天皇は昭和敗戦後の平和憲法を歓迎し、平和憲法下における象徴天皇としての新しい天皇像を、すなわち天皇の新しい伝統を築くために力を尽くしておられます。このほどのパラオ訪問に見られるように折あるごとに、平和を希求する天皇自身の姿を広く国民に知らせています。これより後の歴代天皇も明仁天皇の姿をこれからの天皇の伝統として踏襲されるよう願うものであります。

安倍首相やその支持勢力は、時代錯誤なことに明治憲法のように天皇を元首として頂点に置く家族的国家を思い描いています。現行憲法をそのように改変しようと企んでいます。それは明仁天皇の思いとは異なっています。

安倍首相らは天皇を高みに祀り上げて尊重しているように見せかけていながら、事実としては明仁天皇の「平和の象徴、象徴天皇」としての積み上げを平気で踏みにじっているわけです。安倍首相らが本来考えていることは、天皇を利用して権力政治を行うことなのです。


<切迫した危機意識 晋三の名は高杉晋作に由来する>

安倍首相だけでなく多くの政治家が、北朝鮮の核ミサイル保有を深刻な日本国の危機であると捉えています。それだけでなく、安倍首相に切迫した危機意識をもたらしたのは、中国の拡大膨張意思です。2010年9月、中国漁船による日本巡視船体当たり事件のビデオは、日本国民に中国への警戒感を呼び起こしました。尖閣諸島領有を主張して、中国は日本領海や排他的経済水域に進入をくり返しています。さらに中国は南シナ海で、領土係争中の島の基地化工事を進めています。

安倍首相の危機意識は、今の日本を幕末日本に重ねあわせて見ています。自分を幕末の吉田松陰に置き換え、高杉晋作に置き換え、そのほかの明治日本を背負った人にわが身を置き換えて、この国難に際して百年の大計を日本に敷くのが自分に与えられた使命と考えている節があります。安倍首相は「私の役割、天命です」とまで言っています。 ※2013(H25).6.19. 安倍総理大臣・経済政策に関する講演 (於・ロンドン)

 しかしながら、安倍首相のような小人が天命を実行するとなれば、日本百年の大計はわたしたちに悲惨な結果をプレゼントすることになるでしょう。これはとんでもないことです。

安倍首相はまた、第1次安倍政権時のメルマガで、自身の名前の一字が高杉晋作に由来すると明かしています。

 さて、明日10月27日は、私の郷里が生んだ偉人、尊敬する吉田松陰先生の命日です。刑死される前日、安政6年(1859年)の今日、26日、松陰先生は、徹夜で遺書といえる留魂録(りゅうこんろく)を書き上げました。
 「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
 その冒頭に書かれた辞世の句、ここに込められた気概には圧倒されます。
                ―― 2006.10.26. 第1次安倍内閣メルマガ3号

 その一人高杉晋作は、身分を問わずに組織した奇兵隊を立ち上げ、新しい日本への改革の動きを加速させました。
                ―― 2006.10.26. 第1次安倍内閣メルマガ3号

 ちなみに、私の名前「晋三」は、高杉晋作に由来しています。
                ―― 2006.10.26. 第1次安倍内閣メルマガ3号


<安倍首相の体で息づく長州と明治維新>

安倍首相のことばを見てみましょう。

 さて、幕末の時代も、日本は、国家的な危機に直面していました。欧米列強の圧力が高まる中で、徳川幕府が滅び、明治新政府の努力によって、何とか危機を乗り越えることができました。
 ―― 2013(H25).4.3. 第47回 国家公務員合同初任研修開講式 安倍内閣総理大臣訓示

 いまから150 年前には、私の郷里、長州山口から、22 歳だった、後に初代首相となる伊藤博文、5 歳年長の、伊藤内閣で初代外務大臣となる井上馨ら5 人の若侍が、幕府の目を忍んで英国へ留学します。ジャーディン・マゼソン商会が、便宜をはかったようです。5 人は後に長州五傑と呼ばれ、明治近代化に偉大な役割を果たしました。
          ―― 2013(H25).9.30. 安倍晋三日本国総理大臣基調講演
                     (於 日英安全保障会議 RUSIアジア本部)


 「唯 至誠を以て 御奉公申上ぐる一事に至りては人後に落ちまいと 堅き決意を有している。」
 日露戦争のあと学習院長に親任された乃木希典・陸軍大将は、軍人に教育などできるのか、との批判に、こう答えたと言います。
    ―― 2014(H26).3.22 平成25年度 防衛大学校卒業式 内閣総理大臣訓示
          
 乃木大将は、常に、第一線にあって、兵士たちと苦楽を共にすることを、信条としていたと言います。諸君にも、部下となる自衛隊員たちの気持ちに寄り添える幹部自衛官となってほしい。
    ―― 2014(H26).3.22 平成25年度 防衛大学校卒業式 内閣総理大臣訓示

 長州というのは近代国家の日本を生み出す原動力になった場所です。志士たちが生まれた土地であります。皆様と同じように、長州人の血を引いている受け継ぐ一人であることを大変誇りに思うのであります。
            ―― 2014(H26).7.19. 長州「正論」懇話会講演

 その久坂家への手紙の中で松蔭先生はこう記しております。天下公正をもって。国の将来のために尽くすことを自らの任務として自覚しているということです。
  この教えは150年経った今でも心に響いてくるものがあります。
            ―― 2014(H26).7.19. 長州「正論」懇話会講演

 志定まればという松蔭先生の言葉を父は好んで使っていた。
            ―― 2014(H26).7.19. 長州「正論」懇話会講演

 先般欧州歴訪で、ロンドンで長州ファイブの記念碑を訪れたプラス、薩摩の皆さんも留学しているのでたくさん名があります。希望に燃えて果敢に異国の地に渡った長州の若者に思いをはせました。
             ―― 2014(H26).7.19. 長州「正論」懇話会講演

 「書は古なり。幸せは今なり。今と古と同じからず。幸せと書はなんぞよく一時あえせん」、松陰先生は弟子たちにこう説いた。行動を起こすのは現実に対応するものである以上、昔のことを書いてある書物に書いてある通りにやってはダメだという戒めです。
            ―― 2014(H26).7.19 長州「正論」懇話会講演

 明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。
 「日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない。」
         ―― 第百八十九回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説


<安倍研究シリーズ・リンク>
2015-04-02
安倍研究 (1) 政治の混乱の中で生まれた安倍総理就任記者会見
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安倍研究 (4) 「積極的平和主義」への安倍首相の使命感は自衛隊に向う
2015-04-08
安倍研究 (5) 首相外交演説で「祝詞(のりと)ことば」! そこに安倍晋三の本性を見る
2015-04-11
安倍研究 (6) 東京育ちの長州人――敗戦で滅びた明治維新型日本のリメーク版をめざす
2015-04-12
安倍研究 (7) 吉田松陰の日本国防策、そして滅びた明治維新型日本
2015-04-13
安倍研究 (8) 「戦後レジームからの脱却」は「戦後70年の平和からの脱却」だ
2015-04-15
安倍研究 (9) 思想的バックボーンは「維新長州」、 心の支えは祖父・岸信介
2015-04-17
安倍研究 (10) 安倍首相は神道政治連盟会長、神道政治連盟と神社本庁と伊勢神宮の関係
2015-06-16
安倍研究 (11) 安倍首相―長谷川NHK経営委員―日本会議
2015-06-17
安倍研究 (12) 安倍「神道」政権そのもの――日本会議をご紹介
2015-06-23
安倍研究 (13止) アトランダムなまとめ――天皇と伊勢神宮を精神世界の頂点に置く



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<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(集団的自衛権ほか)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣の政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来夏参議院選挙で自民党に“No”を。

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