國史 巻一
第一章 総説
二、帝国の民族
日本民族は所謂黄色人種の一派なれど、同じく之に属せる幾多の民族中にありて特殊の位置を有す。(※1)
此の民族は悠久の太古より我が國土に居住し、而して皇室の之を統一して帝國を肇造し給ふに及びては、啻ただに國家の元首として之を統治し給ふのみならず、また其の宗家として之と一家の親みを有し給ひ、靄然あいぜんたる至情の其の間に存するを以て、國家の基礎極めて鞏固きょうこなるを得たるなり。
而して皇室が萬世一系なると同じく、國民もまた父子相承け氏族繁衍して今日に至り、未だ曾て民族の變動へんどうせしことあらず。されば建国の古、皇祖を輔翼し奉りし國民の子孫は祖先の遺志を繼承して永く忠良の民となり、歴代の皇室は祖宗の臣民を愛撫し給ひし宏〇(言+莫)に遵ひて常に其の協力に信頼し給へり。これ實に我が國體こくたいの精華なりとす。
上代には日本民族の東北に隣接して蝦夷と稱する民族ありしが、其の地の我が領土に入ると共に、多くは北方に遁れて今のアイヌとなり、其の一部は服属して漸次日本民族の血族中に融解和合したり。其の他支那人朝鮮人等の我が國に帰化し來れるものも尠すくなからざりしが、これもまた我が民族に同化せられて其の跡を留めざるに至れり。
されば我が國民は古來同一民族なりきといはんも決して誤謬にあらず。
然れども現代にありては臺灣たいわんに支那人及び幾多の生蕃あり、樺太千島にはアイヌ、おろっこ、ギリヤーク等の諸族あり、朝鮮人もまた別種の民族なれば、帝國は今や言語容貌風俗の同じからざる數多の民族を包有せりといふべし。
而して古來の日本民族は其の首腦にして且つ優秀の地位を占むるを以て、皇室は其の協力輔翼によりて國政を行ひ給ふと雖も、新附の異民族も齊しく帝國々民の一部なれば、またよく之を愛撫教導して漸次日本民族に同化融合せしめ、以て渾然たる一大民族を形成せんことを期し給ふなり。 (※2)
(注) 原文は現代の感覚から見れば改行が実に少ない。読みやすくするために、
改行と一行空けを施しました。さらに、原文にはふりがなが一切ありません。
■東宮御学問所は生徒6人で7年間学ぶ
昭和天皇は1908年(明治41)、学習院初等学科に入学し、1914年(大正3)春から1921年(大正10)春まで東宮御学問所で学ばれた。東京高輪にあった東宮御所は、後の昭和天皇すなわち皇太子裕仁親王の御所です。
当時の中等学校は5年制、高等学校は3年制であったところ、言うなれば7年間の中高一貫特別教育を東宮御学問所で受けたことになります。
御学問所で学ぶのは皇太子裕仁親王のほかに御学友に選ばれた5人だけです。学習院大学白鳥庫吉教授が国史、東洋史、西洋史を御進講する御用掛の任を受けました。そして白鳥庫吉教授は専門とする国史と東洋史について、御進講用に新たな著述をまとめて臨みました。
2015年(平成27)7月、昭和天皇が学ばれたこの国史が、800ページ近くの『昭和天皇の教科書 国史――原本五巻縮写合冊』と題して勉誠出版から刊行されました。旧漢字、旧仮名遣いもそのままで、縮写合冊という名の通りのものです。
私は「昭和天皇の教科書」への好奇心から、刊行時にこの新刊書を買いました。目次をざっと見てみると、歴代天皇紀とでもいうような構成になっています。当然といえば当然ですね。天皇に成ることが決まっている少年に、帝王学としての日本史を授けるのですから、わたしたち誰もが知っているような主要な政治・社会のできごとを叙述し、そういう政治・社会の中で天皇はどういう位置にいたかということをほんとうに簡単に記してあります。細部の歴史の息吹は講義の中で伝えられたことでしょう。
しかし、私が今回話したいことは、「國史 巻一 第一章 総説 二、帝国の民族」というところです。
■中国の習近平帝国主義と民族
上の青字文章(※1)と(※2)赤色語句を下のように置き換えてみます。
◇
漢民族は所謂黄色人種の一派なれど、同じく之に属せる幾多の民族中にありて特殊の位置を有す。 (※1)
而して古來の漢民族は其の首腦にして且つ優秀の地位を占むるを以て、中国共産党最高指導部は其の協力輔翼によりて國政を行ひ給ふと雖も、新附の異民族も齊しく帝國々民の一部なれば、またよく之を集団収容強制教導して漸次漢民族に同化融合せしめ、以て渾然たる一大民族を形成せんことを期し給ふなり。 (※2)
中国は今、1000万人規模のウイグル族の同化を集団収容強制教導して、国際的な非難を浴びています。
■軍国日本の中国進軍
下記は中国満州を植民地にして、さらに中国本土を南下進軍し始めた日本の記録です。当時の中国は、日本の軍事的進出が激しくなることでどれほど苦しんだことでしょうか。中国の軍事大国化と尖閣攻勢。日中間の立場は昭和戦前と逆転して、これからの日本は受け身の立場になります。
〇1928(昭和3).06.04.
日本関東軍による張作霖爆殺事件 ※関東軍‥‥在満州、植民地常駐日本軍
〇1931(昭和6).09.18.
満州事変。関東軍自ら中華民国奉天郊外柳条湖で南満州鉄道線路を爆破。これを中華民国側による爆破として、関東軍と朝鮮軍が政府の命令なしに出動して、満州(中国東北部)全域を占領した。 ※朝鮮軍‥‥在朝鮮、植民地常駐日本軍
〇1932(昭和7).01.18.
第1次上海事変、日中両軍が武力衝突
〇1932(昭和7).03.01.
満州国、建国宣言 ※中国の領土内に建国なので申し分のない侵略行為です
■2010年、中国GDPが世界第2位 日本は追い越された
中国のGDPが2010年、日本を追い越して世界第2位になりました。日本は3位、「42年ぶりに転落」と当時の日本経済新聞の見出しが伝えています。
中国の経済力の増大ぶりは目をみはるばかりです。それにつれて、日本の観光関連や物販業界は訪日中国観光団を当てにするようになりました。政府は口を開けばインバウンド、インバウンド。わが奈良県のお隣の大阪の府知事も市長も口を開けばインバウンド、インバウンドでした。
日本の住人から見れば中国人観光団は「お行儀がもひとつ」というところも見えましたが、そのうちにお行儀も落ち着いてくるでしょう。日本人もかつてそうでしたから。
日本人も海外旅行が大衆のものになってからは、外国観光先で顰蹙を買っていた時期がありました。云く、ホテルの廊下を浴衣はだけて歩いたノーキョーさん。云く、買春あさりの男性団体は来ないでほしい。
さて、日本のデパートやホテルや観光地が中国人観光客の来日でうるおって喜んでいる一方で、西太平洋に中国が勝手に線引きした第一列島線という境界と中国大陸に囲まれた海の中国海空軍支配を急速に進めて、今や「中国の海」のようになりました。
■2012年11月、習近平が中国の指導者になり軍備強化急拡大
歴史上の王国にとっても近代国家にとっても、軍事力で勃興し世界を支配するという武力の論理は何にもまして魅力があるようです。
中国が南シナ海・東シナ海に勝手に線引きした第一列島線内のいくつかの岩礁を埋め立てて島と成し、島は軍事基地に成りました。今、中国による海洋線引き、第一列島線内の大陸側は、ほぼ中国の海になってしまいました。
習近平中国は、古代・中世中国王朝の朝貢外交の版図を思い描いている可能性があります。朝貢を受け入れ、代わりに官位を授けた独特の外交関係。朝貢してきた中国外縁の諸地域を中国に臣属してきた領域として、中国に支配権があるという思考法が宿っているのではないかという気がします。史実の領国ではない地域に対して領国であったかのような扱いをする見方はとんでもないことです。
1931年、満州(中国東北部)を日本軍が侵略占領しました。それからというもの日本の中国本土侵略を、中国は止めることができなかった。日本軍の侵攻が中国の人々にどれほどの不安と苦しみを与えたことでしょうか。
昭和戦前とは日中の立場が逆転しました。中国の香港接収や東シナ海・南シナ海での中国海空軍の活動に、日本が不安を感じる時代になりました。油断できない時代になりました。