きょうは条約・憲法・法律・政令・規則・条例(以下「法律」と書きます)について私の見分け方を書きます。
◇法律への生活上の接し方
私は土地開発の仕事をしています。そのうちの各種許可手続きが私の仕事の中心部分です。都市計画法や建築基準法の一部は日常生活的に関わりがあります。
このように仕事のときは、その法律そのものや条文の是非などまったく関係ありません。その条文がどのように適用されるのか、政府の関係部局が書いた解説書や県の指導書を読んで勉強するだけです。
生活や仕事のうえで、法令や条例への接し方はこうしたものです。いいも悪いもありません。管理権限や許認可権限を持っている行政担当課の係員の指導に従うのが原則です。
◇私たちは法律の網の中で生活をしています
法律という側面から見ますと、私たちの社会生活はすべて法律によって形作られています。私たちは道を歩いていても車で走っていても、道路交通法の規定に従って生活しています。小学校に通う子どもには学校教育法や学校給食法があります。下界と離れた景色のいい所で遊んでいても、所によっては自然環境保全法や自然公園法などの網がかぶさっています。
◇法律の三つの側面-正義、利害、統治
それら個々の法律やその条文の性質、そして善し悪しについて、私たちはどのように判断していけばよいでしょうか。法律の性質には、三つの側面があります。(1)正義、(2)利害、(3)統治(行政権力のやりすぎをどう制限するか)。この三つの側面を見て、自分の生活とのからみを考えて、善し悪しの判断をするとよいと思います。
◇生活実感に照らし合わせて、泣き寝入りよサヨナラ
法律を立案する側の人には、情報と知識が豊富に与えられているのが普通です。立案する側の人は政治家や国家公務員のように、そいういうことで生活している人たちです。私たちには情報や知識が極端に不足しているのが普通ですし、生活上も時間を割く暇はごくわずかです。
私たちの武器は、自分の生活実感であり、仕事上の実感です。これに照らし合わせて「何かおかしいと感じること」は、おおむね、本当におかしいのです。なぜなら、すべてのことは私たちの生活に直結しているからです。自分の生活実感に照らし合わせて「おかしい」と感じることを、堂々と声高く主張する癖を身につけて、「泣き寝入りよサヨナラ」といきたいものです。
◇「正義」の側面
〇憲法第14条第1項 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
上の条文は「法の下の平等」という大原則を宣言し、「正義」を実現しようとするものです。法律には正義の味方という側面があります。
◇「正義」は価値観によって相違する
「何が正義であるか」をめぐって人々の意見が分かれることが往々にしてあります。私が少し勉強しました教育基本の改正については、たとえば「日本の伝統文化尊重」、「愛国心の涵養」、「宗教教育による情操涵養」について議論が分かれています。
◇「正義」は「統治」と「自由」の戦い
この場合の「価値観の相違」はなぜ起きるのでしょうか? それは法律を作る側の人は大方が行政権力の内側の人で、常に「どう統治するか」ということに心を砕いているからです。その法律案を受ける側の人間は、逆に「おかしな統治をされたくない」と無意識のうちに防衛線を張っています。
法律のことではありませんが、小泉首相の「靖国神社参拝」問題がそうです。賛成する側の人の気持ちは、国に殉じた人を弔問するのは当然だろう、むしろそれは国家の務めだ、というものでしょう。これは国家を優先するもので「統治」の考え方を優先しています。
反対する側の人は、国家と特定の神社が結合すれば「信教の自由」が圧迫されるようになることを警戒します。特別に何か信仰をしていない人にとっては、お正月の「初詣」とたいして変わりないことかもしれません。しかし、何らかの宗教を信仰している人にとってこれは深刻なのです。こちらは「自由」の考え方を優先しています。
「正義」は「統治」と「自由」の間で往々にして戦われます。
◇「利害」の側面
一般ガス事業供給約款料金算定規則(平成十六年二月二十四日経済産業省令第十六号)
一般電気事業供給約款料金算定規則(平成十一年十二月三日通商産業省令第百五号)
損害保険料率算出団体に関する法律(昭和二十三年七月二十九日法律第百九十三号)。
これらの法律に基づいて、ガスや電気の料金が決められています。損害保険や生命保険の商品価格も決められています。電力会社もガス会社も、生命保険会社も損害保険会社も本業の営業収支で赤字になることはありません。
ゼネコンは談合受注で世間の批判を受けていますが、このように法律が特定の業界の利益を保証している場合があり、こういう法律は他にもたくさんあります。上の例は電力会社や保険会社のような紳士企業が、建設談合以上に国家と結びついている姿を示しています。
「利害」が「正義」を負かした道交法改正
〇道路交通法第71条の4第4項
第八十四条第三項の普通自動二輪車免許を受けた者(同項の大型自動二輪車免許を現に受けている者を除く。)で、二十歳に満たないもの又は当該普通自動二輪車免許を受けていた期間(当該免許の効力が停止されていた期間を除く。)が通算して三年に達しないもの(当該免許を受けた日前六月以内に普通自動二輪車免許を受けていたことがある者その他の者で政令で定めるものを除く。)は、高速自動車国道及び自動車専用道路においては、運転者以外の者を乗車させて普通自動二輪車を運転してはならない。
上の条文は、一定の資格要件を満たす者は大型自動二輪の高速道路2人乗りをしてもよいという意味です。従来バイクの高速道路2人乗りは禁止されていましたが、昨年の改正によって解禁されたのです。警察庁の改正道交法Q&A問8では長距離ツーリングの利便性をその理由としています。
生活にとってはるかに利便性の高い携帯電話の使用を交通安全のために制限しています。自動二輪の高速道路通行は転倒の危険性が高く、転倒すれば死亡の危険性が高いのですから、禁止するという方が自然でしょう。
より危険度の高い2人乗り解禁をするということは、オートバイメーカーの大型バイク売り上げ拡大を真の目的として、交通安全という「正義」が追放された典型的な事例です。
◇「統治」の側面
国家は国民個々の生活を支援する組織であってほしい。しかし実際には、国家は国民を統治する組織です。従って法律は本来的に「統治」の側面を持っています。
「統治する側」は、「統治される側」の住民(国民、市民)から常々批判にさらされています。批判する側の人は、往々にして感情的に興奮して話します。「統治する側にしてみれば、日常的にうんざりするほど、住民から文句を言われています。
私はかつて、役所側の業者の立場で公共事業の都市計画案件住民説明会に立ち会った経験があります。それはそれはひどいものでした。「統治される側」の住民で発言する人は、大方、計画に反対の人です。反対する人で冷静に話す人はまずいません。発言している間にどんどん興奮していきます。
◇「統治する側」のやり方
だから、(1) 文句を言わせないようにできる限り物事を隠そうとしますし、(2) 文句を言わせる機会を限定しようとします。さらには、(3) いろいろな名分を掲げて文句を言う人を取り締まろうとします。
「統治する側」の公務員の多くは堅実な人で、地域にあっては信頼できる人です。でも職務遂行のときは、自然にこうなるわけです。「統治される側」に立つとき、私たちは常に警戒の目で見なければなりません。
◇「明治憲法で保証されている自由」はどうなったか
〇大日本帝国憲法
第28条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第29条 日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス
憲法その他のいろいろな法律が国会で論議を呼ぶとき、信教の自由、思想・信条の自由、報道の自由などがそのテーマになるのは、上の(3)に関わるからです。戦前の明治憲法でもそれらの自由を保証しているにもかかわらず、憲法より下位の法律によって制限したという実績がありますので、警戒するのは当然のことと思います。
◇法律の語句の定義は厳密に、しかし…
法律では文言の使い方を厳密に考えています。従って、下の都市計画法の「公共施設」ということばのように、語句の定義も厳密にしています。国会で議論されるときは、法律案の中の語句の定義がいつも問題になります。
「統治する側」は語句の中に二重性を含ませたり、語句で定義しないようにして、法律運用の幅を広げて統治する側の自由を広げようとします。仕事をうまく進めようとするならあたりまえのことでしょう。そういうものだと決めつけて、私たちは吟味します。犯人を探す刑事の立場です。
〇都市計画法第4条第14項
この法律において「公共施設」とは、道路、公園その他政令で定める公共の用に供する施設をいう。
〇都市計画法施行令第1条の2
法第4条第14項 の政令で定める公共の用に供する施設は、下水道、緑地、広場、河川、運河、水路及び消防の用に供する貯水施設とする。
◇「統治する側」は語句をあいまいに-日米安保条約極東条項の例
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約の例を挙げます。下の条文の「極東」とはどこを指すのかが、国会で論議を呼びました。
〇第4条(臨時協議)
締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。
〇第6条(基地の許与)第1項
日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持の寄与するため、アメリカ合州国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される
〇極東条項
日米安保条約は第6条で「極東」の平和維持に寄与するため米軍が日本の基地を使用することを認めている。旧安保条約第1条にも、同様の条項が盛り込まれていた。新条約調印後の1960年2月の政府統一見解は「極東」の範囲を「フィリピン以北、日本とその周辺海域、韓国、台湾」と定義した。ただ、日米同盟が「アジア太平洋地域」で果たす役割に言及した96年の日米安保共同宣言などを通じて極東条項が拡大解釈されているとの指摘がある。
この場合、条文の中に「極東とは……という」と定義すれば問題はありません。わざわざ定義をしないで、国会議事録や政府統一見解で代用するのは、「統治する側」にそれだけの事情があるからです。
どういう事情か? おそらくアメリカ国内では微妙に異なる説明をしていたり、後に日本政府が運用方針を変更できる余地をわざわざ残していることが考えられます。
◇「統治する側」が意図を隠していることがある
上の「法律の三つの側面-正義、利害、統治」の項の(2)に該当するのが次の例です。そしてまた、法律には表面的な文言以外に、裏の意図が隠されていることがあるということの例でもあります。
〇大規模小売店舗立地法第5条第3項
都道府県は、第一項の規定による届出があったときは、経済産業省令で定めるところにより、速やかに、同項各号に掲げる事項の概要、届出年月日及び縦覧場所を公告するとともに、当該届出及び前項の添付書類を公告の日から四月間縦覧に供しなければならない。
これは売り場面積1000m2以上の大型店の新設や変更についてその明細について届け出をし、それが公告され、たとえば奈良県庁の担当課の窓口で4ヶ月間閲覧できるという法律です。
この間、住民はその内容の概略を知ることができますし、注文をつける機会を与えられますから、「正義」の法律と言えます。
ところが公告は県広報で行われますから、知らなかったという住民が実際には多いでしょう。また4ヶ月もの長い間、閲覧や意見出しの期間を保証していますから、それを越えれば「知らないよ」ということでもあります。「縦覧」というのは、役所にとって「住民のためにがんばりました」という免罪符でもあります。すなわち「統治」を考えた法律条項の実例です。
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