2024-07-09
梅原猛哲学者先生、法隆寺に怨霊はいないと西岡法隆寺棟梁がおっしゃっています
梅原猛哲学者先生、法隆寺に怨霊はいないと西岡法隆寺棟梁がおっしゃっています
前回記事を書いたあと、手持ちの本やネット検索で法隆寺がらみの古代史知識をぼつぼつと拾っておりました。
でも無学の証は歴然。古代のことは諸説ありすぎて、わたしの頭の中にうまく流れるまで手間取っています。
【法隆寺建物位置図】
① 方眼の線があるのは、若草伽藍跡発掘時の方位計測を示しています。
② 若草伽藍跡とは、670年に落雷全焼した斑鳩寺(創建法隆寺のこと)を言います。
③ 斑鳩寺は聖徳太子 (厩戸王) や山背大兄王が住んでいた斑鳩宮に隣接しています。
④ 中門、五重塔、金堂などのある西院が、現在の再建法隆寺です。
⑤ 救世観音像のある東院夢殿は上図左端(東端)に位置しています。
② 若草伽藍跡とは、670年に落雷全焼した斑鳩寺(創建法隆寺のこと)を言います。
③ 斑鳩寺は聖徳太子 (厩戸王) や山背大兄王が住んでいた斑鳩宮に隣接しています。
④ 中門、五重塔、金堂などのある西院が、現在の再建法隆寺です。
⑤ 救世観音像のある東院夢殿は上図左端(東端)に位置しています。
※上図の出所は、「仏像リンク 法隆寺の伽藍」←クリック です。この下地になってい
る彩色図は法隆寺内掲出の案内板です。方眼線、若草伽藍跡や斑鳩宮跡の位置は発
掘成果の公表図を重ね合わせたものと見られます。
【物証は貴重】
古代のことは文献 (書証) が寡少ないものですから、事実に推論をとりまぜて前提条件をつくり、そのうえに推論を重ね積んだ諸説が数々流通しています。
ですから物証、すなわち現存しているものや新たな発掘の出土遺物や遺構など歴史の遺物はたいへん貴重です。
【光背取り付けの見方は梅原先生の大失敗】
梅原猛哲学者先生は、法隆寺怨霊封じ込め説の有力な物証として、次のような大花火を打ち上げました。
「法隆寺夢殿の救世観音像の光背は、聖徳太子 (厩戸王) の怨霊を封じるため、後頭部に打ち込まれた太い釘によって、取り付けられている。」 (隠された十字架 ─法隆寺論─)
名高い法隆寺の夢殿の秘仏であり、聖徳太子 (厩戸王) を模しているという謂われのある救世観音像。その観音像の後頭部に光背を太い釘で打ちこんでいるとは、あまりにも衝撃的な説でした。
しかし著名な先生であっても、自ら描いた怨霊に釣られて、吊り具あるいは掛け具を「釘に見違えた」のです。
でも、わたしは光背の取り付け方について、簡単に考えています。
上図の左端は現代木工の枘ほぞと枘孔ほぞあなの図です。飛鳥時代の建築物ではすでに、もっと複雑で大きい木工・建築技術が使われています。右半分は現代のホームセンターで500円くらいで売られている長押なげしフックです。わたしはこの長押フックで絵の額を吊り下げていたことがあります。古代でも、フックの造作は難しくないでしょう。
光背を仏像の背中に付けたのでは、意味がありません。光背を仏像本体に取り付けるということになれば、どうしても後頭部のどこかに取り付けることになります。
取り付ける部材の造作は古代にあっても、察するに、金工、木工ともにそんなに難しいものではない既存技術であったでしょう。
そして、木造であれ、金属製であれ、仏像の後頭部に「枘孔ほぞあな」を開けて、吊り具や掛け具を掛けることになります。
さて、ここまでは無学なわたしでもこのように思うことであり、著名な先生が何を血迷ったかというお話でした。
結論を言えば、「光背を釘打ち」は完全なまちがいであり、釘打ちではなかった。となれば、梅原哲学者先生が皆に示した現物の裏付けが消えた。
証人の証言が間違っていた。強力な物証がそうではなかったということであれば、刑事裁判では冤罪ものです。9月26日に死刑囚袴田巌さんの静岡地裁再審で無罪判決が出ました。学問という観点で言えば、梅原猛哲学者先生の「法隆寺夢殿の救世観音菩薩の光背後頭部釘打ち」説はたいへん罪深いものとわたしは考えます。
この件に関しては、「観仏日々帖」というブログの「こぼれ話~光背の話② 頭に釘打たれている? 夢殿・救世観音像の光背 【2020.05.02】」という記事に、何点もの写真とともに、ほかでは見られないすばらしいていねいな解説があります。
ぜひぜひ、上記ピンク文字をクリックして解説記事をご覧いただくようお勧めいたします。読んだ方はこのことにつきいっぱしのアマチュア専門家になれることまちがいなしです。
法隆寺百済観音像側面写真 (光背は支柱に取り付け) と法隆寺救世観音像 (光背は頭に取り付け) の写真を並べてあります。 わたしのような無知識の者でも、光背の取り付け方の違いが一目で理解できます。
【救世観音像についてもう一つ重要な「背面が無い」という問題】
上記ブログ記事には救世観音像の背面写真が掲載されています。頭に黒く見える所は枘孔ほぞあなです。釘打ち跡ではありません。
救世観音像に背面が無いということがこれまた、梅原猛哲学者先生の大まちがいで、背面はちゃんとあるのです。それなのに、無いと信じている梅原先生はたいそうなお言葉を書く。もううんざりです。わたしから見れば、これはもう法隆寺と聖徳太子 (厩戸王) をネタにした「法隆寺詐欺」の世界です。
このことについては下記にそのまま「観仏日々帖」のブログ記事を引用いたします。
このことについては下記にそのまま「観仏日々帖」のブログ記事を引用いたします。
梅原氏は
「救世観音の体は空洞であることである。つまりそれは、前面からは人間に見える
が、実は人間ではない。背や尻などが、この聖徳太子等身の像には欠如しているの
である。」
と記しているのですが、これも、事実と相違すると云わざるを得ません。
梅原氏がこのように語ったのは、絶対秘仏・救世観音像を明治17年に開扉したフェ
ノロサが、自著「東亜美術史綱」に、 「像形は人体より少し大なるも、背後は中空な
り」 と書いているのを踏まえて、そのように理解してしまったのかもしれません。
町田甲一氏は、このように述べています。
「これ (注:フェノロサが背後は中空と記していること) を梅原(猛) 氏は、像背を確
かめもせずに ……、『怨霊説』の有力な前提の一つにしている。 実物をみないでも
のを書くのならば、せめて写真ででも確かめるくらいの労は当然払うべきであり、真
面目な新説の提唱であるならば、その論拠については、前もって充分なる学問的検討
が必要であろうと思う。」
(「大和古寺巡歴」1976年有信堂高文社刊~のちに講談社学術文庫にて再刊)
これまた、痛烈で手厳しい批判です。
解説者がどういうお方か存じませんが、日本彫刻史 (仏像) で高名な故西川新次先生の教えを受けた方ではないかと思われる節があります。また、これほど多くの仏像写真を掲載できるということはそれなりのお方であると拝察します。
終わりに、ぜひ、「観仏日々帖」というブログの「こぼれ話~光背の話② 頭に釘打たれている? 夢殿・救世観音像の光背 【2020.05.02】」← クリックという記事をお読みくださるようお願いいたします。著名な先生であっても世迷言をまき散らすことがあるという警鐘であります。
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